見出し画像

記号接地問題/Chat GPT/コモンセンス

 

記号接地問題


今井,秋田共著『言語の本質_ことばはどう生まれ、進化したか_』中公文庫,2023年 「はじめに」より

・・・記号接地問題は、もともとは人工知能(AI)の問題として考えられたものであった。「〇〇」を「甘酸っぱい」「おいしい」という別の記号(ことば)と結びつけたら、AIは〇〇を「知った」と言えるのだろうか?/この問題を最初に提唱した認知科学者スティーブン・ハルナッドは、この状態を「記号から記号へのメリーゴーランド」と言った。

 これを読むまで、私はこのタームを知らなかった(または、すぐ使えるカタチでは記憶してなかった)ので、《リアル》に《接地》していない言葉を指すのに、いろいろとややこしいことを言っていた。〈直接体験を指せないシニフィアン〉、〈《リアル》に届かない浅い階層の記号〉etc.
 一方、〈《リアル》に接地している言葉〉の方は、例えばこんな感じ。→ 〈言葉を必要としない《それそのもの》〉、〈不立文字の禅的シニフィエ〉、〈共通体験ありきで初めて通じる言葉〉、<体験とセットになっている記号>等々。

 以上、私が使う<記号接地>というタームの出どころを示す意味で引用しましたが(この本、オノマトペの話とか無茶苦茶面白いんですが、内容に触れるのはまたの機会に)、コミュニティづくりや人的ネットワークの形成を考える上で《記号接地》が重要な視点なのは確か。ざっくり言って、自然発生的に生まれるネットワーク上の絆は共通体験をベースに生まれ育つ。これを人為的に行ったのが、例えば《イニシエーション》儀礼を中核に保持伝承するフラタニティ団体だったりするのであり。


Chat GPT


 さて、ChatGPTなどの生成AIが扱うのは、まさに、《リアル》に《接地》しない《記号から記号へのメリーゴーランド》を続けている言葉たちですが。
「だから駄目なんだ」とは、どうも言えないようです。言えないどころか、更に言えば、コモンセンスもまた、まさに、《リアル》に《接地》しない《記号から記号へのメリーゴーランド》から生まれたものにほかならないからだ。


コモンセンス


 リアルの体験に接地する言葉は尊く、接地しない言葉は安っぽい。(ある意味で)それはそうなんだろうけど、そのあたりに固執するあまりの傲慢な物言いの例を。
(※下記の例は、筆者が頭の中で勝手に作文したものです)

1:「DVを受けた経験のある者だけが、DVを語る資格を持つ」
2:「被災者だけが、震災を語る資格を持つ」

 リアルの体験に接地する言葉は、確かに強い。しかし、特定の話題についてそのような言葉を発することのできる人は数の上では少数派だし、リアルの体験を持たない人から発言の機会を奪うことは、開かれたコミュニティ形成の足枷になる。
 開かれたコミュニケーションには、リアルの体験に接地する言葉と、しない言葉が混じる。どちらが多いかは明白だし、それを良しとするところからしか、例えば、コモンセンスは生まれ得ない。と思うのです。
 コロナ禍が、コミュニケーションのベースとしての新しい共通体験になってはいるけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?