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8月1日(土)UPし忘れ-「死ぬ気でやれ!」

とは、きっと死ぬなという意味に違いないんですが、企業や部活でそんな指示を出したならとんでもない事態になってしまう展開は避けられないに違いなく。でも、大雑把にこの流れはそれで良いと思っている。

「一部を切り取って拡散された為に真意が伝わらなかった」みたいな言い方をよく耳にする。「一部を切り取って広められた」ことへの抗議ではなく、何を謝っているのかよくわからない謝罪会見やなんかで。「言葉が足りなかった」「説明不足だった」というのもある。

コピーライターは「長い」とか言っておこられたりするので、いっぱい文字数使える人は良いなあとか思ったりもするんやけどそういう話ではなく。一部を切り取られてヤバイものは、切り取る切り取らないに関係なくヤバイと心得ておいた方が良さそうです。

「善意で言ったことが曲解されてエライ目に遭った」というのも(謝罪会見に限らず)あるあるですが、認知の歪みがまったくない完全にフラットな人などまずいない以上「曲解」はなくならないし、そこに悪意が加われば……などと、これはまあ半分職業病かも知らんけど。あーあ。

日本語の文章では、主語ばかりか、述語が省略されることもよくあって、「うなぎ文」と呼ばれる端折った言い方がそれで。

「何食べる?」に対する「僕はうなぎだ」、「お父さんいるかな?」に対する「父は書斎です」などなど、僕=うなぎだったり、父=書斎であったりする訳はないんだけど、場面によっては成立してしまうやつ。

これ、場面を共有できている場合には何ら問題ない訳ですが、共有しようとするのが場面ではなく「常識」や「空気」だったりすると、途端に面倒なコミュニケーションエラーたらを引き起こすことになる。もっと言うと、そういったコミュニケーションエラーの起きやすい社会状況のせいにして、うなぎのようにニュルッと誤魔化して逃げることも可能(と思っている人がいる)であり、昨今ますます面倒なのは、実はこっちの方で。


みんなガイジンだと思って接することにしよう。



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