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お茶を濁した問いかけ【日本語教師篇】

 答えようのない質問を受けることがある。イケズな質問者がわざとそういうのばかり投げてよこす、混乱していて何言ってるのか要領を得ない、など問いそのものに問題がある場合を除くと、答えられない理由はだいたい以下のようなもの。

 1.答えられるだけの知識や経験がない
 2.答えても伝わる自信がなく、もっと言うと誤解が拡散されるのが嫌
 3.馬鹿正直に答えた結果仕事がなくならないか不安
 4.質問者の態度が気に入らない

 最初のと最後のはあまりに身も蓋もないので除外するとして、「誤解が拡散されるのが嫌」だったり「仕事がなくならないか不安」だったり、要するに答えることで望まない結果を呼び寄せてしまうのを恐れているらしい。
「もしかするとヤバいかも知れないから黙っとこう」
てな感じで昨今の「一般的」な潮流と変わらず、少なくともこの点に関して自分の「変さ値」はかなり低いようだ。
 生きる為に必要な危険察知能力を超えて、《暴走した想像力が生み出す不安や恐怖とどう付き合うか》。人類にとっての重要な課題をさらっと書いてしまったが、話が大きくなり過ぎるので、ここは「職業人としての立場から」の話に限って。
 職業人といっても、私は既に何者なんかよくわからん日々を送っている。その一つひとつを切り出して、まずは比較的新しい「日本語教師」として、質問を受け、答えたり答えなかったりする場合。中には、非常にナロウというのか特殊なことを訊いてくる人もいなくはないが、いわゆる「よくある質問」というのはあるようなので、思いつくままに。

☆Q.1:日本語教師って儲かるの?(食っていけるの?)
 質問者(主婦を含む)は、いわゆるパートや副業として何をやろうか思案中の人、転職したい人、定年後の仕事やその為に必要な資格取得などについて思案中の人、(学生含む、たぶん「専業」の)日本語教師目指して勉強中の人あるいはこれから目指そうかなと考えている人など。ざっくり、未だ日本語教師じゃない人たちだ。
 お茶を濁してしまう理由は、一口に日本語教師と言ってもいろんな働き方があるし、収入にも個人差が大きい(と思われる)から。一概に「ええ、もちろん」とも「さっぱりですわ」とも答えられない。

☆Q.2:日本語教師の給料は安すぎると思いませんか?
 質問者は既に日本語教師デビューを済ませた人で、先輩の場合もあるが、多くの場合日本語学校その他の「被雇用者」で、自分でレッスン料を設定できない働き方をしている。これなんか「馬鹿正直に答えた結果仕事がなくならないか不安」だから答えられない質問の典型例だが、もう一つ警戒することがあり。「安すぎると思いませんか?」に続いて「一緒に声を上げましょう」などとある種の労働運動のようなことに勧誘される場合などわかりやすいんやけど、自分の答えを都合よく利用されるのは嫌なので、そのへんの意思表示はハッキリと行うようにしている。
 そうそう、関連して、次のような質問をいただいたこともある(※わざと極端なニュアンスに書き替えています)。

☆Q3.諸事情あって日本に逃れてきた人に日本語を教えるのは大切な仕事だが、そのような人たちが高い授業料を払えるとは思えない。ビジネスとして考えるなら、やはり富裕層にターゲットを絞るべきか?
 
自分には答えるだけの知識も経験も……というより「好きにしろ」という話だが、一つだけ言うなら、私としても、外ヅラだけは一見愛想良く、実質は受け入れ校の頑張りとNPO&ボランティア頼みだったりする国の姿勢を不誠実だと感じることは確か。
 日本語教師以外の仕事で、某法人の企業向け「無料省エネ診断」関連コンテンツを何年か担当させていただいたことがある。ネーミングの通り、企業は無料で「省エネ診断」を受けることができるが、実際に現場で「診断」を行う「エネルギー診断士」の人たちは、決してノーギャラで働かされている訳ではなく、もらうべきものは、ちゃんと国からもらっていたようだ。

☆Q.4:教科書があるのに、そこに載ってないオリジナルの導入例文を考えたり、教案を書いたり、日本語教師への負担は大き過ぎると思いませんか?
 
日本語学校勤務の先生をしている人からよく聞く話で、Q.2とセットになっている場合が多い。「教師への負担」が問題になっているのは、何も日本語教育に限った話じゃないですが、いろんな話がごっちゃになったままなので答えにくいことは確か。私が「混同しないように」気を付けているのは、次の三つの観点です。
☆1)自分が働いている職場の労働環境及び労働条件の問題
☆2)そこで指定されている教科書についての問題
☆3)日本語教師としてのスキルアップの問題
 まず、「1」のケースについてはパス。
 次に、「2」のケースについてもパス。その教科書の版元出版社や競合他社の利害関係者からの質問だったりすることもあるので、そこはそれなりに対応するまでだ。
 さて、「3」について。「1」の問題や「2」の問題と完全に切り離して考えることなんてできるのかと問われたら、もちろんできませんと答える。答えるのですが、
教科書に載ってないオリジナルの導入例文を考えたり、教案を書いたり」
することが日本語教師としてのスキルアップにつながることは間違いない。と、これだけはハッキリ言えると思います。
 また、そのまま読み上げるだけで授業としてある程度成立してしまう教科書があったとして。オリジナルの導入例文を作ることも、教案を書くこともなく、それなりの授業ができるんだろうけど。そんなことを日々続ける結果「その教科書がなければ授業ができない」日本語教師になってしまうのは避けられない訳で、それで良いかどうかは、各自が判断することでしょう。
 関連して、私よりも更にキャリアの浅い先生から、次のような質問を受けたことがある。

☆Q.5:「未習語彙はNG」って、そんなに大事なことなんですか? 通じなかったら言い直せば済む話では?
 
一般論でしか答えられませんが、というより答えたくないのでそうするが、特に初級学習者の場合、教師が自分の知らないコトバを発話する度に集中力が削がれ、新しいことを学ぶ為のメモリが無駄遣いされることは確か。だから、間違いなく大事なことだと思います。あと、副次的なメリットとして、使える語彙に縛りをかけて話す練習をすると、「やさしい日本語」の運用能力が向上する!
 もちろん、中上級になると話は別です。相手の発話の中に、自分の知らない語彙が結構混じってるんだけど、どうするか_「わからない語彙」についてその場で質問するなどして確認するのか、「わからない語彙」を「わからない語彙」として意識しつつ一時保留してやりとりを続けるのか、といった「ストラテジー」が重要になる学習段階です_。この段階では、学習者が知らない語彙をわざと適量ぶっ込んでいくことは、むしろ必須とも言える。通じなかった場合についても、「言い直せば済む話」ぐらいの心づもりで良いような気がします。


 次回は【コピーライター篇】を。


 


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