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「飽きる」を求めて。

新しいものを試そうと思うときって、はじまりはどこからなのだろう。

これが、という答えは別にないものなのだろうけど。
でも、自分の中で、ああ、こういう感じは覚えがあるな、という感覚はある。

別のことを検索していて、ふと目に止まった一つのワード。
どういう意味なのか分からず、ググってみる。
へえ、こんなのあったんだ。結構面白そうだな。
気がつくと元々検索したワードを忘れるくらい、そのことについて調べ始めている。

これは人によって大きく違うのだろうけど、個人的には何かを始める前に割と下調べをする方だと思ってる。

ただ、入念に、と書こうとして止めた。
なぜかと言うと、いつも大体下調べをする間にそのこと自体に飽きてきて、じゃあ実際にやってみるか、というふうになることが大抵だからだ。

かと言ってその下調べのときが無駄だったかというと、そうではないと思っている。

下調べをする時間は、自分にとっては良い悪いも含めてとにかくいろんな情報を自分に垂れ流す。
そして、それらを自分の中にあるフィルターにかけてみる。

一つ一つ立ち止まって考えたりはしない。
とにかく、水のように流す。
そうしてそのものに対する自分の中の印象、イメージを作り上げていく。

この人はこういうメリットを言っていた。
そのメリットは確かにあるけど、今の自分に必要だろうか。
この人はここがデメリットだと言っていた。
でも、自分ならそれの解決策が思いつくから、大きな支障にはならなさそうだ。
逆に誰も書いてないけど、日曜の夜ってのは個人的にはあまりいい時間じゃないかな。

そんなことをひたすら考える。
書き出したりもあまりしない。
ただひたすらに積み上げていく、感じ。

そんなことをしていると、だいぶ自分の中の答えが固まってくる。
そして、ある時よし、となる。
それが自分の中では「下調べに飽きた」と感じるときだ。

結局、下調べはしてるんだけどあまり考えず直感的に選択しているんだと思う。
だけど、個人的には理屈で考えるより直感が向いたときのほうが結果として長続きするときが多いな、とも思う。

一気に動くんじゃなくて、事前にモチベーションをチャージしておいて、ちゃんとエネルギーを貯めてから発進する、っていうイメージだろうか。

短期間の選択ではそういったことが意識できているけど、長期的な選択になるとまだまだからきしだ。
これを書きながら、ああ、全く別のやり方で見てしまっているな、とつくづく反省する。

もちろん感情的な部分を長期的に維持するのが難しい、とかそういうのはあるんだろうけど。

それとは別に、やっぱり自分なりのやり方、納得をしやすい結論の出し方はあると思う。
事の大小に関わらず、同じように考えを持って答えを導き出せるようになりたい。

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