見出し画像

欠落

僕は夢を追い続けている。花から花へ渡りゆく蝶を捕まえようとするかのようにピン留めにするために。そして夢に追われている。脱獄した囚人、そのからだは休まることもなく傷を負いながら逃げ続けている。頭を亡、とさせる陽炎の熱に灼かれ額に汗の粒が浮かんでは落ちていく。流れ星を思わせる水滴は火照ったからだから熱を奪い、微睡む意識を不快な現実へと引き戻す。のどの渇きは潤すための欲望だ。けれどその目的が果たされたとき、一体どのように感じるんだろう。きっと今と同じではなくなることを思うと少しだけ怖くなる。一時凌ぎの時間は延々と繰り返される。無意味な一周がやがて意味をなすまで回り続ける。ブラックホールにいつまでも引き延ばされた一瞬はいつ臨界を迎えるかも分からない。

始まりは、あの世界の終わりの日。空が焼けている。不気味なまでの静けさが耳を満たす。毛布にくるまり僕はひたすら待っていた。不意に電波が入り時報を告げた。すると初めて目覚めたかのような痛みを覚え、身に覚えのない傷が熱を持って疼いた。奇妙な陶酔があった。不可思議な感慨が湧いた。懐かしさに打たれながら僕はただ胸を満たす水音を聴いていた。彼女の瞳は青く深く底が知れなかった。彼女はすべてを知っていたから何かを伝える必要などなかった。静かな炎が揺らめいていた。彼女は微笑って姿を消した。今も耳に残る波の音。花が綻んでいる。それは確かに誰かを誘惑していた。

甦るイメージ。踊るスカート、届かない手、空気を裂いていく風。羽根を失くした鳥は遠くへ飛んでいくことはできなかった。その代わりに呪いを残して落下した。呪いの内容は知らない。肝心の内容を僕は知らない。けれどからだは昨日よりも克明に記憶している。肌に刻まれた言葉はその意味を意識の届かないところで眠り続ける僕に託した。欠落は血を流してその存在を主張する。決して忘れさせないために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?