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戦争論でクラウゼヴィッツは兵站について何を語っていたのか

カール・フォン・クラウゼヴィッツ。

皆さんはこの人をご存知だろうか。

1780年生まれのプロイセン(ドイツ)の軍人で軍事学者。ナポレオンのフランス軍との戦いに従事して捕虜となった過去を持ち、そこから打倒フランスを胸に誓った男。陸軍大学校校長も務め、彼のこれまでの集大成を執筆中にコレラに感染して51歳の若さで急逝。後の古典的名著となる自身の「戦争論」の完成を見届けることなくこの世を去ってしまう。夫の意志を受け継ぐ形でマリー夫人が最終的にはまとめ上げてこうして今私たちが手に取ることができるようになった。

なぜ今回彼を取り上げるかと言うと、以前「物流超大事!」を唱えたクラウゼヴィッツと良く比較されるジョミニについて取り上げて兵站から現代の企業における物流の流れについて整理と理解を深めてきた。そうするとクラウゼヴィッツについて触れないわけにはいかない。と、考えたからだ。

クラウゼヴィッツは「戦争論」の中で何を語っていたのか、兵站(物流)についてはどう書いているのか、クラウゼヴィッツが日本に与えた影響について見ていこう。

「戦争論」ってそもそも何?

って思いますよね。本題に入る前に少し彼の著書について補足しておこう。今回読んで参考にさせていただいた「縮約版 戦争論」の冒頭に超完結にわかりやすく書かれているのでそちらを引用させていただくと、

クラウゼヴィッツの『戦争論』は、戦略論のデファクトスタンダード。軍事、国際関係を論ずるうえで常に基軸となっているが、日本人読者の何割が通読できているだろうか。本書は、難解さでも定評がある『戦争論』の重要部分を抜き出した縮約版。既刊本に比べて格段にわかりやすい練りに練った訳文、厳選された訳語で、すんなり頭に入る本書によって、戦略論の古典が初めて理解される。

とある。この超わかりやすくなった縮約版でも2センチ以上の本の厚みはあるし、十分な読み応えではあるのだが、つまり戦争について語ったマスターピースということだ。ジョミニの戦争概論か、クラウゼヴィッツの戦争論か、という、二大古典の1冊であるということがおわかりいただければまずは十分なのではないだろうか。

戦争と兵站ってどういう関係があるの?

ついでじゃあ戦争と兵站(物流)ってどういう関係があるの?という疑問が浮かぶ人もいるだろう。その点についても触れておくと、そもそも兵站とは、ロジスティクスの英訳が当てられている言葉でその意味としては以下のとおり。

戦争を遂行するために必要な人的、物的戦闘力を維持、増強して提供すること。現在は普通、後方という。旧日本陸軍では、作戦軍と本国における策源を連絡し、作戦軍の目的を遂行させるための諸施設とその運用を兵站といい、この連絡線を兵站線と称した。旧海軍の場合は兵站のことを戦務とよんだ。後方の対象には資材、役務、施設、人員があり、機能的には補給、整備、輸送、建設、衛生、人事、行政管理が含まれる。調達、収用、生産、招集、雇用なども必要となる。このうち人事および行政管理を除く活動を自衛隊では後方補給という。陸上自衛隊だけがこの後方補給を兵站と称している。兵站線のことを後方連絡線とよぶことが多い。

国家レベルにおいては国家兵站という語を使う。第一次世界大戦以後の総力戦時代においては、経済、政治など国力のすべてをもって戦争の遂行を支えることが求められることから、国家兵站が重視され、国家総動員をもってこれにあたる。

日本大百科全書(ニッポニカ)「兵站」の解説

つまり、前線で戦うために必要な物資(武器や弾薬、薬や食料など)を届けるために必要な全ての戦略や活動のことだ。この兵站が戦局を大きく左右することは既に一般事実化していると思うし、実際戦死者の多くは戦闘中になくなったわけではなく、補給線がうまくつながらずに必要な食料や医薬品が届けられなかったことによる餓死や病死だったことも明らかになっている。兵站は戦争の中でより早く、より大量に、より正確に、というニーズを受けて発達していった過去があるのだ。

クラウゼヴィッツが「戦争論」で書いたこと・伝えたかったこと

「戦争論」をめくっていくと大きく2つの主張があることにすぐに気がつく。1つは戦争の本質についての言及、もう1つは戦い方、いわゆる戦術面への言及である。クラウゼヴィッツは戦争の本質は「戦争は他の手段をもってする政治の継続」であると明確に指摘している。つまり、あくまでも政治的目的に対する手段であり、経済的理由や個人的理由のために行われる犯罪・暴力行為とは明らかに違うものであると述べている。それゆえに戦争は単純なものではなく複雑で不確実なものである、という論を展開しておりこれまで戦争論分野で一般的であったタクティクス的な書籍とは一線を画したものであったのだ。

そしてもう1つ、全編を通してめちゃくちゃわかりやすい言及がある。それは戦闘における精神力の重要性だ。そんなに精神論展開する??というぐらい戦うときの気持ちに対して章立てて書いているのだ。書内に出てくる精神に関するフレーズを少し拾ってみると、

  • 知性と情意の点で非凡な天分が必要である

  • 戦争には危険があふれており、それに立ち向かう勇気こそが、何よりも戦士の特質である

  • 戦争という分野には、肉体的な辛労と苦痛がついてまわる。この辛労と苦痛に屈しないためには、先天的であれ後天的であれ、辛労・苦痛に耐えうる一定の体力と精神力が必要である

  • 決断は、個々の場合においては勇気の働きであり、それが性格として身につくと、心の習慣となる。しかしここで問題にしているのは、身体への危険にたじろがないという意味での勇気ではなく責任を担う姿勢としての勇気である

  • 戦争の理論は精神的要因を度外視できない

などなど、精神に関する言及は枚挙にいとまがなく、章を割いて肉厚に言及されているほどだ。また上記精神論に合わせて戦力を集中させての敵軍事力の撃滅の必要性もかなりしっかりめに説いている。

これは個人の感想になるが、クラウゼヴィッツは『戦争論』の中では決してテクニカルな内容を伝えたかったわけではなく、やはり本質のところを伝えたかったんだと思う。だが、結果的にはその渦中にある人達が参照しやすかったのは精神力や集中火力的作戦についての部分で、その部分をフォーカス・切り取り理解されていった側面が強かったのではないだろうか。生前本書の完成を見届けることなく逝ってしまった彼はこの本書構成や後の第一次・第二次世界大戦で起きたことについてどう考えているのだろうか。それはミステリーで想像力が膨らむところだ。

肝心の兵站についての言及だが、圧倒的な精神力と攻撃・防御のボリュームに比べるとどこに書いてあるんだ??と一生懸命探さないとわからないぐらい記述が少ない。戦争概論内で1章を割いて兵站を論じていたジョミニとは書籍に対するスタンスが違っていたとは言えこれほど違いがあるとは思っていなかった。クラウゼヴィッツが決して兵站を軽視していなかったことは少ない記述から読み取れるが、ボリュームで判断されてしまう部分もあったのかも知れない。そんな印象を受けた。

日本にはどういう影響を与えたのか

クラウゼヴィッツの「戦争論」は日本にも大きな影響を与えている。森鴎外が軍医としてドイツに派遣されていた際に翻訳に協力していたことも知られているし、日本の陸軍がドイツをモデルとしていたことから「戦争論」に早くから馴染んでいた。精神力を重視していた点や、決して多くない戦力を集中させて戦うというスタイルも日本に合いやすかったのではないかなと想像する。この前線での戦いを重視するスタイルが後方(物流)を結果的に軽視する雰囲気・文化を生んでしまい、それが戦後の現代に至る企業活動において前線(営業・マーケ)と後方(物流)のパワーバランスを崩す結果を招いてしまったと考えている。これは仮説だが、日本の物流のちょっと日陰な雰囲気は元をたどるとここに辿り着くと私は睨んでいるのだ。

物流をカッコよくする!と息巻く私たちはこの世界線に戦いを挑んでいるということで、ワンピースで言うところの空白の百年で起きたイベント以来続く天竜人・海軍の支配する世界をひっくり返すぐらいの(言い過ぎか)胆力や根気が必要だと自覚している。ワンピースも10名のCrewで世界に戦いを挑んで、たくさんの仲間を味方につけながら世界を変えにいっているように、ちょうど弊社も今麦わらの一味と同じぐらいのCrewの人数。超勝手に親近感を抱いている。

明治時代時代以降続く近代で根付いたこの世界観を変えていくことはまぁー大変だなーと思いつつも、これはやらねばならぬことなので、仲間集めをするためにも色んなところで情報発信をし続けていく必要があるなと改めて感じたのでした。

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