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海へ帰るシロップ⑵

「今年の気温は例年より10℃ほど高い予想です。」

楽しくもない予想に何故画面の中の人たちは笑えるのか不思議でならない。
ぼくのユウウツ量は臨界点まで達しそうになっている。夏は狂気の季節だ。統計もある。犯罪が増えるのも暑さの所為なのだろうか。

一向に終わりの見えない夏について様々のことを思い出す。過去はただ事実だけが蓄積したものなのに。懐かしむことをまるで罪のように認識しては予測不可能なこれからに恐怖する。

小さい頃は夏になると毎週末海に行った。
今でこそさほど日に焼けていない肌はこんがりと小麦色だった。海に行くと父は釣りをしてぼくは同い年のいとこと波打ち際で遊んだ。
貝殻を見つけたり砂を掘り返して海水が流れ込むようにしてみたりした。
あとはテトラポットが積み重なっていたことを覚えている。
特別なことはなにもなかった。ただ父がいていとこがいてぼくがいた。同じ海にいるのにそれぞれが少しずつちがう海を見ていた。
笑いあう声、水の音、砂のじゃりじゃりとした熱い感触。すべてが完璧にしあわせだったように思う。思い出が海へ帰ると思っているのはここが原点なのかもしれない。

いとこは今、所在不明だ。
連絡も取れない。
どこに居ても構わない。ただ思うようにいきていてくれさえすればそれだけで充分過ぎるほど充分だ。いままで彼女は彼女を取り巻くあらゆるもの、そして自分自身と闘い続けた。闘い過ぎたくらいだ。

小さい頃のことを思い出すと海が見える。
それからぼくの目の中に小さな海ができる。
思い出は海に帰る。

いとこはコーヒーにお砂糖を入れない
コーヒーが苦手だったから
コーヒーは飲まなかった

思い出は幸福に満ちて残酷だ。

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