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IMJものがたり21  株式公開IPO(後編)アメリカ同時多発テロ勃発

 私のちゃぶ台返しで主幹事証券会社を断ったので、一からIMJの上場を担当してくれる証券会社を探さなければならなかった。

 しかし、野村証券や大和証券など大手証券会社は軒並み腰を引き気味。
 無理もない。大手証券会社の顧客はITバブル崩壊で大損をしている人が多く、そこに「ITベンチャーの新規公開株」の話を持っていっても「寝ぼけたことを言う前に、この損失を取り返してくれ」と追い返されるのが関の山。

 そんな我々に救いの手を差し伸べてくれたのが、ドイツ系のコメルツ証券。日本での事業基盤が大きくなかったので、IPO銘柄を主幹事として扱うことが少なく、彼らにとっても良いビジネスチャンスになりそうだし、何よりIMJを大事に扱ってくれそうな雰囲気があった。
 そのコメルツ証券に加えて、IPO銘柄の取り扱いで存在感を出していた新光証券(現みずほ証券)が副幹事に入り、上場に向けて再スタートを切ることになる。

 この体制に決めた大きな理由の一つは、地方証券会社とのネットワークがあったこと。福岡の前田証券(現FFG証券)、沖縄の沖縄証券(現おきぎん証券)、香川の香川証券、石川の今村証券など、地方の顧客を保有する地場証券会社を中心に新規公開株を販売していく戦略を取ったのだ。

 まだネット証券も松井証券とマネックスくらいしかなかったので、地方顧客はIPO銘柄を購入する機会が少なく、かつITベンチャー株など買ったことのない方も多かった。
 つまり、ITバブル崩壊で痛手を被っていない顧客が地方には多く存在しているので、そこを中心にセールスをかけようという戦略に賭けたのだ。

 そして、ロードショーが始まる。
ロードショーとは、機関投資家向けの会社説明会で、新規公開時の募集又は売出し価格の需給の動向について判断するためのもの。発行会社(IMJ)にとっても証券会社にとっても極めて重要な機会となる。このロードショーの結果が上場時の株価に重要な影響を与えるからだ。

 毎日、4社ないし5社の機関投資家にIMJの事業戦略やビジョンを語る。基本的には同じ話を何度も繰り返すので、話す方は飽きてくる。が、聞く方は初めてだから手を抜くわけにはいかない。だから毎回、「今度は少し笑いを取ろう」とか「比較対象企業を明確にしてコントラストを際立たせよう」などテーマを決めて、数十社をこなして行った。

 ところが突然、ロードショーの途中で経験した事のない激痛が背中に走り、汗が吹き出した。立っていることもままならない。この大事な時に次の投資家とのアポイントをキャンセルするわけにもいかない。

「樫野さん、効くかどうか分かりませんが、これ飲んでみてください」
苦しむ私に、女性社員が差し出したのは生理痛の薬。
「マジ?」と思ったが、藁にもすがる思いでそれを飲むと、少しの間だが痛みが和らぐ。
 医者に駆け込んだ診断結果は尿路結石。入院するわけにもいかず、水を大量に飲み、生理痛の薬を飲んでロードショーを続けた。
 そして、その夜。のたうち回るほどの痛みの後、血尿とともに5ミリ程度の石がコロっと出て、私は痛みから開放された。

 余談だが、選挙の街頭演説をしている時に「株式上場のロードショーと似ているなぁ」と思ったことがある。
 毎回同じ演説内容だとしても、聴衆は変わる。毎回アレンジを加えながら新鮮な気持ちで演説しないと心に届かない。来る日も来る日も朝から晩まで演説できたのは、このロードショーの経験が役に立っていたのかもしれない。

 もちろん、地方証券会社のもとへも駆けつけた。
 企業説明会に集まってくれた個人客はお年寄りばかり。私がインターネットの可能性や事業戦略を語っても、カタカタ言葉をどれだけ理解してくれていたかというと心許ない(笑)。

 説明会での質疑応答も
「東京の社長さんがわざわざこんな地方に来てくれてありがとうね。」
「うちの息子と同い年だから応援するわ」
とIMJについての質問はほとんどなかったが(笑)、この方々はきっとIMJを応援してくれるという確信めいたものを感じた。

 こうしたところも選挙に似ていて、政策云々より「娘が同じ中学校だった」とか、「お母さんと仲良くしているのよ〜」という方が強力に応援してくれる。
 やはり、人は「理屈より感情」だなぁと思う。

 こうして、地方証券会社とその濃い顧客に支えられ、IMJが希望する公募価格を値下げすることなく、上場準備は進んでいった。

 株式上場を1週間後に控えた9月11日。
仕事を終えた私と玄副社長は、恵比寿ガーデンプレイス近くのオープンレストランで「いよいよですね」「よく、ここまで辿り着いたね」「ちゃぶ台返しした時はどうなるかと思いましたよ」などと言いながら、軽くビールを飲んでいた。

そこに一本の電話が玄さんにかかってきて、みるみる玄さんの顔が強張る。

「樫野さん、アメリカでテロが起きたというニュースが流れているみたい」
最初は事の大きさがわからなかったが、ワールドトレードセンターに旅客機が突っ込む映像を見て、とんでもないことが起きたことを実感する。
 即座に関係各方面から情報収集すると、アメリカ証券市場はストップ。ナスダック市場も閉鎖。それに合わせて日本のヘラクレス市場(ナスダックジャパンがヘラクレスに名称変更し、現在はジャスダック市場)も閉鎖するという。

 上場1週間前で、またしてもIMJの株式上場に暗雲が立ち込める。
 翌日から証券会社と連日の会議。とにかくヘラクレスがオープンしないと上場はできない。いつオープンするかもわからない。オープンしたとしても株式市場は不透明感から株価が付くかどうか、どちらかというと大幅に下落して始まり、公募価格割れする可能性が高い、など不安定要素ばかりだ。

 株式市場の不透明感から上場延期をする企業も相次いだ。毎日のように新規上場延期のニュースが新聞紙上を賑わせている。

「樫野さん、IMJはどうしますか?延期の発表をしますか?」
経営幹部からも証券会社からも意思決定を迫られる。
 そこへ、1週間後の9月18日に、日本の株式市場が再開するという情報が飛び込んでくる。
 
 私は決断した。
 今回は証券市場が土砂降りでも行く。公募価格も発行株数も我々の考え通りに進めてきた。仮に初値が公募価格を割ったとしても、それは瞬間的なこと。業績を上げ、会社が成長すれば、いずれ株価は上昇する。株式上場はゴールではない。そこからどう企業を成長させていくかという新しいレースの入り口に立っただけ。
 それに、IMJには我々の上場を心待ちにしている地方の顧客もいる。きっとあの潜在株主がIMJの上場を支えてくれるに違いない。
 それを信じて進もうとみんなに告げた。

 9月17日、アメリカのナスダックが市場再開。そして日本時間9月18日ヘラクレス市場がアメリカ同時多発テロ後、ようやく再開した。

 大阪証券取引所のフロアで初値が付くのを見守る。
「初値付きました。175000円です!」
 公募価格18万円を2.77%下回る結果となったが、この環境下で上出来の滑り出しだと私は思った。やはり地方の方々がIMJの株価を支えてくれたような気がする。あの時、話したおじいさん、おばあさんの笑顔が思い浮かんだ。

 調達額は5億3100万円。サイバーエージェントの225億円、楽天の495億円の資金調達に比べると50分の1、100分の1の金額でしかないので、その後の事業投資やM&A戦略は「キャッシュが少ない前提」で考えなければならないのだが、「小さく産んで大きく育てる」そんな気持ちだった。

 ちなみに、ナスダックジャパンがヘラクレスに名称変更する際、新ロゴのコンペがあり、そのデザインを勝ち取ったのはIMJ。
 私は、IMJがデザインしたロゴの上場記念盾を授与されたのである。


 上場後は四半期ごとに、上場を支えてくれた地方証券会社に挨拶に行き、会社の近況を報告する説明会を開いた。

 終了後は、必ず宴会。地場証券の社長が地域一押しの店に連れて行ってくれて、美味しいお酒を飲む。
 ある証券会社では270度海が見える別荘に招待してくれた。5時になると仕事を終えた社員が続々と集まり、「魚を釣って来たので食べてください」と新鮮な刺身を食べさせてもらったり、私に同行していた独身のCFOに「良い女性がいるのでお見合いしませんか?」などという話で大いに盛り上がった。

 四半期ごとにガラゴロ(車輪のついた旅行鞄)を引いて、地方行脚する私たちはどこか演歌歌手のようで、お年寄りに人気の氷川きよし状態だった(笑)。

 株式上場から8年後、私は選挙に立候補し、地元のお寺周辺で街頭演説。お年寄りに囲まれ、握手攻めにあい、前にもこういう経験をしたなぁと思い出す。
自分では意識してなかったが、たぶん、そういうのが好きなのかもしれない(笑)。


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