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禅機?

土曜ではないし夜でもないけど、振り返り関連雑記。包丁を軽く砥いだ後のバリ落としの仕種で記す。

歩けもせんクセして駆けて行かんとアカンようなことばっかり起きる人生を送ってきたが、昨今ようやく落ち着いた。と思ったら今度は、もう問題なく立って歩けるのに匍匐前進を強要されるような、ある種の理不尽を経験することになるなど、スラップスティックは言い過ぎかも知れないが、タイミングがズレる_世界の断層が可視化される瞬間でもあるのですが_というか。そこで、表題の何やよおわからんワードを想起。タイミングを逃さずチャンスを掴み取る為にうんぬんといった、オカルト・スピリチュアルのヴィジョンを浅ましく矮小化したような自己啓発たらとは関係ない。何がしたいか、その為にどう使えるか以前に、あり得ない出会いがある/あったという事実/経験を認知/自覚できるかどうか。
私が初めて《禅機》なる単語を見たのは、あるいは見たと記憶するのは確か高校時代、古書店で買った音楽雑誌に載っていたジョン・ケージのインタビュー。音楽の話を期待したんやけど、《禅》と《きのこ》の話ばっかりで訳がわからない。かろうじて読み取れたのは《鈴木大拙》という人名だけだったが、関連して何度も出てきた《禅機》も、意味わからないまま記憶にだけは残った。
てかね、実際のところ当人は英語で何と言ったのか。

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