私の場面緘黙症。(小学生②)
前回のつづき。
私は、小学6年生の夏に少し離れたところに
引っ越しと転校をした。
転校先では、誰も知っている人がいないから
話せない私を克服できるはずだとがんばってみた。
だが、結局いつも通りの話せない私になっていた。
転校生だからと優しくして貰えたことは、
ありがたいと思う。
だけどやっぱり、話を振られても答えられない。
何を言えばいいか分からなくて、
頭が真っ白になってる間に、
相手は、もういい!って怒りだす。
家では家族と普通に会話できるのに、
なんでできないんだろう。
それに今までいた小学校とは勝手が違いすぎて、
戸惑うことばかりだった。
田舎なので人数が少なくて、
男女とも名前で呼び合うような仲良しな雰囲気。
前の学校は私服で良かったのが、
次の学校は標準服というものがあった。
制服のような体操服のような。
皆その服を着ていたが、
私は買って貰えてないので私服で行くしかない。
時々、花柄のワンピースを着たり、
ズボンを履いて登校すると、
遠まきにこちらを見ながらヒソヒソ話をされる。
それをされるともう怖くて、
その服は着られなくなる。
今までは皆が私服だったから、
服装なんて気にしていなかったのに。
目立たないように、
皆と同じような白黒の服ばかり着ていったし、
雪が降っててもズボンが履けなかった。
今思い出しても、
自分で自分を縛っているようで本当に辛い。
転校先の夏休み明けに、プールの授業があった。
前の学校では、個々の児童のレベルに合わせて
グループ分けがされており、
私は10mまでなら泳げるグループにいた。
正直、泳げなくても特に問題のない環境だった。
そんな中その授業では、
クラス対抗で、一人25mずつ泳ぐリレーが行われた。
(記憶があやふやなのだが、
もしかしたら50mだったかもしれない。)
泳げるわけがなかった。
何回も足がついて止まり、
いつしか泳いでるのは私だけ。
かわいそうに思われたのか、
異様に応援されてたような記憶がある。
みんなが25mを泳げるのが当たり前みたいな
状況にカルチャーショックを覚えた。
本当はこの記事で、
中学生の時のことを書く予定だったが、
転校先で馴染めなかった事を思い返すうちに、
たくさん書きたいことが出てきてしまった。
こんな風に、
場面緘黙症時代のことを吐き出すのは、
初めてなのでどう書いていいか分からない。
症状に関係ない自分の嫌な思い出だけを、
書いてるかもしれない。
だけどせっかくnoteを始めたので、
あの辛かった日々を外に吐き出したい。
それで少しでも変わればいいなと思う。
読んでいただいてありがとうございます。
つづく。