国民健康保険料支払いの悲鳴から相互扶助の限界を考える
どうも主に姫路にいるhideです。
毎日好き勝手な事書いて、友達の仕事を手伝って、あんまり働かずにチンタラ頑張って生きてます。漫画とゲームと音楽好きです♬
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国民健康保険料が高いらしい
年間の支払い通知が来る時期なのかな。
Xで多くの悲鳴があがっていた。
社会保険は社会保険でなんやかんやと引かれて手取りこんなんだよ、、みたいな話もよくあがるし、会社は会社で税金が終わっとる!みたいな悲鳴もよく聞く。
必要だとわかっちゃいるけど、税金がいよいよほぼ全国民にとって厳しくなってきてる雰囲気はある。
やれ政治がどうとか
外交に金を使いすぎとか
なんやかんや言われるんだけど、根本的にこの保険料が使われすぎてるから問題ってのはあまり人道的にも強く言えないところですよね、、
僕ぐらい影響力のない、それでいてそこそこ発信量の多い人が言うのがちょうど良い暴言だと思うんですが、、、
いらん人間は早よ死んでくれ。
っていう暗黙の悲鳴と訴求なんすよね。
この国保の悲鳴を見た時に頭の中でバーッとこんな感じで言いたいことが浮かんだんですよ。
この断片を文章にするのがめんどくせぇなぁ、、変に燃えないように当たり障りのない着地にしないとだし、、と最近はnote書くのもめんどくせぇなぁと、まさに自堕落で早く死んだほうが世のためになる人生を送りつつ生きながらえておりますw
生きててすんまへんw
図太い←
サムネ画像、こんな感じでお決まりの黒バックに文字っていうのにしようと思ったのですが、あまりにも目にする人の心に悪いので、ポップにしましw
それぐらいのテンションで沈まずにテキトーに読んで考えてね!
相互扶助の限界
まぁ、ていよくみんなで助け合いましょーや!!ってのが税金とか保険の目的であり仕組みだと僕は思ってるんですが
(違うかったりする?)
結構元気な人なんかは支払う金額の方が受け取る恩恵よりも多いんですよね。
それでもまぁ、自分も恩恵を受ける時があるかもだし、みんなが助かってるわけだし、、で納得しきれない人が増えてきてると。
なんでそうなってきてるか?っていうのは、これがこうだからこう!みたいな要素がいくつかあって僕はまとめられないし、賢い人がまとめても巻物長文になると思います。
一言で言うと"バランスがとれなくなってきてる"と。
そのバランスってのは一番わかりやすいのが高齢化社会ですね。よく見るこういう画像のやつです。
となると、自分の生活がしんどいので、子どもを産み家庭を持とうともしません。そういうやつが歳をとりまた人のお荷物になります。(俺ダァw)
みんなどこかでこう思ってるんですよ。
みんな早く死んでくれ。と
良くて、自分と自分の好きな人以外のお荷物は早く死んでくれ。と
いらない人間はいらない
必要なくなったら消えてもらうのが資本主義の一番効率的な最適解。
あえて嫌な言葉を使ってます。
まずは問題を正しく認識してもらうために包み隠さずに嫌な気持ちになってもらう必要がある。
ここからどうやって嫌な気持ちをなくしていけるか?が人間の考えないといけないこと。綺麗事で問題を見えなくしてはいけないし、浮き彫りになった問題に蓋をしてもいけないと僕は思う。
そこで安楽死。死ねる文化を作る。
先進国の考えないといけないことは、生き方よりも死に方ではないか?
日本は僕が思うに世界一の先進国まで上り詰めた国だと思います。
前例がないんすよね。極めちゃった。
そして多分だけど間違った。
仕方ない。わかんないもん。
極めたから人間が死ななくなり長寿大国となった。極めたから欲望もなくなった。そこでもっと管理社会寄りにすべきだったんだと思います(個人の考えですよー!)
満たされた国で自由を謳っても、この豊かさの維持は叶わなかったんですね。
貯金めっちゃできたけど、めっちゃ使ってもて気付けば資産なくなってるやん!みたいな感じやと思います。
(お金の話をしてるわけではなく、例え話です。日本は国債やから!財源あるから!みたいな話は違う話)
高齢化社会なんて最初は1980年代ごろから言われてたことなんです。
でも真面目に皆んなで取り組まなかった。残念ながらもう手遅れです。
(よっぽど想像もつかない出来事やスキームを強行しないと)
支える人がいないんだから支えられる人も死んでいくよねー。って話なんですが、避けられないのならもっとええ感じに死ねるようにしたほうが良いのでは?
てなわけで安楽死推しな僕です。
いかに健やかに死んでいける文化を作れるか?が僕は、ええ感じの社会の維持に必要だと思うのです。
発展途上国は生きるのに必死です。
だから生きるために発展する。
戦後の日本もこれです。
ここでパキりすぎて世界一になった日本。
生きられるようになってから考えるべきことは死に方です。
生まれる事は操作できます。
自由意志で人を産むことができます。
ですが死は避けられない。
避けられない事から逃げすぎた。
これが人類の今の課題。
僕、真面目に定期的にどうやって死んだらえんやろ?って考えちゃうんすよね。
家族もいないんで(^^)
これ、大事な問題やと思うんだけどな、、
生きること 死ぬこと
最後に話は脱線しますが、犯罪を犯すと死刑ってのがあるじゃないですか。
逆に犯罪を犯すと死ねなくなってしまう。ってのはアリなんじゃないかな。
真っ当に生きた人だけに真っ当に死ぬ権利がある(安楽死)
犯罪歴のある人は真っ当に死ぬことができない。
死の報酬化ですね。
生きる事が叶えられた先進国は間違いなく死を考えねばならない。これはマストな気がするなぁ。
安楽死はデスハラを生んでしまうのか?
安楽死を安易に認めてはいけない!
みたいな方向性でよくとりあげられるのがデスハラスメントです。
安楽死が当たり前になった世界では必要のないものは早く死ねと言われるようになってしまう。という話。
とても心が抉られる嫌な話だけど、、
でも、それでもこの嫌な話と向き合って、人が死ねる社会を考えないといけないんじゃないかなぁと、、まぁ常々考えてる事を国民健康保険料の支払いの悲鳴から連想したのでしたとさ。
今日も社会のお荷物として張り切って楽しむぞ!!
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