子どもから死にたいと言われたら・・・

まだ児童養護施設の職員になって、3年目ぐらいの時だったと思う。

担当だった中学3年生Tの、三者面談に行った。

Tは、別の施設で生活していたが問題を起こして、施設を変わってきた子だった。

私の寮に来たのは1年ほど前で、私とも1年の付き合いだ。

Tは、言動は粗暴だったが、人なつこいところもあり、可愛い子だった。

三者面談の枠は一番最後で、担任の先生は部活の顧問も兼任していた。Tは担任の部活に入っていたので、授業も部活も、よく見てもらっていた。

その先生に、内容は忘れたがこっぴどく叱られた。

「お前はなってない。」「本気で生きたことあんのか?」「今のままだと、何にも身に付かないぞ。」

そういう言葉だった。


確かに、Tはそういうところがあった。斜に構えていて反抗的で、大人の言うことを素直に聞く子じゃなかった。本気を出して失敗したくないから、なんとなく本気を出してない風に振る舞っているところがあった。褒められないとやる気にならず、少しでも結果にならないと投げ出し、「別に本気じゃないし。」という態度になる。

また、少し前にタバコを吸っているのが見つかって、生活指導を受けていた。先生が叱ったのは、それもあったのだと思う。


Tの特徴を、転校してからの短期間で見抜いた先生の慧眼は素晴らしい。一方で、先生の熱はTには少し熱すぎたようだった。Tは落ち込んでしまった。

すっかり肩を落としたTと、私は並んで歩いた。


中学校は徒歩圏内なので、歩いて帰った。

もうすっかり陽も落ちて、真っ暗だった。

私は、隣で落ち込んでいるTを見て、まっすぐ寮に帰るのが正しくないような気がした。

寮に帰る途中にある公園に立ち寄って、ベンチに腰を下ろした。Tも、同じようにした。

先生は間違ったことを言っていなかったし、慰めるつもりもなかった。ただ、Tの気持ちが落ち着くまで、一緒にいようと思った。

特に話すこともなく、ぼんやりとしていたら、Tが、「死にたい。」と言った。


私は、いきなりの発言に動揺した。子どもから、死にたいと言われたのは初めてだった。


私は、何も言えずに、何もできずに、「そっか。」と言った。

私はなんて言ったらいいのか分からず、必死で頭を回転させていたが、気の利いたことは少しも言えずに、結果的にはただ黙ってそこにいた。

数分は黙ったまま、ベンチに座っていた。

「もう帰るべ。」Tがそう言って、また黙ったまま2人で寮に帰った。


夜に、一緒に泊まっていた別の寮の職員に、「死にたいってTが言ったけど、俺、何も言えなかった。職員に向いてない。もう辞める。」と言った。

それまで、死にたいと思ったことはなかったし、能天気に生きてきた。普通の家庭で普通に育ち、普通に大学に行き、何となく児童養護施設の職員になった。

「死にたい」という言葉を、ただの飾りじゃなくて、本気で言われたから、動揺した。これから同じことが起きても、私はきっと何も言えないと思った。そして、何も言わないことが正しいとは思えなかった。

同僚は、「それ、辞めるための逃げだろ。続けろよ。」と言った。


Tはそれから、自分の学力で入れる高校にギリギリで行って、1年で退学した。





私は、「死にたい。」と言われて、その後になんて言ったらいいのか、やっぱり今でも分からない。

数年後、同じように死にたいと言われ、「死ぬ前に、今まで世話になった人全員に、“これから死にます。“って言いに行って、全員から許可もらってこい。そしたら死んでもいい。」と言ったことはある。一応、そうすることで皆に死ぬのを止めてもらうだろう、そしたら死ぬのもやめるだろう、という発想があったからそう言ったのだが、これも正解だとは思わない。


私にもそれから、死にたいぐらいに辛かった時があった。人生で初めて、死ぬほど辛かった。
自分の子どもがいなかったら、死んでただろう。子どもを守らないといけなかったから、死ねなかった。

守る人がいない人は、余計に、止めることなんてできないだろう。

その時、Tの気持ちが本当の意味でわかった。死にたいぐらい辛い気持ちが、わかった。


人生は、控えめに言って辛い。なぜ生きるのかと問われたら、生まれたからだと言う。それ以外に答えはない。

児童養護施設の子は、それこそ親から虐待を受け、保護され、見ず知らずの大人に世話され、その苦しみは、同じ経験を持つ者でなければ本当の意味では分からないのではないか。

だから、「わかるよ。」とは絶対言わない。「言ってる意味はわかるよ。」とだけ言う。


そして、今でも、「死にたい。」と言われたら、きっと言葉を失うと思う。

限りなく正解に近い言葉は、「俺はTが死んだら悲しいよ。」だったのだと思う。

一緒に生きていきたいんだと、その時は言えなかった。今は、知識と技術と経験が言わせてくれる。

それを、本当に、心の底から本心で言える人が、きっと児童養護施設にいる子どもたちには必要なんだと思う。



先日、Tと偶然コンビニで会った。寮を出て10年経っていた。Tは子どもがいて、元気にやっていた。

多分、暴力を振るうこともあると思う。妻と喧嘩してるんだろうなとも思う。

でも、生きていて良かったじゃん、と思った。T、生きていて良かったなって。


まぁ、その時もあまりに偶然でびっくりし過ぎて、何も言えなかったんだけど。



次会ったら、今度こそ、言ってあげたいと思う。

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