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よく行く場所で、死を想う。

家からほど近いところに、がんセンターがある。
県立、とつくくらいだから、結構大きい施設だ。

前の職場で以前がんに罹った方が、そこに通っていたと言っていた。

普段、何気なく通るその場所。
でも、そこから見る景色は、人によっては最後の景色になるものかもしれないな、と思った。

がんという病気について

正直、がんのことは全くと言っていいほど分かっていない、んだと思う。
幸運なことにまだ直近の家系でがんと診断された人はいないし、自分自身もなったわけでもない。

それでも、その場所に行くとどうしても意識してしまう。

自分の中でがん、という言葉を聞くと、一人の人が浮かんでくる。
幡野広志さん。写真家の方であり、血液がんを患っている。

本を読んで、その言葉に激しく心を揺さぶられた。
詳しい経緯とかは以前noteに挙げたので、もしよければご覧ください。

あれから2年が経とうとしていますが、未だに鮮明な思い出として強く残っています。
それと同時に、様々な自分の知らなかった世界を見ることが出来ました。
その一つが、がんという世界です。

がんは、さまざまなものを壊してしまう。
その人の健康だけでなく、周りの人間関係も。

それは、がんは知らないけど、父親が統合失調症になったときに、自分もうすうすと感じたことだった。
全く一緒とは思わない。
でも、通ずるところがあった、と勝手に思っているし、だからこそ、直接話を聞きたいと思うほど共感できたのだろう。

そして、その病気と闘う人は、幡野さん以外にも大勢いる。
その人たちが、この場所にはいるんだ、と感じる。

焦りと、あきらめと。

そこを通るのは、わざわさ出向いているわけではない。
車を借りに行く道すがらだったり、ちょっと散歩で行くのにちょうど良い距離だったり、そのあたりから見える空が好きだったりするので、そっち方面によく足を運ぶ。

そして、建物が見えるたびに、いろいろなことが頭をよぎる。
今、これでいいのだろうか。
いつか、この中に入る立場になった時はどうするんだろうか。
そうなる前に、なにかやらなきゃいけないんじゃないか。

全く根拠のない不安だ。
けど、可能性がゼロってわけではないし、国民病といわれる病気だ。
それ以上に、そのものが、現実に、目の前にある。
これだけの大きい建物と、専用の設備を必要とする人がたくさんいる。
その事実が、大きく自分の前に立ちふさがっている気がする。

でも、それはたまたまがんセンターが近くにあって、幡野さんと話したことがあるから、自分がよく見えているものに気を取られているだけだな、とも思う。

人は知らないものには興味を持たない。
脳に入ってくる多くの情報は、処理する段階で不要と判断してスルーされてしまう。

最近、街の中で鳥をよく観察している。
街なんてせいぜいカラスとスズメとハトくらいだと思っていたけど、鳴き声に耳を澄ませるともっとたくさんの種類がいることに気づく。

今までも聞いていたし、見ていたはずなのに、全く気に留めていなかった。
それは知らなかったから、意識に入ってこなかったのだと思う。

それと同じで、知らないものにはなかなか興味を持てない。
だから、例えば他の病気で悩む人のことは、正直に言って分かってない。

だけど、全部を知ろうとするのはあまりに難しい。
それができる、と思うこと自体が傲慢じゃないか、と思う。

そして人生には何が起きるかわからない。
だから、目の前にあるものだけを気にして、闇雲に焦ることは無意味だな、と諦めに似た気持ちも覚えた。

だけど、それは知っていることを知らないふりすることではない。
かと言って、知らないことを置き去りにすることでもない。

知らないことがあることを想いつつ、知っていること、目の前のことにしっかり向き合う。
こうして書いてみると当たり前のことなんだけど、それを意識するしか無いんだと思う。

終わりを考えること。

いまを生きていると、どうしても終わりのことには意識が向かなかったりする。
実感がない、ということもあるし、目を背けたい、ということもあるんだと思う。

でも、それ以上に、やはり死、というものを知らないから、意識が向かないんだな、と個人的には思う。

知らないほうが良いものではあるのかもしれない。少なくとも、それは幸運な状況なのだろう。

でも、何事も続くことを前提に考えてしまいすぎないほうがよさそうだ。
自分だって、死ぬまで行かなくとも、働けなくなったこともあるし、離婚も経験した。

よく言われることだが、「明日人生が終わるとしたら?」という問いと似たものなのだろう。

でも、それを漠然とした頭の中で思い描く空想ではなく、物理的に存在する空間のなかで、考える。
目の前に見えている景色が、本当に最後の物となってしまう人がいる。
その人が、このベンチに座っていたのかも知れない。

今見ているものは、そういう景色だ。

幡野さんに撮ってもらってから、密かに写真を撮ることも気になってる。
自分が見ているものを、とても簡単に残しておけるのってすごい。

ベンチに座りながら考えたことを忘れたくなくて、シャッターを切った。

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