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うつ病と私(母親③)

母親は私達3姉妹の目の前で、
自分の舌を噛み切ろうとしました。

そこからの光景は、
祖母と救急隊が割り箸を母親の口に詰めて、
手をタオルで結んで…
その場が物凄くパニックの状態で…

救急搬送後、
母親は1週間ほど帰って来なかった事は記憶にあります。

幼少期の記憶が曖昧だと言うこともありますが、
私は小学校へ登校できていましたし、
姉も中学校へ登校できていました。

父親も帰国し、
何日か父親の会社の同僚さんが来てくれていた記憶もあります。
その時の事でしっかり覚えている事は、
その方が私と妹に焼きそばを作ってくれた事です。

父親と姉は恐らく母親の病院へ行っていたのだと思います。
この頃には「お母さんはうつ病っていう心の病気になってしまったんだ」と、
話をされていた気がします。
詳細は思い出せません…

同僚さんは慣れない手つきで具材・麺を炒めて、
付属のソース粉末を入れる時に、
茶碗に一度粉末を開けて調整してくれていました。

焼きそばならソースは濃いめが好きなのに…
と思いつつ、
「まだ小さいからね!」と気遣って下さったその姿勢に、
私達のことを考えてくれてるんだと、
お礼を言いながら大泣きしました。
大人は子供を傷付けない!と当たり前に思っていた、
母親はいつだって私達の事を面倒見てくれる、
体調なんて崩さない、
ましてあの日の夜みたいになるなんて…
現実を知らなすぎた私の素直な反応でした。

小学校3年生…
私の息子が今小学校2年生です。
もし私が同じような事を子供にしてしまったら…
絶対にダメだ!
苦しめてしまう…

当時の母親が辛かった事も今ならとてもわかります。

しかし人は支え合いながら生きていく中で、
やはり少なかれど傷を負います。

その傷が深いのか浅いのか…
成長においてとても重要かもしれないと、
今の私なら絶対に考えてしまいます。

母親はそれから25年以上経った今も、
完治する事なく過ごしています。
たまにバランスを崩す時もありそうですが、
上手に付き合っているなと…
娘ながらに思います。

これが「うつ病」と私の出会いです。

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