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2023年6月21日の日記

取り立てて毎日、何か記録したい事がおきるような人生でもない。

だいたい7時位に目を覚まし、いつもの出勤、よくわからない労働、残業、帰宅、怠惰な時間を瞬時に消費するYoutube、給餌と差がわからない週次更新のWEBコミックの消費、そして深夜の就寝。わりとこんな毎日の繰り返しだ。
ただ、思うのはもっと違う時間の過ごし方が本当はできるんじゃないだろうかという、焦りのような、妬ましさのような、そういうどろどろとした感情を、23時過ぎに帰るような生活をしていると感じるのだ。

もし俺が毎日16時に帰れていたのなら、もし俺が専業主夫だったら。

子どもたちにあんな事をさせるだろう、こんな事を考えて日々料理するだろう、体を鍛えて早寝早起きで毎朝ランニングもしたい。庭いじりもしたい。
そんな、ないものねだりが、多忙ですり減らされた脳はとてもお好みらしい。
そして、お前にはそれができるだけの時間があるのに、何故しないのか。と怨嗟めいた感情が心に沸き上がるのだ。

この醜い感情を噛み殺して、飲み込む夜がつらいのだ。吐き出しても何も産まない事を知っているから、吐き出して何も産まないことの辛さを知っているから、まだ苦味だけで済むうちに感情を飲み込むのだ。

取り立てて語ることもない、こんな一日だ。そんな一日を日々飲み込んでいた。

だが、書いて、わずかばかりに誰かの目に触れる可能性を感じる。それだけで、もしかしたら俺の心に何か感じるものがあるのかもしれない。多少救われるのかもしれない。
結果がどうなろうとも、この行為が何か俺の心のプラスになるのであれば、今日の日記は意味があるといえるかもしれない。何もない一日の日記として、書く理由にはなるのではないだろうか。

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