こんなはずじゃなかったって言う人の特徴
アラフィフにもなると周囲から「こんなはずじゃなかった」という言葉を聴く機会が増えてる気が。
「ウチの会社こんなはずじゃなかった」
「ウチの子こんなはずじゃなかった」
「ウチの家族こんなはずじゃなかった」
「私の人生こんなはずじゃなかった」
こんなはずじゃなかったと言う人の特徴が見えてきたので、書いておこうかと。
まずは、想定が甘い。私自身も色々な事を想定しながら日々過ごしているが、こんなはずじゃなかったなんて事はほぼ無い。これは常に最悪の最善を考えているからだと思う。最悪のケースはこうなるだろうな、その最悪のケースになった時に最善なのはこうやることだな。と。この最悪のケースの想定が甘いと、こんなはずじゃなかった。になってしまう。
次に、自らの責任ではなく他人や世の中の責任にする。自らの想定も甘い、自らがやらなかった、できなかったことなのに外的要因を原因だと発言する人。この人たちが一番たちが悪い。自らが選んだ道だとしたら選んだ道が悪かったわけで、その道を進むにつれてこういう事は起こり得るなと想定しておけばこんなはずじゃなかった。にはならない。
だいたいが上記2つの特徴を持つ人が「こんなはずじゃなかった」という発言をする。
想定が甘くならない、外的要因を原因にしない為にできることは「知識」ではなく「経験」。今のインターネット社会において「知る」ことはたやすい、しかし知ったところで理解していないと何の役にも立たない。若い世代は特にそうだが、情報検索がしやすくなったのでわかった気になって話をしているが実は知っているだけでわかっていないケースが多い。中高年はテレビでやっている内容が情報源なのでもっとひどい。テレビはテレビ側が選んだ情報しか流さないため、自らが関心をっ持った情報を知る事ができないし、流れて来る情報もテレビ側が選んだ道筋で情報を流すため、自らが選んで情報を深堀することができない。
知る事しかしない人(できない人)には、経験や体験はついてこないため、物事の想定ができない人間になってしまう。
今の世の中はできるだけ「考える人を作らない」ようにメディアが操作しているようにさえ思える。考える人を作ってしまっては表面上だけのセールスでモノが売れなくなってしまうからだ。考える人ならば、自らがお金を払う事に対して商品やサービスの背景、販売者の社会性等、どうしてこのサービスや商品を購入するかをニーズやウォンツにプラスされて自然に考えるからだ。考える人が増えると今の国内の市場には大きな変動が起きてしまう。これでは大きな会社がやっていけなくなってしまう恐れさえある。この辺りが日本の経済と将来を考えるなら変わって欲しい部分でもある。10代や20代のうちに、甘くならない想定をする力、最悪の中でも最善を考えられる鍛錬をしておくと、どこで暮らそうが、何を職にしようが「こんなはずじゃなかった」にはならない人生になる。
時代や社会、大規模での経済状況に左右されずに幸福を得るために最も効果的なのは「最悪の中の最善」を考えられる人だと思う。