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127 醸造の町・半田散歩

予定変更で訪ねた醸造の町、半田

先日から知多半島を廻っています。

常滑を訪ねたあと、本当は三河方面に向かう予定だったんですが、常滑駅で見かけたこの広告に惹かれ、

知多半田駅

半田市の名鉄知多半田駅にやってきました。今回私は名鉄全線に1日乗れる「名鉄まる乗り1DAYフリーきっぷ」を使っていて、こういった急な予定変更もできてしまいます。家から近く、車では何度も来ている半田ですが電車で来たのは初めて。また、観光しに来たのも初めてです。

あの会社とともに育った町

半田市は知多半島中東部にある半島の中心都市。さっきのポスターにもある通り江戸期から酒や味噌、酢など醸造業で栄えた町です。

さて、このマークどこかで見たことあるのではないでしょうか?
どこの家にも必ず1本はあるはず。食用酢や味ぽんで有名なミツカン(Mizkan)はこの町が本社。半田の醸造業の発展はミツカンとともにあったといっても過言ではありません。

こちらはミツカンによる日本で初めての酢の博物館「MIZKAN MUSEUM」。酢の魅力の紹介を通じて食文化の伝統や魅力を紹介する博物館なんですが、残念ながら今は完全予約制。突然行っても入れないようでまた次回訪ねたいと思います。

運河沿いに立つミツカンの倉庫群。おなじみのミツカンのロゴがあちこちで目に入ります。半田はこういった蔵も多く建つ蔵の町でもあります。

半田運河は18世紀初頭に酢や酒の搬出や原料の搬入に利用されました。もともとは川を使っていたのですが、土砂の堆積で半田港が使えなくなり掘削したもの。これが半田の醸造業の発展に大いに貢献しました。

8月上旬には「半田運河キャナルナイト」というイベントがあり、灯りに浮かぶ半田運河を眺めながら音楽やお酒を楽しむことができるそうです。

運河沿いに歩いていくと、今度は「酒の文化館」に行き当たります。清酒「國盛」(くにざかり)の名で清酒や梅酒などを製造販売しています。今は直接の資本関係はないですがもとはミツカングループ。酒造りに使った道具や酒造りの工程などが紹介されていて無料で観ることができます。

窓にシールは貼らないでほしい。

打って変わってこちらはやや運河から内陸に入ったところにある「旧中埜家住宅」。さきほどから何度も登場しているミツカンは元の名は「中埜酢店」(なかのすみせ)。中埜家10代、中埜半六が明治末期に建てた別荘でかつてはここから衣浦湾(きぬうらわん)が望めたといいます。海外留学した半六がその建築の美しさに影響を受けて建てたといわれています。照明や暖炉にガスを利用するなど当時の半田のインフラ創業を語る貴重な史料にもなっているのですが、中を自由に見ることができないのが残念です。

幻のビールを訪ねてレンガ建物へ

紺屋海道のまちなみ


半田赤レンガ建物

染物の店が立ち並んでいたという風情ある通り紺屋海道を北上すると要塞のような煉瓦造りの建物に突き当たります。「半田赤レンガ建物」。醸造の町半田。その技術をビールにも生かすべく明治31年に建築され、本格的なドイツビール「カブトビール」を製造していました。

その後のビール業界の合併再編によってカブトビールはサッポロ、アサヒの前身となる大日本麦酒と合併消滅。幻のビールとなってしまいました。

復活したのは2005年。赤レンガ建物の保存活動を通じてカブトビール復活の機運が高まり当時の製造法を研究。半世紀を経て半田の地ビールとしてよみがえったのです。建物の中はカブトビールの資料館、レストラン、またカブトビールやその関連グッズのショップになっています。

近影。ここだけ切り取ると近世ヨーロッパの遺跡にいるような錯覚に陥ります。

というわけで、買ってみました、カブトビール600円!
明治ビールと大正ビールがあります。こちらは明治ビール。当時の文献を収集して製法を研究して造られたビールです。苦みが濃い一方、炭酸は少なめになっています。歴史を感じさせる一杯です。

自宅からすぐ近くにありながら訪ねる機会の少なかった半田。ミツカンとともに発展した歴史ある醸造の街はみどころが満載でした。「ごんぎつね」で有名な童話作家新見南吉の故郷でもあり、彼を偲ぶ旅もできます。次はテーマを変えて歩いてみるのもいいなと思いました。

サポートいただけたら小躍りして喜びます! 今後一層フットワーク軽く旅先に向かい、情報提供に努めたいと思います。 よろしくお願いいたします!