恋する乙女は可愛い。featイノチミジカシコイセヨオトメ/クリープハイプ
今日は田村さんと飲む約束をした金曜日。夜、21時35分、中野駅、商店街の前の広場。Twitterを上下にスクロールして、携帯をいじる振りをしながら、田村さんを待つ私。タイムラインの情報は、何一つ頭に入ってこない。田村さんがいつ登場するのか、そのことだけに脳と心臓が支配される。
実は、仕事を早めに切り上げて18時半頃には一回家に帰った。そこからシャワーを浴びて、髪を巻いて、化粧をし直して、新調したピアスと服を身に付けた。だけどバッグはそのままで、仕事帰りであるかのように装った。とてもじゃないけど誰にも言えない、この恥ずかしいまでの用意周到さ。「恋する乙女は可愛い」と言うけれど、
皆さんは「恋する乙女は可愛い」と思いますか?
準備万端すぎる支度が終わり、待ち合わせの中野駅に向かう電車の中で、私は「どうすれば田村さんと付き合えるか」をずっと考えていた。まだ田村さんが私のことを好きだという確証はない。そして、私が田村さんのことを好きだという事実も、恐らく田村さんはまだ知らない。
経験からして、成就する恋愛には法則が3つ存在する。1つは「私が相手に恋愛感情を抱いていること」2つは「相手が私に恋愛感情を抱いていること」、そして最後の3つ目は「双方の恋愛感情の大きさが均等であること」恋愛とは、お互いの恋愛感情の均衡を保つやり取りだ。
この法則にのっとれば、今私の田村さんへの恋愛感情が「5」だとしたら、田村さんの私への恋愛感情も「5」でなければだめなのだ。「付き合う」という行為は、商談に似ている。
「私が5をあげる代わりに、あなたからも5をいただきたい。」
「うーん、5は少ないですね。あなたから6をもらえるなら話にのってもいいですが。」
「6と5では等価交換にはならないわ。」
「・・・じゃあ、この商談は交渉不成立ということで。」
「そんな・・・、分かりました。私からは6を差し上げましょう。」
「分かりました。それでは、付き合いましょう。」
差分を抱えたまま付き合うとどうなるか?「1」という差を埋めるために、私はそれ相応の我慢を強いられる。不安の蓄積、自己主張の機会損失、身体の消費化、その「差」は私に様々な苦悩を与える。そしてそれは「我慢の美学」の名のもとに、あたかも献身的で健気な恋する乙女像を作り上げる。それがどうしようもなく無価値な自分を救うための、なぐさめとなる。
もうすぐ、中野駅に到着する。私の恋愛感情が「5」だとしたら、田村さんの恋愛感情は、今いくつだろうか。そんなことを考えていると、電車の窓に、イマジナリーフレンドのデストルドーが映った。
「デストルドー、なんで今ここで現れるの…?」
デストルドーは、そんな私の質問にはお構いなしに脳の中に語りかける。
「中学生の時の初恋の相手は、5回も告白したが実らなかった。高校生の時の初めての彼氏は、親友にとられた。大学生の時好きだった先輩は、身体だけの関係だった。だけどどれもこれもお前の素敵な思い出だろう?恋する乙女の美しい物語だろう?忘れたくない記憶なのだろう?」
「うるさい!私の中に入ってこないで!」
中野駅に到着し、私はデストルドーから逃げるように、足早に待ち合わせ場所に向かった。息が荒れる。確かに、今までの私の恋愛は全て上手くいかなかった。上手くいかなかったけど、その時に感じた相手への好きという気持ちは本物だった。だから、それはそれでいいじゃない。上手くいったとか、上手くいかなかったとか、どうでもいいの。私の中の美しい物語なの。
今日は田村さんと飲む約束をした金曜日。夜、21時35分、中野駅、商店街の前の広場。Twitterを上下にスクロールして、携帯をいじる振りをしながら、田村さんを待つ私。タイムラインの情報は、何一つ頭に入ってこない。田村さんがいつ登場するのか、そのことだけに脳と心臓が支配される。
そして、私の目線の右斜め先、おもむろに田村さんの姿が現れる。
気付かないふりをする。必死に携帯に目をやる。手が震える。
田村さんは、私に気づき、どんどん近づいてくる。
「来ないで」
とそう思った。恋する乙女のドキドキではない、もはや恐怖だ。また同じ失敗を繰り返し、傷ついてしまうと悟った身体が本能的に危険信号を発している。
「よ、遅くなってごめん!」
田村さんが私に声をかける。恐る恐る田村さんを見る。
下はスウェットのジャージで、上はありふれた色のダウンを着て、カバンも持たず、財布をジャージのポケットに突っ込んだまま、田村さんが柔らかな笑顔を向けて私の前に立っている。
一回自宅に帰って、シャワーを浴びて、髪を巻いて、化粧をし直して、新調したピアスと服を身に付けている私とは正反対だ。ああそうか、「恋する乙女は可愛い」というけれど、多分違う。どこまでも自分に自信がないだけだ。
「私の恋愛感情が5だとしたら、田村さんの恋愛感情は、マイナス500くらいなのかも。現時点で。」
私はそう思った。デストルドーの言うように、私が経験するすべての恋は絶対に叶わないのかもしれない。