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【詩】多面体

粘着質な黒が空の半球に沿って一雫ずつ滴るような真夜中に光り輝く多面体は墜落した。輪郭を暗闇に埋められた公団住宅の狭間がその現場らしい。一部屋毎に灯る息遣いの大集団が銀河のように脈打ち渦を巻く。その光点の存在感と重さを時間へ縫い込んでいるから出口も入口も何処にも無い。此処は私の内側でも外側でもない。……結局のところ漂流するにしても糸切鋏が必要不可欠だったのだと思う。

夜闇に淡く透けるような蒼白の壁の列なりを遥か上空から見下ろして多面体は浮遊していた。白光するネオン管のような骨組構造が空間を自分自身の形に刳り貫いて漂っている。それが回る。回る。回り続けている。夜の深淵部を冷然と削ぐ放射状の光線を放ちながら回っているそれはまだ私の目線の先で拍動する光点でしかない。……明らかに衝動じみた意図をもって私の眼の前へ不意に落下して来る迄は。

咄嗟に通りへ走り出した私は歩道橋の階段下に回り込んで身を屈める。暫くして気分が落ち着いたら夜を貫く強い耀きと瞬きから逃げるようにして停車中のバスへ駆け込んだ。女ばかりの乗客の隨に冷たく揺蕩う消灯の薄闇と沈黙。バスは留まったまま何処へも行かない。窓硝子越しに透ける白い耀きは多面体のものだろうか。そのなかを時折赤や黄の靄が掠めていくのは何事も無いかのように日常を通過する自動車のライトのものだろうか。……窓硝子を黒く刳り貫いた横顔だけは私のものだ。私だけのものだ。

今も地鳴りは胸騒ぎとなって私を震わせている。浅い眠りと仮死の呼吸の狭間から滲み出す夜明けの紺青のように。或いは私の肉体に遠く繋がる昏い海洋の鳴動のように。とめどない夢が夜毎の小さな死をすり抜けては私の頭から次々と墜落してくるから。その意味を問い質してみたところで何の意味があるのだろうという意味として。私にとってままならない私が生じる夜と朝の狭間に。白々と世界が明けていく時刻になってもまだ多面体の耀きが瞼の裏側で回り続けている。……目覚めたとしてもその世界は睡っているときほどの意味など持ち得ただろうか。

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