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依存比べ/体感の信憑性

 先日の振り返り雑記で、体験的断酒断煙についてチラとだけ触れてまた後日みたいなこと言ってたと思うので、続きを。

 体感的に、「断煙」は難儀だったが「断酒」は意外と楽勝。だったんですが、実は、物質としてのアルコールの依存性は最強で、ニコチンよりも強いんだそうで。ちょっと振り返りたく思い。
 と言っても、その「依存性」たらはどんなふうに定義され何を基準に数値化された指標か? といった細かく面倒なことや、そもそも自分にとって大切な人やモノはすべからく「依存」の対象とも言えるといった深いのか単にアホなのかわからない話でもなく。
「それ、体感とぜんぜん違う!」
と、気になったのはただその一点。
 ごく大雑把な話ではあるのですが、何かにつけて、やっぱり信用できるのは自分の体感! なのは、まあ仕方ないとして。ともするとその信用を、適応してはいけない対象にまでそのまま適応してしまっている場合も、結構あったりするんじゃないか。
 煙草はもう何年も吸っていないが、酒はまた飲みはじめている。断酒があまりに簡単だったので
「こんなモンいつでも止め(ら)れるわ」
と思ったからですが、考えてみるとこれ、いかにも依存症ぽいロジック。止めるのは簡単だと相手が油断した隙を突いて再び襲いかかるという、狡猾な彼らのやり口に翻弄されてる感もハンパなく。

 あと、アディクトとは直接関係ないかも知れないが、プロダクトというかパッケージデザインは、やはり大きいと思う。
 日本はアルコールに関する規制が緩く、酔っ払いに対して甘い国。という話については、私も同意。だが実際には、アルコールは「いつでもどこでも」とはいかず、摂取できるTPOは意外と限られるようです(もちろん、気にしない人は気にしないだろうし、個人差はありますが)。
 煙草の方が、喫煙可能なエリアや時間帯はもっと限られるけど? だから、プロダクト/パッケージデザインなんであり。
 まず、煙草の場合はポケットに入れて持ち歩ける。だから、少ないチャンスを活かして着実に摂取できるので「吸えない状況」が生まれにくい。
 ウイスキーにも「ヒップボトル」などというものがあるが、少なくとも私の場合、それをジーンズの尻ポケットに入れて持ち歩いたことはなく。持ち歩いたとしても、街中に「ヒップボトル立ち飲み所」などなく、人目につくところでグビグビやるには(私の場合)かなり勇気が必要。更に、ビールの缶にしろ、日本酒や焼酎のカップにしろ、見るからにいかにも「お酒」過ぎるから、いきなり逮捕されたり罰金を科されるなどされる心配はなくとも、道を歩きながら飲んだり、公共交通機関に持ち込んで一杯やるなど(車内販売を利用する場合を除き)やはり私にはできなかった。
 煙草の場合、チョコなんだか何なんだかわからないようなパッケージがあったり、そうでない場合もシガレットケースを使えば充分にカモフラージュできたりもするが、アルコール飲料の場合は無理! 
 思えば、上記のような事情に助けられていた面もあるのであり。
 私が20代の頃、「ペンギンズバー」という商標のライトビール(※トップ画像参照)があって、実は密かに復刻を願っていたりするんですが、あれなんかだと、TPOをさほど気にすることなく飲めそうな気がする。とは言え、昨今の客観を見渡す限り、「周囲の目を気にせずいつでもどこでも気軽に飲めるアルコール飲料」などという狙い方自体「反社会的」とも捉えられかねないので、やはり無理か。でも、この不自由こそが、断酒の味方だと思っている。

サントリービールのCM動画貼っておきます
※ペンギンズバーのCMではありません。


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