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あなたは、平べったいオムライスの海を泳いだことはあるか

我が家のオムライスは平べったいオムライスでした。
喩えるならば平原、あるいは海。
皿の上には、木の葉型のこんもりした島が浮かぶのではなく、ただひたすら広漠な海。
中のライスは皿の窪みにそのボリュームを収めるから、ドーム型にもならない。
ま、今ではこれも悪くないと思うんですが、昔の私は「テレビで見るオムライス」らしいオムライスを求めていたガキンチョだったわけです。

で、所謂「たんぽぽオムライス」がテレビで紹介されるや、そのガキンチョ、親に「作ってくれ」とせがみます。
「よっしゃ、やってみっか」
と、張り切って作ってくれました。

でも、切ってもトロリと流れ落ちない。
ただ真っ二つにオムが割れただけ……

今では「たんぽぽオムライス」って言い方、古いのかな?

切った瞬間の、喉元まで出かかった「ワーッ」をぐっと飲み込まざるを得なくなり、落胆の空気が流れる。
楽しいはずのオムライスタイムが冷え込む。寒気びゅーびゅー。
……とまではいかないまでも、一同肩を落とす形に。

それ以来、「たんぽぽオムライス」は我が家の食卓に咲くことはなく、あの類は「お店に任せよう」となったのです。


緊張感走る「たんぽぽオムライス」

たんぽぽオムは緊張感が走る。
オムを作るときも、オムを開くときも緊張する。

オムを焼くとき、焼き目がついたらどうしよう……
オムをライスに載せるとき、ちぎれて中身がコンニチハしたらどうしよう……
オムにナイフを入れたとき、トロトロっと流れ落ちなかったらどうしよう……

ああ!心配絶えず、心拍高鳴り落ち着かない。
それになんだ、あの卵の使用量は!それに背徳的で犯罪的なバターの使用量は!
少しでも気を許すと、卵とバターの奔流に呑み込まれる。ふわふわと地に足つかぬまま流されて、「ハテ、オムとライス、どっちが主役だったっけ」と自分の観念が正しかったどうか自信が持てなくなる頃には、目の前のオムはこんがり焼きあがっていた……

と、自分でも「たんぽぽオムライス」を試したことがありましたが、失敗しました。
やっぱり卵とバターの思い切りが足りなかったんだろうな。
もちろん技術も足りないが。

あんな贅沢な使い方、家庭では真似できないというか、やろうとしても「こんなに入れてええんか……?」と恐怖が勝ってしまうから練習どころじゃない。それでお金取ろうってんならやるけど、自分と家族の食う分やしな……

やっぱり、あれはお店の仕事に任せたほうがいいな、そんでもって、何がどんだけ入ってるかは知らんほうがいいなと思って、家でふわふわのオムを作ることはあきらめたのです。

平べったいオムライスは気楽だ

ところがどうだ、平べったいオムライスは。
何と言っても気楽。テクニックはほとんどいらない。
強いて言うなら、玉子が固まり切る前にフライパンの底面全体に広げないといけないぐらい。
そこにチキンライスを薄く広げて皿を置き、ひっくり返すだけですからね。
テフロン加工されてれば大丈夫でしょう。

というわけで、久しぶりに作ってみます。
まずチキンライスを作り、フライパンを洗ったら、卵を薄焼きにします。
そこにチキンライスを盛るわけですが、

真ん中にこんもり盛ったこの状態でくるっと手首を返せば、見慣れた木の葉型にもできる……けど今回はやりません。

ライスをうすーく広げて……

皿をドン。

ちょっと破けた。まあええか。

できました。

平べったいオムライスの海を泳ぐ

平べったいオムライスの海は、どこまで行っても浅い。
どこまで行っても地に足をつけられるから安心。
それにオムライスの海は凪いでますね。玉子は固まってますから、トロトロ、ゆるゆるが崩れる恐れもなく、ハラハラ不要で食べられるわけです。

そして中にはヤツがいる。そう、シー「チキン」……
いや、これは聞かなかったことにしてください。

で、これが自分にとって一番大きいのだけど、平べったいオムライスは玉子とライスのバランスを深く考えなくても食べ進められます。
普段の食事では、ご飯をおかず、汁物、漬物にどれだけ配分するか、いわば「ライスマネジメント」のために頭を働かせながら食べているけど、このときばかりは黙々とモクモク。こりゃ禅だな。で、この平べったいオムライスは枯山水だな。いや、違うか。

平穏無事な航海こそ家のオムライスには似つかわしいな、なんて思いながら久しぶりのオムライスを堪能したのです。

中華屋のオムライスも食べてきた

そういえば、近所の中華屋にもオムライスがあったなと思って、これも食べて来ました。
中身はケチャップ味がガッツリ効いているチキンライス。ちょっと効きすぎなぐらいで、なんだか懐かしさを感じさせる酸味残る味わい。
だから、ケチャップはたっぷり入ってるんだろうけど、じゃあベチャっとしてるかといえばそうじゃない。しっとりしていながらも米はパラリ。これが中華の火力のなせる業でしょうか。
家でこのガッツリケチャップ感のライスとなると、どうしてもベチャっと感が出るから、これもまた、お店でしか食べられない味ですね。

レンゲで食うのがなんかイイ

カタチはよく見る木の葉型。中華鍋で巻いてるからか、こんもり感がフライパンより出てるかも。真ん中にライスが集中してる感じが、中華鍋の丸みを感じさせる。
こっちはケチャップが真ん中に河をなしているから、その配分を考えながら食べる必要アリ。ケチャップかかってないところと、かかってるところのコントラストを愉しみながら食べるのが良しと見ました。

あと、木の葉型は真ん中の山を掘る愉しみってのもあるな、なんて思いますね。東海林さだお先生もそんなこと言っていたっけ。

オムライスの魔力

1年ぐらい食べてなかったのに、ふとオムライスを食べたいと思い始めたら、短期間に何度も食べてしまいましたね。
やっぱり、オムライスには人を惹きつけるナニカがあるに違いない。

トロトロ、ふわふわの「たんぽぽオムライス」は言わずもがな人を狂わせるし、最近は玉子がスクリューするのが流行ってるらしいけど、そうやって次々新しい「オム」の形が世に出てくる(調べたら、ドレス・ド・オムライスっていうらしい、あと、発祥は結構前らしい)から、やっぱりみんなオムライスが好きなんだ。

と、色んな「オム」の形あれど、ぼかぁ家で作るならやっぱり平べったいオムライスですね。1周まわって……もないけど、家のオムライスに求めるのは感動じゃなくて安心ですね。
それに、いちいち感動してたら人間の感覚はマヒして、外で食べる悦びってのが薄れますから、家のもんは家のもん、外のもんは外のもんってことでこれからも食べていきます。

それではまた。

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