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「現代日本の感覚と思想」を読んで

「現代日本の感覚と思想」見田宗介


現実(リアリティ)の三つの反対語「理想」「夢」「虚構」という言葉によって、
1945年の敗戦から60年頃まで……「理想」の時代 「プレ高度成長期」
1960年〜70年代前半……「夢」の時代 「高度成長期」
1970年代中葉〜90年まで……「虚構」の時代 「ポスト高度成長期」
このように三つの時代に性格づけして分けることができる。

これらの時代の様々な主題について1985〜86年の新聞の論壇時評に書かれたもの。
私は1960年代生まれなので、生まれてから20代までの頃の話だ。
自我などなかった幼児期、自我があるのかないのかはっきりしない子供期、自我しかない青春期、いずれにしても自我の近辺だけで生きていたその頃、社会はどうなっていたのか、答え合わせができたような気がする。
昨今の政治や社会に、何で日本はこうなんだろう?と思うことが多いが、当時からそんな日本が始まっていたことがわかる。
「一家心中」「脳死」「風邪は社会の迷惑です(風邪薬CM)」
そういえば子供の頃に聞いた言葉だなと思い出す。

「すべてがうさん臭いと知りながらそれを拒むこともなく浅く演じるものたち」が、町を風のようにでなく、電光ニュースのように、かけぬけていく。
人間を大切にすることは、人間だけを大切にするということを越える思想によってしか、支えられない。
人類学の到達として、「家族」というものが人間にとって普遍的なものだという考え方が解体しつくしている(長島信弘)

とくに政治社会については子供時代〜20代の自分がまったく自覚していなかった間にそうなっていたんだなとあらためて知る。

70年代の反逆が弱者のルサンチマンの噴出であったとすれば、それへの反動の季節としての80年代は、強者たちの居直りの時だ。

レーガン、サッチャー、中曽根型政治
居直った強者たちによる差別の、臆面もない顕在化の構図。
<いじめ>

戦後40年目、8月15日を日本の首相は靖国神社「公式参拝」の日とした。
西ドイツの大統領もまたこの記念日を戦争犠牲者たちの慰霊にささげたがその慰霊の仕方は日本と反対方向を向いていた。

追悼は、次のような人びとにまずささげられる。
「ドイツの強制収容所で殺された六百万のユダヤ人たち、戦争で苦しんだ諸国民、とくにソヴィエトやポーランドで生命を失なった無数の市民たち、ドイツ人としては、帰郷中に空襲で、あるいは監禁や追放中に命を失なった同朋兵士たち、(ナチスによって)殺害されたシンティやロマのジプシイたち、同じく殺害された同性愛者や精神病者たち、宗教的政治的信条のゆえに死ななければならなかった人たち、処刑された人質たち、我々によって占領されていたすべての国々で、レジスタンスの運動に参加したために犠牲となった人たち、ドイツ人でレジスタンスに参加して犠牲となった人たち、たとえば公務員や軍人や聖職者や労働者や労働組合や、そして共産主義者たち、積極的に抵抗しなかったものの、良心をふみにじられるかわりに死をえらんだ人たち」

長々と引用したが、自分が受けてきた教育の中にこういう視点はなかったので新鮮な驚きを覚えた。同じ敗戦国でも日本とドイツでこんなに違っていたのだ。

政治が命に関わると本当の意味で危機感を覚えるようになったのはコロナ禍からだ。弱者へのあたたかいまなざし、他国他民族に対する国際感覚、切実に政治に求めたいと思った。

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