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「みどりいせき」を読んで

みどりいせき/大田ステファニー歓人


〇〇賞受賞作だから読むということは普段しないが、たまたまXで目にした著者の三島由紀夫賞受賞スピーチが魅力的だったので読んでみたくなった。

読み始めたらもう著者のことは忘れて作品の世界にのめり込んだ。
ジャンルでいえば青春小説になる。
私は青春小説が大好物なのだ。
古くはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、ジャンディ・ネルソンの『君に太陽を』も大好きな小説だ。

青春小説といえば、周りとうまく馴染めない主人公がいろいろな経験をして、最終的になんらかの【悟り】を得てオトナへの階段を上っていくものだ。
ライ麦でいうところの、最後にフィービーのメリーゴーランドがグルグル回るシーンだ。
ところがこの小説では、そんな感じの幸福感を主人公は既に前半に味わっている。仲間と呼べる存在ができて、その仲間と「ぬくぬくほかほかしたバイブス」を味わっているとき、「オビ=ワンとかクワイ=ガンとか、マスターの境地ってこんな感じかも。」と言っている。
サトリ世代などという言葉もあるが、現代の若者にとってオトナの階段などはなく、すべてフラットなのかも知れない。30代40代でも周囲と馴染めない人間はいくらでもいる。

社会では、いろんな種類の人間がそれぞれのテリトリーを棲み分けているように見える。自分の周りを見渡せば自分に近い人間が見つかるだろう。
しかし実際には貧困、犯罪、暴力など普通の市民生活の隙間に入り込んでいる。
その棲み分けさえなく、全タイプ混在しているのが学校という場所だ。その為、学校を生き抜くのはとんでもないサバイバルになる。これは学校そのものがなくならない限り、いつの時代にもあることだろう。

主人公たちは犯罪に手を染めていくが、それは昔ながらのオトナや社会への反抗などではない。
むしろ社会の暗部を利用して(いるつもりが利用されて)いる。まだ保護される年齢でありながら同年齢を出し抜いてうまくやっているつもりになっている。
けれど彼らが恐れる死は実際にはまだまだ遠く、リミッターも未熟な少年兵であるが故の、痛みも軽々と乗り越えてしまう危うさを持っている。それが現代の青春だとすればどこに出口があるのだろうか。

敬愛するnoter綾野つづみさんが、この小説の感想でセックス描写がないことに触れられていた。
このことは確かにこの小説を一種“爽やか”な印象にしている。

村上龍っぽい暴力、ドラッグ、セックスの三点セットから明らかに次世代になった印象だ。性愛を排した男女の仲間関係が清々しい。彼らが語るのは男女の愛より大きな宇宙愛だ。

読み終えてから、あらためて著者のインタビューなどを読んで、次回作も非常に楽しみになっている。



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