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天色ストーリー④❨この先の空が見えたら❩【連載小説】

美彌子の母は、不機嫌だった。

日曜日に行われた高校の二者面談に、珍しく母に代わって出席した父が、帰宅すると息せき切ってこう言ったのだ。
「お姉ちゃんの担任の先生に、娘の進学は考えていませんって言ったら、ものすごく驚いた顔で「なぜですか」って言われたんだよ」

当たり前じゃん、と美彌子は思う。
入りやすくて、入ったあとも家から通いやすいっていう安直な考えで選んだ高校。
市内のトップ校とは言えないけれど、それでも一学年450人のうち、就職組は片手で数えても指の余る進学校。その中でも、定期試験では常に上位10位以内に入る美彌子が進学しないなんて、先生が驚かないはずがない。

「だから進学校なんて、やめておけば良かったのに」
怒りにまかせて、母が吐き出す。

いやいやいや。
それおかしいよ、と美彌子は思う。
今の成績も、頑張って背伸びして入った高校じゃないってことも、お母さんだって知ってるはず。
なのにこの高校がダメだったと言うなら、どの高校へ行けば良かったって言うの。
そう言えば、と美彌子は思い出す。
中2の頃、定時制高校のパンフレットを手にして、お母さんは嬉しそうに私に見せてきたっけ。

「まあ、まだ時間はあるから」
父が、何となく無難にとりなす。「まだ2年生だから。お姉ちゃんが3年生になる頃、また皆でしっかり考えよう」

父は、大体いつも優しい。
その優しさから、数年前に友人から頼み込まれた30万円というお金を、貸す余裕などないのに消費者金融から借りてまで貸し、そこから常に返済に追われる身となった。
この家が経済的にここまで困窮しているのは明らかにその一件が大きいわけで、だから母が、お金のかかること一切に対して嫌味な態度を取ることについては、母だけを恨む気になれない美彌子だった。

今の家に引っ越したのは、美彌子が中3の秋だった。希望が叶って転校はせず、片道1時間半かけての越境通学が始まって、半年後に無事卒業式を迎えた。
元々住んでいた地域からだと学区外、受験もできない今の高校へ進学したのは、その中学校からは当然、美彌子1人。だから入学時には知り合いが全くいない状況だったが、部活を始めて友達にもそれなりに恵まれ、高校生活は順調だった。

「大島くんとのデート、どうだった?」同じ演劇部の久美が、目を輝かせながら聞いてきた。
「別に。映画観て、ご飯食べて、ただそれだけ」
「正式に告白とかされなかったの?」
「つきあいたいとは言われた。考えてみてって」
「やだー!映画とご飯だけなんてウソじゃない!」

美彌子は思う。
私の周りには、なぜかいつも恋愛至上主義者が集まる。中学の時のサイトウもそうだったし、久美だってそうだ。
それと比べると、私はそこまで恋愛に夢中になれない。中学時代につきあっていた相手とも、何となくフェイドアウトで離れてしまった。

「あーあ、美彌子はいいよね。」大げさにため息をつきながら、久美が言う。「勉強も困ってないし、何だか何も苦労がなさそう」

冗談じゃない。
冗談じゃない。
冗談じゃない。
私の家のことも家族のことも、知らないで。
苦労がなさそうなんて、勝手に決めないで。

「そんなことないよ。私だって、それなりに色々あるんだよ」思わず、ちょっと強めに反論する。
「そうなの?だけど私ほどじゃないと思う。K君に片思いして、もう何か月だと思う?」

悩み事のトップが恋愛だなんて、私からすれば、そっちの方がよっぽどぬるい人生だと思う。世の中の恋愛至上主義者すべてに、鉄槌を下したいような気分だった。

高校を卒業したあとの自分が、今の美彌子には全く見当がつかない。
遠くの空が、明るく晴れ渡っているようにはどうにも思えず、ただ途方に暮れるしかなかった。

もしもサポートして頂けたなら、いつもより少し上質な粉を買い、いつもより少し上質で美味しいお菓子を焼いて、ここでご披露したいです🍰