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「嫌」と「面倒」

 断酒断煙がらみでもう一回。

 土曜の夜、つまり昨夜の「振り返り」の際、気づいたことが二つ。

 一、自分にとって「断酒」とは、嫌なことを止めることだった。

 二、自分にとって「断煙」とは、面倒なことを止めることだった。

 以上が今週の気づきな訳ですが、以下若干の説明を。

 まず断酒。酒を飲むことが嫌なのではなく、酒を飲む自分が嫌になったのでもなく。何が嫌だったのかというと「酒飲みキャラ」が既定路線になりつつあるのが嫌だった。

 ある時期、なるべくTPOたら無視して、と言っても逮捕されたり致命的な結果を招かない範囲内でのことなんですが、とにかくその時々にやりたいことを即座にやってみるテストを積極的に行っていた。外で誰かと会って何か話したりする際、昼間であるにも関わらず自分だけアルコール飲料を注文する(仕事関係の打合せだとよーせん訳ですが)。すると、同席者は何でか喜んでくれた。喜んでくれたのは良いが、次の似たような場面で普通に紅茶か何か注文すると、なぜか少しがっかりした表情だったり。これは申し訳ないなと、慌ててメニューの中から本当は欲しくもないアルコール飲料を探してみたり……。

 そんな感じで、一周回って以前と同じようにいや以前以上に空気を読んでいる自分に気づいて嫌になり、私は断酒を決意した。

 断煙の場合は、少し事情が違い。まず、喫煙できる場所や時間がだんだん限られてきたため、喫煙という習慣そのものが面倒になってきたという経緯がある。

 いつでもどこでも煙草が吸えるという社会は、非喫煙者にとって不快で有害なものだ。煙草を止めてみると、そのことがよくわかる。わかるんですが一方で私はマイナーな趣味の楽しさを知っており、社会的に肩身が狭くなりつつある喫煙趣味_単なる中毒症状を趣味と言って良いのか微妙なところではありますが_についてもそれを感じていた。何と言うか、同好の士には、ごちゃごちゃ説明せずとも伝わることが多い。

 喫煙コーナーにも、

「雨の日のセブンスターは良いですね」

といった独り言に近い一言に共感してくれる人がいたりする。

 そういった場所がだんだん少なくなり、狭くなり、喫煙という習慣を続けるのが面倒になった。というのが実際のところ。

 他人に誉められるような行いは、得てしてその程度の動機からはじまっている場合が多いようだ。写真はフラワーロードを歩いている時の視界。

 


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