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12月7日(土) やさしい日本語

  iPhoneのAir Dropとゆー機能初めて使ったんやけど、音質も劣化することなく素晴らしいね。

 年明けから週一で「やさしい日本語指導者養成講座」というのを受講するよう段取りしていて、今日はプレ授業を受けてきた。断っとくけど、「やさしい日本語指導者」なんて国家資格がある訳じゃないので、それを保有することで弄せずして儲けてやろうとか、有資格者として尊敬されたいとか、ヤタねコレでモテモテじゃんと妄想したりとかそーゆー幼少期の劣等感を永遠に引きずり続ける体躯の短い権威好き小暴君、みたいな恥ずかしい考えは流石にない。考えがないとゆーか、そうはいかない訳ですから、せめて「やさしい日本語」に習熟し、場合によっては「指導」できるぐらいまで鍛えとこうか、と。まあそんな感じで。

 「やさしい日本語」とは、超大雑把に乱暴に言うなら、「署名してください」より「なまえを書いてください」の方がやさしいでしょう? とゆーもので。注目される理由はいくつかあるが、これまた超大雑把に乱暴に言えば、予算とか予算や予算などの事情による「多言語対応」の限界を何とかできる、かも知れないから。とゆーのが大きい。んやと思います。ほんで/ 広告文に用いられる日本語は「やさしく」なければならない。教科書的な書籍でよく目にしたが、当時の広告文を「やさしい」と思った記憶はない。無駄に平仮名の多いコピーはかえって読みにくいし速読にも向かなそう。「小学生でもわかるように」とか何とか言いつつ日本語を母語とする成人対象に書いていた(+そーゆー姿勢で書くよう指導していた)人らの態度は不遜とゆーか恥ずかしいとゆーか、酷く醜いものに思えた。

 今話題になっている「やさしい日本語」は、そーゆー浅ましい思い上がりとは無縁なので、機会あるごとに誤解を解きつつ精進していきたい。





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