10月24日(土)メッセージ
2017年公開のSF映画『メッセージ』をネトフリで観ようとしたところ未だ配信されておらず、Amazonプライムビデオなら200円だったが何でか悔しく結局未だ観ていない。
しかし、<メッセージ>にはあまり良い思い出がない。
「この曲にはメッセージが込められていて素晴らしい」とか言って奨められた音楽を聴いてみると歌詞が激しく政治的で、ポジショントークとも言えるストレートな主張か、理想主義的なそれかのどちらかが多く。聴くのは特に嫌だと思ったことはないが、それについて話すのは好きじゃなかった。
「君は、この1行にどんなメッセージを込めたかったのか?」と問われた際の、自分が使っているのと違う種類のモノサシを無理やりあてがわれたような違和感も、どちらかと言うとウンザリするものだった。しかも、未だ世に出てないものについて何で過去形で尋ねる? まあそれはそれとして、きっと「違うモノサシ」に慣れることが職業的習熟なんだろう、と無理やり思い込もうとしても、それにしたって今提示されたモノサシじゃ駄目だろうという感覚の方が強かったりで、やっぱり自分この仕事向いてないのではなかろうかというオチに至るのが常だった。
「向いている」とは何か? 自分は日本語教師に向いているか。いわゆる「教えたがり」の人は、自分が直接知る人の中にも相当数いて、乞われてもないのに……という場面も、何度も見ている。自分は違う。どちらかと言うと他人にものを教えるのは好きではない。なら何で? わからない。こういうのを天邪鬼と言うのかも知れない。
何や知らんきょうの振り返りはネガティブだ。気分はそうでもないのに、文面がネガティブ。
映画『メッセージ』を観る前にとりあえず、自分のメモ書きを検証してみるつもり。
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<インプロヴィゼーションとチャンスオペレーションが尊重されない国において、サピア=ウォーフの仮説はだいたい正しい。>
※写真は、実際のレッスンやプレゼンで一度も使ったことのない教具。
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