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「動物たちは何をしゃべっているのか?」を読んで

動物たちは何をしゃべっているのか?
山極寿一/鈴木俊貴

この軽いタッチの可愛らしい表紙とタイトルからは想像もつかないほど多くの示唆に富み、深い深い考察の深淵へと導かれる対談だった。

膨大な時間と熱量を注ぎ込んだ研究から得られた知見がさらりと語られているが、どれも驚くべき内容だ。
動物たちを研究していくことで、人間とは、人間社会とは、という根源的な問題と今を生きる私たちの喫緊の課題も見えてくる。

人も動物も、コミュニケーションの仕組みはまだ解明されていないことも多い。「言葉」が手放しに“素晴らしいもの”とは言えないというのは新しい気づきだった。

以下印象に残ったところ。

夕方、大きな木の中にスズメやムクドリの大群が集まって喧しく鳴いていることがある。あの鳴き続ける行動の意味は謎なのだそうだ。
もう集まっているのだから「集まれ」でもない、大声で天敵を呼び寄せる危険もある。
対談の中で、あれは一種のポリフォニーなのではないかという仮説が導かれる。身体を同調させ、共感を高めて一体化している。興奮や喜びを共有しているのかもしれない、と。
夕方のあのうるさい鳥の塊の木の中に、そんな魂の交流があるのだとしたらなんて尊いのだろう。

言葉があることで、美徳から道徳を進化させた。言葉が複雑な社会、国家といったバーチャルな概念を可能にした。人間は、共同体の名誉に奉仕するために戦う。バーチャルな集団を守るための自己犠牲の美徳……
このあたり話は、今まであまり考えたことのなかった方向からの“人はなぜ戦争をするのか”に対するアプローチだった。

言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかった。ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。

我々は言葉が生まれるずっと前から、サバンナの小さな集団で、歌ったり、踊ったり、見つめ合ったりしながらコミュニケーションをとってきた動物です。

歌手やダンサーはいるが、日常のコミュニケーションとしての身体的表現は大部分失われてしまった。コロナで制限されたことで逆にそれらの大切さは再認識されたかもしれない。
社会の急激すぎる変化に人類の身体も精神もまだ適応できていない。
人類の進化が追いつく前に地球環境が激変していきそうではある。

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