中銀カプセルタワーマンシオンB棟の人

中銀カプセルタワーマンシオンB棟の人です。マンションから退去するまでの100日間を振り…

中銀カプセルタワーマンシオンB棟の人

中銀カプセルタワーマンシオンB棟の人です。マンションから退去するまでの100日間を振り返ります。

最近の記事

まさかの延期(退去まであと1日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

退去が延期になりました。 振り返れば、何度も取り壊しの計画が浮上しては、流れていったのがカプセルの歴史でもあります。 2007年に住民総会で解体が決まりましたが、世界中を襲ったリーマン・ショックで解体を請け負うはずだった建設会社が倒産し白紙に。 そのおかげで、私はカプセルに出会えたわけです。 これまでに比べると、いよいよ、厳しい状況であることに変わりはありませんが、ひとまず、すぐに更地になることはないようです。 予想をしていない事態ではありますが、実は、あまり驚かない自分

    • いらっしゃいませ、スナックカプセル(退去まであと2日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

      不思議としか思えないのですが、カプセル住民とは、カプセルとまったく違う場所で、すでに接点があることが少なくありません。 10年以上前の勤務地でお世話になった方を通して付き合いが生まれた映画プロデューサーさんが、実はA棟の住民だったり。 何度かお仕事をお願いしたことがあるライターさんとエレベーターで鉢合わせたり。 そのどれもが、建築というある意味〝ベタな〟接点ではないのが、カプセルらしいのです。 だから、ゆるやかな交流が続いているし、保存活動も肩肘張らず、場合によっては〝取

      • ひと足先に旅立つ先輩ビル(退去まであと3日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

        ある夜、暗渠となった築地川沿い歩いていた時、目の前に見慣れないフェンスが現れました。 旧電通本社ビル解体工事の囲いです。 旧電通本社ビルを設計したのは、黒川紀章氏の師匠にあたる丹下健三氏です。 このビル、実は壮大な「築地再開発計画」の中心的役割を果たす建物として考えられました。 「築地再開発計画」は、都市自体が増殖し成長していく、丹下氏が考えるメタボリズムを体現するものでした。 丹下氏起用を決断したのは当時の電通社長の吉田秀雄氏です。 吉田氏は、「鬼十則」というモーレツな働

        • ゴミ置き場を占拠する除湿器(退去まであと4日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          退去する人が増えるに従って賑わってきたのが粗大ごみ置き場です。 その人らしさが出るのが粗大ごみですが、「中銀カプセルタワーマンシオン」においては、そこにカプセルらしさが加わります。 ダントツで目立つのが除湿器です。 しかも、だいたい同じメーカー、もしかしたら型番も同じです。 ある時は、除湿器が3台、横一線に並んでいたこともありました。 これは、カプセル住民の知恵の積み重ねで、一番使い勝手のいい製品が共有されているからです。 そうやって、様々な障害を集合知で乗り越えてきたのか

        まさかの延期(退去まであと1日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          せっかくなので撮影会(退去まであと5日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          退去が迫っていることで決断したのが撮影です。 ご縁のあったカメラマンにお願いすることにしました。 世の中の人の多くはカプセルについて詳しくありません。 なので、そういう気持ちで見た時のカプセルの一番いい写真を残してほしいと思い、私のこだわりはあえて廃して、全部おまかせにしました。 撮影時間、ポーズ、表情などなど、言われるがままに撮ってもらうことにして、服装も「何がいいでしょう」と聞いたら「一番リラックスできるもので」と返され白シャツになりました。 集合時間は朝の9時。 実

          せっかくなので撮影会(退去まであと5日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          マクルーハンが言ったかもしれない「カプセルはメディアである」(退去まであと6日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          メディア研究の大家として知られるマーシャル・マクルーハン氏は、様々な解釈が成り立つ数多くのとらえどころのない言葉を残しています。その中に、現代のスマホを中心にしたインターネット社会を予言する考えとして、メディアを「身体の延長」ととらえる持論を展開しました。 メディアは媒体とも訳されます。媒体とは、何かと何かを橋渡ししたり、つなげたりする存在です。 そう考えると、「中銀カプセルタワーマンシオン」は、まさにメディアとして、様々な人や考えをつなげています。 住民同士の飲み会「カ

          マクルーハンが言ったかもしれない「カプセルはメディアである」(退去まであと6日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          取材で毎回、言うことが違う(退去まであと7日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          カプセルの行く末に暗雲が立ちこめると増えるのがメディア露出です。 私も時折、取材をしていただくことがあり、そのたびに色々な受け答えをしています。 でも、同じカプセルの取材なのに、その場の雰囲気で答えが変わってくるから不思議です。 カプセルに出会った経緯、購入したきっかけ、使い方などを聞かれるのですが、やはり、「あなたにとってカプセルとは?」という質問は、来るとわかっていても、なかなかすっきり答えることができないでいます。 保存をしたいという積極的な思いがある一方で、どこ

          取材で毎回、言うことが違う(退去まであと7日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          芳賀書店に初めて入った日(退去まであと8日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          カプセルに関わる人は、それぞれの方法でその思いを伝えています。 2021年4月、神保町では、カプセルのZINE発刊を記念したイベントが開かれていました。 カプセルの住民を交えて開かれたトークでは、カプセルへのあふれる愛が語られました。 まず、私もすぐにまねしたいと思ったのが「カプセルを出る時に、明かりをつけたままにする」という取り組みです。 首都高側に面しているカプセルは、通りから円窓が目に入りやすい立地にあります。ある意味、「看板」のような部分で、逆に暗いままだと築約半世

          芳賀書店に初めて入った日(退去まであと8日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          待望の最新刊から漂う不安感(退去まであと9日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトが2020年に出した書籍『中銀カプセルスタイル: 20人の物語で見る誰も知らないカプセルタワー(Nakagin Capsule Style)』(草思社)は、前作の『白い箱舟』に比べると、シュッとした雰囲気です。 写真をメインに、住民20人のカプセルでの生活が統一感あるスタイルでまとめられています。カプセル内で開かれる飲み会「カプ飲み」仲間の人がいる一方、噂で聞いていた住民の詳しいエピソードをあらためて知ることもでき、住民にとっても

          待望の最新刊から漂う不安感(退去まであと9日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          どこまでいっても憎めない黒川さん(退去まであと10日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          曲沼美恵氏の『メディア・モンスター 誰が「黒川紀章」を殺したのか?』(草思社)は、黒川紀章氏の人物としての魅力に迫った貴重な1冊です。 もちろん、「中銀カプセルタワーマンシオン」をはじめ数々の代表作にも触れられていますが、重点が置かれているのは、黒川氏と関わりのあった人たちの証言とそこから浮かび上がる黒川紀章という人物像です。 一言で言うと「憎めない巨匠」がそこにいます。 気難しく、負けず嫌いで、生活は派手なのにちょっとケチなところもあるのですが、最終的には「しょうがない

          どこまでいっても憎めない黒川さん(退去まであと10日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          運命の一冊にして等身大の熱量 (退去まであと11日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          2015年に出版された『中銀カプセルタワービル 銀座の白い箱舟』(青月社)は、私がカプセルに出会うきっかけになった一冊でもあります。クラウドファンディングで出版費用を募っていることを知り、そこからご縁が生まれました。 これまでも、メタボリズムの代表例として取り上げられることは多々ありましたが、建物単独でここまで詳しく紹介された書籍はありませんでした。 内容は、カプセルのガイドブックと、住民のインタビューという構成で、関係者や住民しか見られない内部を伝えるにはちょうどよいボ

          運命の一冊にして等身大の熱量 (退去まであと11日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          日本一派手だった建築家が残したボロボロのビル(退去まであと12日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          2010年5月、九州・沖縄地方に配られる朝日新聞西部本社版の紙面に小さな記事が載りました。「故黒川紀章さん発注のヘリ、関門海峡で遊覧飛行」というものでした。以前、山口県と福岡県に住んでいたことがあり、この記事を読んだ時、妙に記憶に残ったことを思い出します。 黒川氏は建築家としての実績と同時に、派手な私生活でも有名でした。知名度が高まるにつれ、高級外車に買い替え、スーツや時計もこだわりのものだったそうです。再婚相手は、女優の若尾文子氏というのも、ワイドショー、週刊誌としては取

          日本一派手だった建築家が残したボロボロのビル(退去まであと12日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          インフルエンサー黒川記章(退去まであと13日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          カプセルの存在を知ったきっかけはネットでした。クラウドファンディングで書籍の製作費を募集していて、実は職場から近い建物だということでお邪魔する機会を得ました。ニッチな情報ではありましたが、ネットというメディアが発達していたおかげで、貴重な縁を得ることができました。 「中銀カプセルタワーマンシオン」を設計した黒川紀章氏にとってもメディアは切っても切り離せないものでした。 建築家としてのデビューのきっかけは新聞記事だったと言われています。まだ、実際に建てたものがないのにも関わ

          インフルエンサー黒川記章(退去まであと13日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          黒川紀章がカプセル理論を封印した理由(退去まであと14日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          カプセルでの時間は〝個〟が基本です。日々の過ごし方から、カプセルの使い方、あるいは処分の仕方まで、住居用、趣味用、投資用とバラバラです。 黒川紀章氏は、一つの屋根の下で父親を頂点に家族が暮らす従来の形を否定し、個人がその時の環境に応じて自由に移動できる「個人」の住処としてカプセルを設計しました。その意味では、半世紀経った今、カプセルは黒川氏が求める姿にどんどん近いづいているのかもしれません。 黒川氏を一躍、時代の寵児にしたカプセル理論ですが、本人は、途中からそれを強調しな

          黒川紀章がカプセル理論を封印した理由(退去まであと14日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          実は白紙寸前だった建設計画(退去まであと15日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          「中銀カプセルタワーマンシオン」は、外から見ると2階部分がせり出しており、その上にカプセルが積み上がっています。住居用とオフィス用に分かれているためですが、これは、カプセルにとって重要な意味を持っています。 カプセルの設計を黒川紀章氏に依頼したのが、実業家の渡辺酉蔵氏です。もともと弁護士だった渡辺氏は、貸しビル業などで事業を拡大し、マンション経営などで成功します。 大阪万博での黒川氏の活躍を見て依頼した渡辺氏でしたが、その動機はビジネス目的だったようです。カプセルという交換

          実は白紙寸前だった建設計画(退去まであと15日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          黒川紀章が〝決別〟したもう一人の師匠(退去まであと16日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン

          「中銀カプセルタワーマンシオン」を設計した黒川紀章氏は、「東の丹下、西の西山」と呼ばれる戦後を代表する二人の建築家の元で建築を学んでいます。 京都大学工学部建築学科時代は、庶民の暮らしに寄り添い戦後の住宅の基本となる「DK(ダイニングキッチン)」の生みの親と言われる西山夘三氏に師事しました。 ところが、大学院は東京大学大学院工学系研究科へ進み、数々の国家プロジェクトを手がけた丹下健三氏の研究室に入るのです。 その後の黒川氏の活躍を考えると、最初の師との〝決別〟とも言える

          黒川紀章が〝決別〟したもう一人の師匠(退去まであと16日)100日後に退去する中銀カプセルタワーマンシオン