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#わたしと海

そもそも、海岸線のある市で育った私にとって、海はとても身近な娯楽であった。

夏の週末は家族で海。
磯でカニやイソギンチャクを触って、貝をとって、箱メガネで海中を散歩して。
父がまだ疲れていないタイミングなら、一緒になってなるべく遠くまで泳いだ。
母が前日から仕込んで作ってくれた中華チマキを食べるのが、なんとなく定番になっていたし楽しみでもあった。

自宅は海沿いだったわけではないけれど、それでも家から(最も近い海は)自転車で20分くらいで行くことが出来た。
そこは港で遊泳禁止、でも、通っていた高校からは10分くらいでいけるところだったので、部活帰りに友達と肉まん食べたり、一人でもただ座ったりしに行っていた。

匂いと音が好き。
一日中いられるなぁ。
海が見える街に住みたい。

いつもそう思っていた。


大人になった今私は、海のない県に住んでいる。


キッカケは大きく3つあったように思う。

一つ目は、大学生だったときにサークルの友人と行ったヨットハーバーでのこと。
そこはお金持ちの街によって整備された海で、音や匂いは変わらず海ではあったが、水は綺麗とは言えないような、そんな海。
照明もほとんど落ちた夜のウッドデッキで、たくさんのGを見たことだ。
よく見えなかったから最初は気づかなかったけど、恐ろしい数のGだった。
いまだに鳥肌がたつ。それ以来、海にあるウッドデッキはGの家かもしれないなと、近寄ることができない。

二つ目は、関西から東京に出てきたこと。
東京の海は、地元の海とは全然違う。
匂いが違う。下水だ、と思ってしまう。
海辺の雰囲気はずいぶん洒落ているし、遠くから全体を見る分には優れて美しいけど、近づくことを想定されていないそれは鑑賞用に留めるべきものだと思う。
別物、だと思う。

三つ目は、東日本大震災。
これが一番大きい。
地元にいた頃から「つなみ」という単語は認識していたし、学校の授業等でも取り上げられていたテーマだったけれど、
あんなに美しくて優しい空間が牙をむくことが信じられなかった。
私や私の近しい周りは誰も被災しておらず、テレビの映像を見たのみだ。それでもそこからしばらくは私に影として付き纏った。


今、私は相変わらず海が好きだ。
しかし、17歳の頃の好きとはまた少し違う気がする。

先日2yの娘の海デビュー、嬉しかった。
娘も海が大好きだと言ってくれて幸せだ。また何度も海にいこうね、と約束した。

海を嫌いにならなくてよかった。

今も海の近くに住む人はたくさんいて、またその人たちの覚悟には頭が下がる思いだ。
私は海の近くに住んでいながら、その覚悟がなく、今もない。

でもいつか覚悟を受け入れられたなら、
首都圏から離れた海の綺麗な街に、また住みたいと密かに思っている。

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