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自然との共生について

はじめに

朝起きたら庭に水をやる。水を得た植物は彩りを増し、葉っぱについた幾多の水滴が光を反射する。さながら小さな太陽が葉っぱの上に生まれたようだ。遠くに視線をやると、壮麗な山々が目に入る。山のレイヤーが幾重にも重なり合って遠近感を生み、自分の世界が拡張したかのように思う。自然とのコミュニケーション。こういったルーティーンは東京の暮らしには組み込まれていなかった。職場と自宅を行き来する毎日に、オン・オフのスイッチが埋もれ、いつのまにか自分のコンフォートゾーンさえ溶けてしまったような気さえする。そうは言っても、アニマルスピリットを奮い立たせてくれるような刺激的なところは好きだった。
話を戻して、最近の私は自然との共生について熟考している。ESD-SDGs・ethicalという切り口から話すには無勉強であるため、自分が自然と共生しているなあ、と実感する場面を切り口とし、思考を巡らせてみる。

酵母と暮らし、野菜を育てる

まず、私は酵母と暮らしている。わかりやすく言うと、酵母菌を培養してパンを焼いたり、料理に活かしている。スーパーに行くと120円ほどで手に入るパンを、わざわざ北海道のお店から粉を取り寄せ、酵母菌を培養し、生地を育てて焼いている。遠く離れたモン・サン・ミシェルの地から、一番身近な自分の指先にまで平等に存在する酵母菌が、美味しいパンを生み出してくれる。人間としてできることは、酵母菌が生きやすい環境を作ってあげること。酵母菌を培養しパンを焼く。この行為が自然と私の共生を深く意味付けているような気がしている。

半年以上掛け継いでいる酵母先輩

また、冒頭のように庭に小さな畑を作っている。夏である今、立派に育ったゴーヤを収穫したり、ミニトマトがふさなりに実をつけていたり、コリアンダーが真っ白な花を開かせている。春には八部付きの八重桜を収穫し、塩漬けにして刻んだものをお稲荷さんに混ぜ込んだり、摘んであく抜きした蓬の新芽を使って食パンを焼いたりと、存分に季節の香りと味覚を楽しんだ。自然とのコミュニケーションでは、思わぬ生活者(虫)と出会す。ここは田舎育ちが功を奏し、なんとかなっている。恐ろしい見た目の虫もいるが、虫からしたら人間の方がよっぽど怖いだろう。(さすがに家の中にミツバチが入ってきたときは驚いたが。)

ゴーヤとミニトマトとバナナピーマン

自然と共生して変化したこと

自然との共生で自分に起きた変化をまとめてみる。

  • 酵母のパンで、食事が幸せなものに変わった。

こだわるのは粉と水と塩だけ。特別な材料を使わなくても、滋味深く最高に美味しいパンが焼ける。酵母の呼吸が気泡となってふかふかとした食感を創り出し、かすかに鼻腔をくすぐる酸味と、小麦由来の甘み。この一体がなんとも言えないのである。言葉にするなら、それは幸せ。以前の食生活でもなんら不便はなかったが、酵母パンの存在により尚のこと幸せレベルが向上したように思う。

  • 野菜を育てるようになってから野菜室が空いた。

もちろんすべての野菜を自分の畑でカバーできるわけではない。しかし、以前と比較して大幅に野菜室の空間が増えた。必要以上に買わなくても、畑の収穫量で間に合うということだ。

  • エンゲル係数が低くなったものの、食事への幸福度は高くなった。

これは単純に、外食の数とお取り寄せの回数が減ったからである。気軽に外食できるお店がないこと、ウーバーイーツの種類が少ない、という物理的・外的要因が影響している。しかし、料理好きなこともあって今のところ不便ではないし、先述の通り酵母パンのおかげで幸福度は高まっている。極端な話、美味しいパンさえあればどうにでもなる。

  • 笑顔が増えた(気がする)

美味しいものを食べて自然と暮らす。それだけで人は笑顔になる。原始的でありながら、生活の本質ってこういうものなのかもしれない。

まとめ

決してスピリチュアルな変化ではなく、自然との共生で生まれた合理的かつ倫理的な変化だ。いわゆる、エシカル消費というものにシフトしつつある。そして私の生活に欠かせない柱がもう一つ、「デジタル」だ。デジタルと自然の舵を取りながら、以前より穏やかな暮らしを楽しんでいる。デジタルインフラは、東京から地方へ越してきた私にも平等の恩恵を与えてくれる。例えば、車がなくても大型の電化製品が買えたり、東京に住む友人とオンラインで会話を楽しめたり。他方で、家の外に出てみると隆々とした山々や、四季に合わせて表情を変える植物たちが出迎えてくれたりして、多分に自然の恩恵も受けているのだ。
自然と共生しながらその一端を垣間見てみると、共生しているというより、自然に生かされているという意味合いの方が強い気がしてきた。酵母にも生かされてる。私という人間は、あたかも自分の人生を自分の力でコントロールしてきたかのように錯覚しているが、実は自然の力によって引かれた緩やかな補助線を辿ってきただけなのかもしれない。だからこそ、これまでなおざりになっていた環境問題へと目を向け長期的な自然との共生を目指していく必要があると思う。…何はともあれ、自然は良い。

今日の朝ごはん、酵母食パンと庭で採れた野菜でラタトゥイユ。

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