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天色ストーリー①❨キセキの進学❩【連載小説】

「じゃあ、お父さんもお母さんもいて、どちらも健康で働いてるけど、なぜかお金が足りないってこと?」
「そう。シンプルに貧乏」
「何それ」きゃははっとサイトウが笑い、つられて美彌子もつい笑った。

「子供の貧困」と聞いてすぐに思い浮かぶとすれば、シングルマザーが仕事に子育てにと1人で奮闘中だとか、何となく聞いちゃいけない複雑な事情があるだとか、そんな訳あり家庭のイメージ。だけど美彌子の家はサラリーマンの父とパート勤めの母、そして中学2年の自分と2歳下の妹、その5歳下の弟。わりとよくある、まあまあ普通の5人家族だ。

母は、朗らかで陽気で天然。
一家の太陽みたいな存在だけど、時として太陽の容赦ない熱さは、こちら側の予測を超えてくる。

「定時制高校のパンフレットもらって来たから」
昨夜、母は嬉々として、その冊子をひらりと美彌子の机に置いた。

あのね、お母さん。知ってると思うけど、私これでも成績はクラスで1番か2番、悪い時でも学年で10番より下に下がったことないよ。二者懇談の時、先生から市内トップのM高狙えるかもって言われたのも話したよね。それでも昼間の高校に、市内の普通の公立高校に行っちゃいけない?どうしても、お金ない?

そうやって聞くことは、美彌子には何故か出来なかった。
「昼間働けばお小遣い貯まるから、お姉ちゃんもその方がいいでしょう?」
即刻否定したいのに、そうさせない厄介さが母にはある。決して意地悪や嫌味ではなく、心からそう思って言っているのが、美彌子にはわかってしまうのだ。

それから少し経ったある日の夜のこと。
「お姉ちゃんとノンちゃん、ショウに話しがあるんだけどね」父が、珍しくかしこまった空気を纏い、美彌子と妹、弟の3人をリビングテーブルの前に座らせた。

まだ自分の高校入試まで1年半近くの時間があるのに、もう普通高校はダメの最後通告するつもりなのか。いくらなんでも早すぎる。もう少しくらい検討してくれてもいいんじゃないか。美彌子は軽く身構えた。

「今までも散々話に出てきたことだけどね、5人で住むにはこの市営住宅は狭すぎて、さすがに色々困難になってきている。お母さんとも話し合って、来年にでも家を建てて引っ越ししようということになったんだ」

家を、建てる?
家を建てるって、物凄くお金のかかることなんじゃないの?
今まで、友達の持ってるあれもこれもそれも「うちはお金ないから」って買ってもらえなくて、服も知り合いのお下がりが多くて、髪切るのだって「お金が勿体ないから」って未だに母のカットで我慢してる。挙げ句の果てには普通の高校へさえ行けないかもしれなくて、それで私がこんなに悩んでいるっていうのに、家を建てるの?そっちに使うお金ならあるの?

父と、そのすぐ後ろで何となく嬉しそうに見える母に向かって、美彌子がそんな風に言える筈もなく、じっと黙って俯いていたら鼻の奥がツンとしてきた。急にトイレへ行きたくなった風を装って、トイレへ入ると扉をぱたんと閉め、水をジャージャー流しながらさめざめと泣いた。

季節は陽射しの柔らかな秋の頃。
家を建てることに関しては、既に両親は正式な契約も終えたらしく、中学生の美彌子が今更どうこう出来ることではなかった。美彌子自身も、もう普通の高校は諦めるしかないと、学校でサイトウに愚痴を聞いてもらっては、やるせなさを紛らわせていた。
「でもさ、なんとかなるんじゃない?」
気楽に言うサイトウが、この時ばかりはちょっと恨めしかった。

下校して、お小遣い稼ぎの夕刊配達へ、いつも通り自転車で出た。それも終えて帰宅したら、ちょうどパート帰りの母とばったり出会う。家まであと数分の交差点だった。

「おかえり」
「おかえり」
並んで自転車を停め、赤信号が変わるのを待つ。

「今日ね、F団地に住んでるお客さんの所に集金に行ったら、お姉ちゃんのこと言われたわ」
「何て?って言うか、お客さんって誰?」
「スゴウさん」
「ああ、スゴウトモキんち」
「お姉ちゃんは頭がいいから上の方の公立に行けていいねって」
「それで何て応えたの?」
「でもうちはお金もないし、定時制考えてるって」

信号が青に変わった。
ここで母は何故か自転車に乗らず、そのまま押して歩き始めたから、美彌子もとりあえずそれに倣う。

「そしたらね、お金なくても大丈夫だよって。ほらスゴウさんの家はお兄ちゃんいるじゃない?高校生の」
「ああ、うん」
「就学援助が使えるみたい。今は、お母さんのパート代も合わせると援助のギリギリ範囲外だけど、小中学生のと高校生のとで、内容が少し違うんだって。だから多分大丈夫だよって言われたわ。まあ、お姉ちゃんも昼間の高校の方が良いならだけど」

「いいよ。そっちの方がいいに決まってるよ」間髪入れず美彌子は応えた。
「あら、そうなんだ」母は軽く驚いたような表情をしたが、すぐにいつもの呑気な笑顔になり、ペダルを踏んで自転車をゆるりと走らせた。

一瞬遅れて、美彌子もぐいっとペダルを踏み込む。
びっくりするほどそのペダルは軽くて、どこまでもずっと走れそうだった。

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