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#3 フィールドワーカーのカポエイラ修行録 -本部到着-

フィールドノート記述が少なかったので補足多め。

朝ロサンゼルスを出発しヒューストン経由でリオデジャネイロへ。
暇つぶしにAmanzon Primeで動画をダウンロードしていたはずが、エラーでダウンロードできておらず残念だったことを覚えている。
日本~ロスのフライトと時間が長かったため、ロスからリオまでのフライトはそれほど長く感じなかった。

現地時間 朝8時頃にリオに到着。
地球の裏側まで来たわけだが、実感は全くなし。
フライト時間の差はあれど、「飛行機を経由し外を出れば海外」というのはどの国に旅行行くのにも変わらないんじゃないかと思った。
フライト中のほとんどを寝て過ごしていたから体感時間は長くなく、余計に「南米まで来たぞ」という気持ちは起こらず。

到着口を出た先にあるソファーで座ってホストファザーであるMestreの迎えを待つ。
到着口付近では朝であるのに「Uber? Taxi?」と聞いてくるおじさんが数人待ち構えていた。
先輩カポエリスタからブラジルの治安の悪さを聞いていたので、警戒スイッチをONにしつつ先生とカフェで朝食を食べていた。

アントニオ・カルロス・ジョビン空港
ブラジルで初めての食事
空港の外

9時半頃にホストファザーの息子とその友人が車で迎えに来てくれた。
たどたどしいポルトガル語で挨拶し、「名前は?」とか「この車は誰のなの?」とか当たり障りのない会話を投げてみる。
空港からカポエイラ本部までの車移動の際もいくらか会話をしたが、自分のリスニング力の低さであまり長続きせず。
先生はリラックスした様子でたまに世間話をしたりしていた。

自分はブラジルに来る前に1年ほどほぼ独学でポルトガル語を勉強していて、レベルとしては日本の一般的な高校生レベルの言語能力だった。文法知識はある程度持っているが、瞬間的にリスニング、スピーキングができるわけではない、程度である。
ブラジルに来て最初のコミュニケーションは、やはり上手くはいかなかったが、これについては場数でなんとかなるだろうと高を括っていた。

車窓からの景色

カポエイラ本部はリオの空港があるセントラルから車で2時間半ほどの場所に位置している。
道中のほとんどは高速道路を走るため、それほど「やばい」という感じはしない。とはいえ、下道に近い場所では落書きだらけのさびれた建物が並んでいたり、上裸のホームレスらしき人の姿が見える。
高速道路からも、不自然に家々が集まっている小高い丘が何個か見えた。
「あれはファベーラ?」―「そうそう、ファベーラ。興味あるん? 行きたいん?(笑)」

ファヴェーラは、ブラジルにおいてスラムや貧民街を指す言葉。ブラジルのほぼすべての大都市および中規模都市の郊外には、不法居住者の建てた小屋の並ぶファヴェーラや、既存の町がスラム化したファヴェーラが存在する。中でもリオデジャネイロ市のファヴェーラがもっとも有名で、カリオカ(リオ市民)の4人に1人はファヴェーラに住むとされる[1]。ほとんどのファヴェーラは、公有地や所有権を巡って係争のある土地などを不法占拠する形で小屋や家屋が築かれたものであるため、一般的にブラジルの各州政府や自治体は、ファヴェーラの存在を法的実体として認知していない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


昼前(11:30頃)
本部到着
まさかこんなところとは、って感じ。フィジー思い出す。
自分らの物置部屋に案内されたときは、嘘やろ?ってなった

FN(フィールドノート)より

私は大学一年の頃1カ月語学留学でフィジーに滞在しホームステイしていた。町の雰囲気、家やほかの建物の近代的度合い、道路の舗装されていない具合を見て、「なるほど、こういう感じか」と心づもりをした。同時に心づもりできる経験があるだけ自分は良かったと思う。
自分はフィジーやモンゴルなどで短期間の海外生活は何度か経験しているから『こういう感じか』と想定できるが、海外初心者にとってはどのように映るのだろうか。

家から見える町の景色
本部(師範の家)

家の構造、雰囲気についてはゆくゆく紹介していく。

4階で練習してる音が聞こえたから練習参加。
先に着いてた日本人の参加者と、ブラジル人の参加者。
移動しながらガロパンチのカウンターの練習。Mestre(師範)が来日したときにちょっとやったような練習。
東京支部の先生にサポートしてもらいながら向こうのprofessorの人とペアで練習。最初のガロパンチをやったときに、相手の人がしっかり顎狙えって言って、避けずに顔にあてさせて「そう!」って言うてて、本場の練習やって実感する。

FNより

到着していきなり練習に参加した。
半屋内半屋外で扇風機だけの風通しのあまり良くないアカデミア(練習場)で、真夏の高校の部活を思い出すほど、みな汗だくになっていた。
ノートにもあるが、「顎狙え」と言われて打った掌底を、相手が真っ直ぐこちらを見ながら顔面で受けたことが衝撃だった。
日本ではここまでしっかりと「当てる」ことを経験させるような練習はないため、真っ先に本場を感じた。

アカデミア(練習場)


アカデミアにてRoda
参加者めっちゃ多かった。ここらに住んでる子ら、パラナの子ら、日本人と練習参加者がいっぱいいた
Rodaの前に子どもレッスンがあって参加した。
子どもらが結構喋ってくれる。
ここでも移動稽古があって、帯順に並んで進めていく。
30分くらい練習した後にRoda。
自分が入ったかどうかすら覚えてない。
凄い熱量やった。たしかに日本と全然違う。

FNより

到着初日に、しかもいきなり練習に参加していたから肝心なカポエイラの様子の記述が少なく、非常に勿体ないことだが自分でも忘れている部分は大きい。
だが、この「熱量」の差に驚いたことははっきりと覚えている。

目まぐるしく変わるJogoの展開。歌声や楽器の音量・音圧。
アカデミアという限定された空間に重厚なカポエイラの世界が広がっていた。そして、そこにいる誰もがその世界の構成要素となっていた。

練習後