私の場面緘黙症。(中学生)
前回のつづき。
中学生になっても私は話せないままだった。
1年生の時はクラスに意地悪な男子がいて、
話さない私を面白がって、
からかってきたり叩かれたりした。
その頃には「リング」が流行っていたので、
「貞子」と呼ばれたりもした。
私は小学生の頃からバレーボールが好きで、
よく家でボール遊びをしたり、
テレビで日本代表の試合を見たりしていた。
なので、部活はバレー部に興味があったのだ。
だけど話せない私が、
大きな声を出さなければいけないチームスポーツなんてできるわけが無いと諦めて、
吹奏楽部に入った。
その理由は、入学時によく話しかけてくれた子が吹奏楽部に入るというのを聞いたからだ。
それだけだった。
そんな吹奏楽部ですら、
挨拶ができなくて先輩から怒鳴られたこともある。
ちなみに、
場面緘黙症ではない妹は、
バレー部に入って、友達を家に呼んだりと、
私の「出来ない」を目の前でやってのけた。
だから少しずつ嫉妬や劣等感で、
妹を憎く感じてしまうようになった。
クラス替えなどの最初の時期は、
大人しそうな子が話しかけてくれるのだが、
私が話さないと知るとすぐに離れていってしまう。
気の強い女子からは、私がいる横でも平気で陰口をたたかれたし、
怖いから苦手だな…と思っていたのが顔に出ていたみたいで、余計きつく当たられた。
しかも、修学旅行の班決めでは、
その子と同じ班になってしまったのだ。
班長同士の会議で、私は他の班に入れてもらえないから仕方なく同じ班に、と。
本当に最悪の修学旅行だったので、
今なら休めばよかったのかなとも思う。
だけど親には学校でのことを何一つ言えなかった。
親を悲しませたくないからなのか、
自分が可哀想だと思われたくないからなのか、
理由はまだよく分からないけど、
学校で一人でいる事を家族に知られたら、
死んでしまうかのような気持ちだった。
イジメという程のものでは無いけれど、
からかわれたりバカにされたりする為だけに、
毎日がんばって通っていた。
1.2年生の時は本当に辛すぎて、
また一人でいると嫌なことを言われてしまう、
という危機感があった。
そこで3年生になってからは、
初めて見かける大人しそうな子に自分から話しかけてみた。
その子もあまり話すのは得意じゃないみたいだった。
話しかけるといっても、何を話していたかは覚えてない。
何も話さなくてもいいから一人になりたくなくて、「一緒にいていい?」と言っていたと思う。
お互い話すのが苦手だから手紙でやり取りしていたのかな。
そんな感じで、私は中学3年生にして
初めて自分から友達を作ることができたのだ。
そうなると、誰かから
からかわれることも無くなった。
たった一人、一緒にいてくれる人ができるだけで
今までとは違った中学生活になっていた。
そのおかげでたぶん、私は少しずつ話せるようになってきたのだと思う。
私はどうやら、
何か危機感を持つと、頑張って話そうと行動できるようだ。
高校受験の面接では、絶対にこの高校に入りたいと強く思っていたので、自分でも驚くほど話せていたし、推薦で合格できた。
その頃の友達とは、
高校が別になってもずっと仲良くしてもらっていたし、私がいま就いている職業を知るきっかけをくれたりした。
もし転校なんてしていなければ、
こんなに嫌な思いをすることもなかったのではないかと、親を恨むこともある。
だけどその子に会わなければ、
私は今の仕事にも出会えなかったんだろうと思う。
自分にとっては天職だとも思えるので、
その子には本当に感謝している。
次回は、完全に(?)場面緘黙症を克服できたと思えるまでを書きたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
つづく。