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大嫌いな「おばあちゃん」へ

 昔から母方のおばあちゃんが大好きだった。小さい頃ブラジルに住んでいたんだけど、おばあちゃんは英語が一文字も読めないのに、わたしの誕生日プレゼントを届けるためにたったひとりで3日以上かけて会いに来てくれた。

 わたしが中高を卒業したときも、大学に受かったときも、おばあちゃんは自分のことのように喜んでくれた。今おばあちゃんは体が不自由なので施設で暮らしているんだけど、少しでも長く生きていてほしいと心から思っている。

 でも、父方のおばあちゃんのことは大嫌いだった。

 違和感を持ったのはすごく小さなとき。親戚一同が集まっても、わたしと同い年くらいのいとこの子は遊びに連れて行ってもらえたのに、わたしと姉は家に放っておかれた。

 わたしは何回も誕生日を忘れられたし、姉の論文が学術誌に載った時も「あ、そう」で終わらせられた。他のいとこたちはお年玉やらプレゼントやらをもらっていたのに、わたしと姉だけもらえなかったこともたくさんあった。

 そんなこんなの小さいことの積み重ねで、いつの間にか全然会いに行かなくなった。なんというか、良く言えば子どものようで、悪く言えば人のことをまったく気にしない人なのだ。

 でも、大学に入るまでわたしは父方のおばあちゃん(母方のおばあちゃんと混同してしまうので、以下、Mさんと呼ぶ)のことを好きだと思っていた。

 それは、色んなことがあってもMさんが好きだったとか、幼かったからMさんのピュアな悪意に気付かなかったとかではない。Mさんを好きでいなければいけないという義務感があったのだ。

 血がつながっている人のことは嫌いになってはいけない。どんなに性格が合わなくても、血がつながっている、つまり「親戚である」というだけの理由で、相手のことを愛さなければならない。真剣にそう思っていた。

 それが揺らいだのは大学二年生くらいのときだった。

 その頃、わたしはママと二人で暮らしていた。パパはいろんな国に年単位で単身赴任していたし、姉は大学を卒業したら勤務先の近くに住み始めたので、高校生くらいから二人暮らしだったのだ。

 いつも通り夕ご飯を一緒に食べていたら、ママが突然Mさんの愚痴をこぼしはじめたのだった。普通に、料理の味の感想を言うように。

 その瞬間、初めて理解した。「血がつながっている」ことは、自分が嫌なことをされたとか、嫌いだとか、そういうどこかつっかえるものを許す理由にはならない。血のつながりがあるというだけで、すべてを許して愛する必要はないのだ。

 わたしの身近な親戚は母方・父方合わせて15人いる(伯父さん叔母さんいとこ、あるいはいとこのパートナー全て含め)。で、4人家族だから合わせて19人、年に何回か顔を合わせるような「家族」と呼ぶ人がいることになる。

 冷静に考えて、20人弱のコミュニティにいるとき、嫌いな人とかなんとなく苦手な人が1人もいないなんてことはあり得ないような気がする。小学校のクラスとか、部活とかを思い出してほしい。

 血のつながりってあたたかい一方で、時に呪いになると思う。いわゆる「毒親」を持つ人の話を聞いていても、そう思わずにはいられない。

 呪いである以上、なにもしないとそれはかなり長い時間まとわりつくのである。下手したら死ぬまで。でも呪いを解く方法を探すことはできると思うし、少なくともわたしたちは呪いを解いて自由になる権利があるはずだと思う。

 ママは若い頃に、ママのパパを亡くしている。それまでママは、ずっとママのパパが嫌いだったらしい。お父さんだと思っていなかったから、ずっと「おじさん」って呼んでいたそうだ。

 Mさんのことを嫌いでいいんだと思ったときは、誰かを嫌いだと認めてしまった寂しさがほんの少し底に沈んだようにあったけど、今はずいぶん自由になれたと思っている。わたしはずっと自分のパパが嫌いだった、大好きなママに、呪いを解いてもらえたのだった。

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