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どうしてこうなった日記、うつで休職の記録

 おはようございます。休職しています。

 休職を始めたのは4月の半ば。わたしは今年社会人2年目で、インターン時代から数えると3年間、とあるインターネットメディアの会社でライターをしています。
 わたしの勤めている会社は基本的に新卒採用を行っていないため、入社式などのフレッシュなイベントは特に存在せず、2020年の春にわたしの立場は「学生インターン」から、ぬるっと「正社員」へと移行しました。

 それと同時にやってきたのがコロナ禍でした。海外への卒業旅行は当然キャンセル、卒業式は、わたしはもともと行くつもりではなかったけど、もちろん中止。多くの会社の入社式がなくなり、わたしと同時に社会人になった同期たちは入社はしたものの会社に行く気配が全くありませんでした。

 新しい環境で頑張ろうとしたら出鼻をくじかれたような彼らに比べれば、もともと知っている環境で肩書きが変わっただけのわたしのダメージは少なかったのかもしれません。でもそれなりに、いや本当に、困ったことの連続でした。

 入社はしたもののオフィスに行くことは一切ない、という環境は、他の人が働いている様子を一切見ることができない、ということでした。それに、新入社員のほとんどが中途採用、もしくはインターンからの採用という会社で働くわたしには「同期」という存在がいませんでした。
 つまり「今の時点でどれくらい仕事ができていればいいのか」「仕事はどういうふうにやればいいのか」「手抜きとはいかなるものか」という、周りに自分以外の人間がいる環境でなんとなくわかっていくようなものが全くわからない。
 わたしはいつも、今の会社以前にも色々な会社で華やかなキャリアを歩んできた先輩と自分の仕事を比べては落ち込み、全ての社員が8時間ずっと根を詰めて仕事をしているものなのだと当たり前のように思い込んでは、一瞬ぼうっとしてしまった自分への嫌悪感を抑えられずにいました。

 今年で24歳になりますが、今までの人生でたくさん叱られてきて、中でも一番言われた言葉のひとつは「真面目すぎ」、または「頑張りすぎ」だったように思います。そのたびにわたしは思考停止せざるを得ませんでした。真面目であれ、頑張れる人間であれ、そう言ってきたのはあなたたちなのに、どうして簡単にそういう言葉で責めるの?
 とにかく「手を抜けるところでは抜く」「無理せず頑張る」「適度に休む」「ひとりで抱え込まない」「きちんと人に頼る」「気にしない」そういったことがなによりも苦手だったし、今もものすごく苦手です。

 そうやって生きてきた結果、思えば小学生の頃からずっと、ゆるく「死にたい」という思いを持ち続けてきました。その頃からうつ状態だったのだと思います。外国から日本の小学校に編入してなじめなかったとか、いじめられがちだったとか、中学受験が大変だったとか、そうなった原因は無限に思い浮かびますが、とにかく塾の帰りのバスで「死にたいなあ」とぼんやり思うような小学生でした。

 ゆるいうつ状態はそれからずっと続き、それに加えて細かなものから巨大なものまで、さまざまなトラウマが心に刺さっていき、気づけば2021年2月には人生2度目の自殺未遂をしていました。

 よく「うつは心の風邪」と言いますが、それは「だから放っておけば治る」という意味ではなく「いつでも誰でもなりうる」または「適切に治療しないとこじらせる」という意味だと考えています。そして心の風邪というのはつまり、たぶんだけど、脳の風邪ということで、薬を飲めばある程度良くなるものでもあるような気がしています(少なくともわたしは薬で改善した部分も大きかったように思います)。

 しかし主治医、これも2021年春に変わった、から「あなたがうつという病気であることは間違いないが、それに加えてトラウマが複雑に絡みすぎているので普通の治療では治らない」と診断されました。現に今、寝る前に10錠も薬を飲んでいるのに、これ以上は良くならないでしょう。これからの人生を考えるとこの辺で何ヶ月かゆっくり休んで、治療に専念したほうがいいんじゃない?
 その提案は正直予想していたもので、でも同時に、すごくわたしを安心させるものでもありました。好きなものを仕事にできているし仕事そのものがストレス源でなかったことは確かだけど、正直仕事以外の時間生きている気がしない。仕事、特に原因もわからないのに漠然と辛くて泣く、栄養補給のための夕食、泣く、お風呂に入る、泣く、髪を乾かす、薬を飲む、泣く、ベッドに行く、泣く、ようやく眠る。毎日この繰り返しでした。

 なるべく仕事から離れるように、という主治医の指示通り、休職が始まってすぐにわたしはslackのアプリを消しました。その瞬間涙が溢れて止まりませんでした。実は、slackの通知が表示されるたびに軽い過呼吸を起こしていたのです。

 そして休職が始まり、今に至ります。休職することにした、とTwitterで呟くと、学生時代の友だちがたくさん遊びに誘ってくれました。
 彼らは会うと、大体「休職中って何してるの?」と聞いてきます。「うーん、毎日ウォーキングしたりちょっと筋トレしたりするようにしてて…あと積読を解消したり、あ、この前漫画一気読みした。あとは猫と遊んだり部屋の掃除をしたり、休みの日は恋人と会ってるかなあ……」と、こんな感じで毎回適当に答えていますが、実際のところは何もしていません。

 いや、しているんだけども、ここで答えたものは全部本当にしているんだけど、なんかこう、有意義な活動というか……せっかく休んでいるのだから楽器を弾いたり勉強をしたり料理に挑戦したりジムに通ったり、そういう活動をするものだと思っていたんだけど……というかしたい。したかったし今もしたい。けど、できないのです。どんな活動も、それをするための体力が必要になる。今はその体力がもう、全くない状態なのです。

 休職を始めたとき、わたしは本当に「うつの底」にいました。どろどろの泥沼の一番底の部分。自分は人間のかたちを保っていないとさえ思っていました(これは今もそうです。『千と千尋』のあのドロドロベトベトの神様みたいな不定形、もしくは爪とか牙とかでなんとか武装している汚れた獣、そういうのに自分が見えてきます)。

 病気とか、これは別の記事でも書いているけどいわゆる発達障害とか、そういうのがあるのでわたしは今も実家で両親と暮らしています。体調が悪いときなんかは特に母に甘えっぱなしです。だからせめて毎月生活費を払っていました(普通のことだけど)。
 だけど休職中は収入がなくて、それなりに貯金もあるから生活費を払ったとしても数ヶ月は大丈夫だろうけど、でもやっぱり心配だから少し額を減らしてほしい、と休職が始まってすぐに母に頼みました。すると「そんなのいらないよー!」と返ってきました。
 それはおかしいよ、なんで、だって23歳にもなって実家に住んでて、ママに助けてもらってばっかりだし、パパも家にいることが前より増えたから生活費もかかるだろうし、大丈夫だよ払うよ貯金もしてるし、そんな言葉を並べるわたしに母が言ったのは「あなたは自分のことだけ考えてればいいの」という言葉でした。

 「自分のことだけ考える」って何?となりました。本当に、それ、何?わたしは23歳にもなって両親にお世話されているばかりか「自分のことだけ考える」をしたことがなかったのです。
 わたしがわたし自身の性質を説明するときによく使うのが「周り見すぎ」という言葉です。とにかく人に気を遣いすぎるし(これはうまく説明できないけどとにかく悪い意味)、選択をするときは常に「自分はどうしたいか」よりも「どうしたらみんなは喜ぶか」、あるいは「(みんなが期待している)自分(というキャラクター)はどうしたい(と思っていると想像できる)か」ということを考えて、それを自分の決断として、自分でもそう思い込んできました。そのつけが今になって回ってきたのです。

 本当になんだろうね、と考えながら、4月の半ばから今、5月の終わりまで、とにかく何もできずに過ごしてきました(単純に体調が悪い日もあったんだけど)。ベッドの上で1日が終わってしまう日もあって、そういう日は1日を無為に過ごしてしまったことへの後ろめたさでいっぱいになりました。

 しかし、最近になってようやくこの期間でわたしは体力をつけていたのだと気づきました。自分の「体と心を休めたい」という欲求に従う期間だったのだと思います。休職を始める少し前まで欠かさず紙のノートに日記をつけていたのですが、ずっとペンに触れずにいて、今日ようやく紙に書くことができて、同時にそう気づいたのです。

 5月はあと少し。わたしはやっぱり人間には見えないし、漠然とつらくて泣いてしまう日もあるし、気圧が低い日なんかはベッドから全く動かずに1日を終えてしまいます。だけど5月の終わりまではとにかく休む、となんとなく決めました。初めて「自分のことだけ考え」て選択をしたのです。

 来月になったら、もう何年越しかわからないし、もしかしたら初めてかもしれないけど、「人生を取り戻す」と「人間の形になる」に挑戦しようと思います。



 とりあえずおわり。
 わたしはたぶんきっと文章がそれなりに書けるはずなのに書かないと一生うまくなれないし、こういうのを書くと自分の感情も穏やかになるかと思って書きました。この文章は日記というより、治療のために書いたものです。あしたもちゃんと休む。

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