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甲子園を消費する大人たちは、もっと謙虚であるべきだ。

今年の夏の甲子園(第105回全国高校野球選手権記念大会)が終わった。今大会も熱い試合がいっぱいで目が離せなかったですねぇ、うんうん。

最終的に神奈川県代表の慶應義塾高等学校が107年ぶりの優勝を果たしたわけだが、X(Twitter)ではこの試合について様々な意見がポストされていた。
特に目についたのは「慶応の応援はやりすぎだ」「不公平だ」「スポーツマンシップに反している」といった類の慶応の応援を批判するような内容で、それについてやんややんやとリプライが殺到したりと、相変わらずXはこの手の当事者置いてけぼりの議論が盛んだなぁと遠い目になった。

※先に言っておくと、私は慶応のファンでも仙台育英のファンでもない

応援の件以外にも(今大会に限らずではあるが)審判の誤審疑惑や大会会場を京セラドームに移せといった様々な意見がXにポストされているのを見て、高校野球を経験したものとして…そして今はイチ高校野球ファンとしてちょっと一回問題を整理しておいたほうがいいだろうなと思ったので、ここに備忘録的に記しておこうと思う。そして、それが願わくば私と同じイチ高校野球ファンが野球を見る時の肥やしになってくれたらなと思う。
そしてそして、高校野球を見る大人たちがもっと謙虚な気持ちを持てるようになることを私は強く願っている。(ここ重要)

この記事で私が本当に言いたいことは、「誰のために批判してるの?結局、自分のためでしょ?」の項にまとめてあるので、「考察が長くて読んでられんわ!」って人はそこまで飛ばしてください。



慶応の応援やりすぎ問題。決勝だけを切り取るな。

この「慶応の応援やりすぎ問題」はどこから出てきたかと言うと、仙台育英との決勝戦、5回の出来事が発端である。


慶応の選手が放った左中間へのフライを、守備側の仙台育英のセンターとレフトが交錯して落としてしまったのだ。そしてその原因を慶応の応援だと決めつけた人々が騒ぎ立てているのである。

確かに、この日の慶応の応援は凄まじいものがあった。私はテレビで観戦していたのだが、そのテレビ越しでも慶応の応援と仙台育英の応援の声量に大きな差があるのがわかるほど大きな声援だったのは確かだ。
騒ぎ立てている人々の理屈では、飛球が上がったときに慶応側の声援があまりに大きくて守備の連携の声が聞こえなかったらしい。なるほどね。

…で?って話である。

まず「声援で守備の連携の声がかき消される」というのは、小・中学校までしか野球をやっていないと少しイメージつきづらいかもしれないが、ブラスバンド応援(以下、ブラバン)が付くような高校野球ぐらいまでやったことがある人なら”あるある”である。私は甲子園に出たことがないので決勝戦の外野ピッチ上がどのぐらいうるさいかはわからないが、少なくとも地方大会ですらまともにブラバンが来たら連携の声なんて聞こえなくなったりするものだ。(ちなみに私は現役時代外野手でした。)
だからこそ、常日頃からアイコンタクトやジェスチャー等含めて綿密に練習するものだし、そもそも甲子園優勝経験のあるチームが応援の声量程度のことでフライを落とすような練習をしてきているわけがない。あれは所謂、「雰囲気に飲まれた」と考える方が自然ではないだろうか。まぁ、本人たちに聞かないと真意はわからないけども。

で、そんな原因究明自体もレーザーポインターを使ったわけでもあるまいし、そもそもどうでもいいのである。エラーなんて何が原因で起こるかわからないし、それがわかれば完全な対処もできるわけだから、この世の中からエラーなんてものは限りなく少なくなるはずだ。様々な要因があってのエラーなのだ。事実、慶応もこれまでの試合からは考えられないようなエラー(ピッチャーがゴロを捕球してファーストに悪送球等)をしてるわけで、応援の声云々だけを根拠にするのは少し乱暴すぎるように感じる。

視点を変えよう。そもそも今回の慶応の応援は「やりすぎ」なのだろうか。まず「やりすぎ」の根拠を数々のXのポストから抽出してみたが、以下の要因にまとめられそうだ。

・球場の来場者の多くが慶応のOB等関係者で、圧倒的に応援の数が多かった。
・学校が金にモノを言わせて慶応の応援全員にメガホンを渡していた。金を使って応援を強くしていた。
・アウトを取るたび雄叫びのような声が聞こえていた。品がない。
・内野席で立ったり、肩を組んで揺れたりと、高野連が定める応援のルール違反があった。

ざっくり言うとこんなところだ。つまり、要因としては「数」「金」「品」「ルール違反」の四つが「やりすぎ」なのだろう。そしてこの「やりすぎ」な部分のせいで、以下のような意見がでるわけである。

「応援に格差がある。それに不公平さを感じる。モヤモヤする。」

ふむ、なるほど。不公平さね。ふむ。

そんなの当たり前でしょうが。高校野球が公平だったことなんてないのよ。


決勝だけを切り取ってはいけない「数」。

まず、数の部分から見ていこう。
この日慶応の応援をしていた人がどのぐらいいたのかの参考になりそうな動画を見つけたので紹介する。


確かに外野席まで応援している人がいる。凄まじい地鳴りのような応援だ。プロ野球でもここまでの応援はまず見ないなってぐらいの勢いなのは確かだ。
この動画では仙台育英の応援の規模感はわからないが、まぁ、たぶんそっちより応援に参加している人は多いだろう、間違いなく。

…で?である。

まず大前提として通常通り入場券を買い、何の規定違反もせずに応援に参加するのは何一つ責められる事象にないのは確かだ。野次や暴言を飛ばしているならともかく、見たところ正規の応援のようだ。ブーイングとか一切ないしな。
百歩譲って、「応援の数があまりに多かったことの不公平感について」はどうかと言われれば、はっきり言って何も思わない。なぜなら、仙台育英だってかなりの大所帯で「地方大会から」圧倒的な応援をやっているからだ。ここが重要だ。


参考動画ではアルプスが映らないのでわかりづらいだろうが、かなりの音量、声量で応援しているのは伝わるはずだ。強豪校というのは、地方大会でもしっかりブラバンを呼び、その潤沢な野球部員の数から圧倒的な声量で応援を展開してくるのだ。さらに言えば、甲子園に出るような学校の吹奏楽部はそれはそれで強いところが多く、ブラバン自体の数も質も非常に高い場合が多い。

では、所謂強豪校ではない学校…それこそ地方大会の決勝まで行くこと自体が大きな目標になっているような学校(特に公立校に多い)だった場合どうなるかというと、ブラバンはギリギリいるかもしれないが大抵の場合野球部員の数が少なく、アルプスにはほとんど父兄しかいないといったような状況も珍しくない。もちろん、学校の一般生徒も全然野球部に期待していないので特に応援に来ることもなく、ひどいところではブラバン自体が来ないということも全然ありえる。「チアリーダー?何それおいしいの?」状態だ。
で、そんな状況の学校が強豪校なんかに当たるとどうなるかと言うと、当然ながら強豪校の応援にゴリゴリに飲まれるわけだ。
もうね、完全アウェー。圧倒的なアウェー。だからもちろん声なんてちっとも聞こえやしないし、初回から終始強豪校ペースだ。

結局何が言いたいかと言えば、「数」の話はどっちもどっちである、ということだ。決勝だけを切り取ってみれば確かに慶応が圧倒的に多かっただろうが、地方大会から準決勝までの流れの中で、ほぼ確実に仙台育英が応援の人数で圧倒した試合が存在するはずだ。宮城県大会の3回戦で当たった富谷高校は公立高校だが、この試合は応援で圧倒したりしていないのだろうか。過去の大会も含めて弱小公立校相手に応援で押し込んだ経験は本当にないのだろうか。恐らく、ないはずがない。応援含めてガッチリやるのもまた強豪校たる所以のはずだからだ。

「数」の論理で不公平さを訴えるのはあまり得策ではないように見える。


全国トップクラスの環境を誇る仙台育英は「金」を持っていないのだろうか。

まず事実の整理からしたいが、慶応の応援が高校関係者から全員メガホンを渡されたかどうかについては事実と断定できる情報を見つけられなかったので「わからない」という扱いにさせていただく。が、そんなことはおそらくどうでもいい。「金」の話については本当に仙台育英野球部のことを知らないファンが印象で喋っているだけだからだ。

仙台育英は慶応に「金」の面で不公平な状況にあっただろうか?それを知るために、まずは練習環境を見ていこう。
「メガホンの話なのになぜ練習環境か?」と思う人もいるかもしれないので説明しておくと、練習環境というのは部活を強くする上で最も重要な要素の一つであり、そして最も予算のかかるものなのだ。専用球場なんて用意しようと思ったら数千万、下手したら億の金がかかることになるのだ。逆に言えば、メガホンを配ったか配ってないかなんかよりも、練習環境というある種の前提条件の差こそが本当の意味での部活の経済格差を表すと私は考えます。(この理屈に反対する野球部OBはあまりいないと思う)

ではまず、慶応野球部のグラウンドを見ていこう。これだ。


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おおお、確かにすごく恵まれている。美しい専用球場、ブルペン、室内練習場にトレーニングジムまであるではないか。確かにこれはとてつもなく恵まれた環境だ。大変羨ましい。

ここで参考のために、今大会が初出場の東東京代表、共栄学園のグラウンド事情を見ていこう。


まさかの河川敷である。

もちろん専用球場ではないし、屋根付きのブルペンも存在しないようだ。芝も野球をやるにはあまりにも伸びているように見え、決してグラウンドの環境が良いようには見えない。
これと比べると、確かに慶応は相当「金」を持っているほうなのかもしれない。

ちなみにあえて触れないが、公立高校はこんなレベルですらない場合がほとんどだ。私の母校もそうだったが専用グラウンドなど存在せず、他の部活とグラウンドを分け合って使ったりする。ので、フリーバッティングをやってる左中間でサッカー部がミニゲームをしていたり、陸上部が守備についている外野手の前を横断しながら200m走をしていたりと、決して恵まれているとは言えない環境でやっていたりするのだ。

さて、そろそろ本題にいこう。
仙台育英の環境はどんなもんだろう。


グラウンドがこれだ。

https://www.sendaiikuei.ed.jp/media/images/corp/intro/facility/baseball.jpg


下手な市民球場より全然綺麗なグラウンドじゃないか。なんじゃこりゃ。

https://www.sendaiikuei.ed.jp/media/images/corp/intro/facility/leoground.jpg


しかも二つもあるじゃないか!

https://www.sendaiikuei.ed.jp/media/images/corp/intro/facility/bullpen.jpg

ブルペンももえぐいなぁ。

これはそこらの独立リーグの環境より良いかもしれないレベルじゃないか。これ本当に高校生がやってる部活の環境かい?にわかに信じられないレベルである。

で、慶応より「金」が…えっと…なんだっけ?

冗談はこの辺にして、少なくとも仙台育英は巷に蠢く幾多の(公立高校含む)野球部の中ではかなり恵まれているほうだと思う。で、「金」の不公平感について慶応をブーブー言うのはさすがに難しいのではないだろうか。多くの弱小野球部OBからとんでもない反感を買うことになると思う。

「品」とはなんぞや。

アウトを取るたびに雄叫びのような声…と言うが、一般的にアウトを取ったら守備側は喜ぶものではないか。もちろん鳴り物を使ってはいけないなど細かいルールはあるが、私が知る限りアウトを取って声を出すのは普通のことのはずだ。


となると、この手の「品」の話を出している人たちは程度の話がしたいのだろうか。
実際の試合の映像を見てみよう。


優勝決定の瞬間だ。かなり短い動画なのでこれだけで何かが判断できるものではないだろうが、少なくとも仙台育英の応援が聞こえなかったり、それを妨害するような行為はこの動画では確認できない。

そもそも、応援の「品」とはなんぞや?ということだ。

私が知る限りでは、高校野球の応援で品位が問われる時というのは大抵の場合ヤジであるとか暴言であるとか、表現の問題がよく話題になっている印象だ。また、演奏による応援は攻撃時のみであったり、守備側がタイムをかけたときには静かにするといった運用上のマナーの話も言及されることがある。
(少し古いが)神奈川県の高野連が出している資料が参考になりそうなので紹介する。

5.ブラスバンドの同時演奏は、応援効果を薄めたり、騒音苦情を招くので禁止する。演奏は自校のチームの攻撃の時だけに限る。相手校の攻撃の際は、試合の流れを見ながら拍手や声で、時には投手を、または、チーム全体を励ますのが応援のマナーと心得ること。相手校選手のプレーを妨げるような騒音や、相手校を中傷するような野次を発してはならない。
[注意] 日本高野連の通達により、相手校に対して『◇◇倒せ』『やっつけろ◇◇』のような応援や『打倒◇◇高校』のような横幕などの使用を禁止する。応援は自校のチームおよび選手の激励・賞賛とし、相手校に対しては、健闘を称えるものに限る。

http://kanagawa-hbf.sakura.ne.jp/ouen.html

先ほど私が言及した内容に近しいかと思う。
で、実際に慶応の応援がどうだったかと言えば、特段私は品位を欠いた応援をしていたとは思わない。

相手がタイムをかけている間は音量を下げたりといった配慮もしっかりなされていたようだ。
というか、品の話は程度の問題や受取り手の気分の問題が大いにあるため、はっきり断定できるようなものではないと私は考える。
実際、仙台育英側が「慶応倒せ」というコールをしたとかしないとかいうポストも見かけたが、一つ一つの事象を殊更に取り上げてやいのやいの言っても意味はないだろう。少なくとも、ヤジや暴言がなかったのであれば、特段品位を欠いたと断定はできないであろう。感想ベースでやり合うのであれば、あなたの言う「品」とはなんですか?という話だ。

ルール違反はいかんよな。

仙台育英のOBの方がXで言及していたが、慶応の応援がそもそも大会規定違反ではないか?という意見があった。これはおそらく、本件に関する意見の中で最も芯を食った内容ではないかと思う。
というのも、慶応は応援の際にアルプススタンド以外の座席の観客が立ち、肩を組んだりしていたというのだ。

内野席も立って肩を組んで揺れているのがわかる。確かに、これはルール違反のはずだ。(内野で立ってはいけないという言及の資料が見つからなかった…)
実際、Xのポストを見ると会場では内野席で立たないよう注意がなされていたようだ。慶応側は、これはやめたほうがよかった。
本件に関しては高野連がオフィシャルに言及して辞めるよう言うのが重要だと思う。そして今後観戦する観客は念頭に置いて気をつけるべきだと思う。

しかし、この発端となったOBが言っている「タオル回しが禁止になった理由から何がダメか考えろ」みたいな話についてはあまり的を射ていないのでそれについて言及しておく。
タオル回しが禁止になったのは、2016年のある事件がきっかけだった。

詳細は本件とは直接関係がないので割愛するが、このタオル回しの何が問題かを高野連は「伝播」「肩入れ応援」の発生を抑制するためであると説明しているそう。(ソースが見当たらないですが…)
追い上げてるチームがこの手の応援をすると自然とそれが球場全体に広がっていって…という、あの独特の雰囲気を抑止しようということですね。まぁ、わかる。
で、それが今回の肩組みに該当するのかという話。

準決勝の映像だが、仙台育英の応援団は得点時にアルプススタンドを超えない範囲で肩を組んで揺れているのがわかる。
というか、この肩組みで揺れるのってたぶんどこでもやってることなのだ。
タオル回しは確かにバックネットに座ってる子供まで見よう見まねでやったりするかもしれないが、果たしてこの肩組み横揺れを自分達が応援しているチーム以外に対してその場のノリでやるだろうか。まぁ、やらないだろうな。

ルール違反に関しては確かにやっちゃいかん。が、「肩入れ応援」の類の話とはズレている気がするのだ。やはり、単純に熱心に応援するファンが慶応のほうが圧倒的に多かったよね、というだけの話に他ならないと思う。

「応援の不平等」なんて今に始まったものではない。

私が思うところとしてはこの問題は特段今回に限って発生したものでもなければ、悪意が寄り集まって何かひどいことが起こったわけでもなく、単純に107年ぶりに優勝しそうな伝統校のOBや関係者がテンション上がりすぎてめちゃくちゃな密度で集まり、そこで羽目を外しすぎて立っちゃいけないところで立って応援した、という話だと思う。そして、それ以上でも以下でもない。今後は内野席で立たないよう、高野連が厳重注意して終わりが妥当だろう。

実際のところ、仙台育英もその応援の勢いに対して「内野席の皆さん!力を貸してください」と、一塁側内野席の人々への応援を呼びかけていたわけで、決して仙台育英が応援を扇動していなかったわけではない。(もちろんこれはルール違反までしてほしいとお願いしている趣旨でないことは理解している。拍手や歓声の話だ。)
いつも地方大会で弱小校が感じている「数で圧されて強いプレッシャーを感じる」現象を、この日、仙台育英はモロに食らってしまったのだ。

南北海道代表の北海高校は、地方大会の決勝に全校生徒約1000人を集めたとのこと。私の母校のような弱小公立高校では、たとえ決勝まで行っても全校生徒を集めることはおそらく不可能だ。半分も集まらないだろう。私立のように学校に強制力もなければ、生徒たちからそんなに期待もされていないのだから。せいぜい、100人も来たら御の字だろう。
1000人対100人の試合。球場全体の雰囲気がどうなっているかは、想像に難くない。慶応の応援問題で騒いだ甲子園ファンは、地方大会のこの現状についても憤ってくれるのだろうか?恐らく、興味を持つことすらないだろう。

つまるところ、「応援の不平等」なんてものは随分と前から存在するし、今もなお地方大会の時点から当たり前に存在するのだ。「観客は今後アルプス以外で立つのはやめようね、以上。」って指摘程度で終わってしまう話だろう。

誰のために批判してるの?結局、自分のためでしょ?

長々と慶応の応援問題について触れてきたが、やっとここから私が本当に伝えたいことを言おうと思う。

慶応応援問題、審判誤審問題、甲子園の暑さ問題。
あなたたちがしている批判は、一体誰のためのものなのだろうか。
本当に高校球児のためのものだろうか。そう思い込んでるだけで、実は観戦している自分自身のために批判しているのではないだろうか。

私たち高校野球ファンは、若者たちが人生をかけて取り組んだ3年間の青春を「甲子園」というエンターテイメントに加工し、それを消費させてもらっている。そもそも高校野球は、高校生のイチ部活動でしかない。それを新聞社を中心とした各メディアが囃し立て、演出を加え、我々にエンターテイメントとして提供しているのだ。私たちはそれを「無責任にも」消費させてもらい、勝手に感動しているにすぎない。高校球児はギャラをもらっているわけでもないし、私たちに良質な試合を届ける義務もない。もっと言えば、それは高野連だってそうだし、高野連に所属しているボランティアの審判にもその義務はないはずなのだ。NPBや独立リーグのような職業野球とは、その本質は大きく違うのだ。

なのに、だ。

やれ応援が不平等だ。胸糞悪い。
やれ審判が誤審した。反省するべきだ。
やれ甲子園じゃなくて京セラでやるべきだ。

なんかおかしくないか?

慶応の応援が不平等だと騒いだのは、甲子園の決勝だったからでしょ?地方大会なんて自分たちは観てないから興味なくて、ただ自分が期待して観た決勝で一方的な試合になってるように見えたからそれが気に入らないんでしょ?「高校球児がかわいそう」とか言ってるけど、そんなんじゃなくて観てる自分が気に入らないんでしょ?違う?何となく慶応がイケすかないとかそういう感情で言ってない?そうじゃないなら決勝以外のことについても考えたり触れたりしなさいな。

審判の誤審が〜とか言ってるけど、自分が観てる試合で納得いかない判定が出てそれが気に入らないから言ってるだけでしょ?挙句にビデオを使ったリクエスト判定を導入しろだの…正気ですか?そんなの地方大会ではどうやって導入する気なの?テレビ放送の無い球場なんてバックネット裏の定点カメラ一個しか置いてなかったりするのにどうやって確認するの?じゃあ何か、設備が揃ってる甲子園だけ導入しろってか?それは「みんなが観てるから」ですよね?ほら、やっぱり観てる側の都合じゃん。高校生は地方大会からずーっと負けたら引退の戦いをしているのに、なんでそっちは後回しなの?むしろ参加校の数から言えば、そっちの方が影響範囲でかいんですが。ていうか、そもそも平日の昼間に仕事を休んで手弁当のボランティアで審判やってる人たちによくもまぁ誤審がどうのとか偉そうなこと言うよな。それを言っていいのは現場で試合してる球児だけじゃないの?

暑いから甲子園じゃなくて京セラでやれ?それ、本当に球児が求めてることだと思う?ある年から突然京セラに変わったら、どれだけの球児が悲しむだろうね。球児が京セラの赤土持って帰りたいと思うかね。議論は全然してもいいと思うけど、「今どき炎天下で野球やらせてるのが全時代的に感じるから嫌」とか「炎天下で野球やってる球児を見てると倒れたりしないかと不安になって嫌」とか「球児うんぬんというより、自分達がスタンドで観るのが暑くてつらいから嫌」とか、もしかして球児の気持ちそっちのけの感情で批判してたりしない?そもそも球児たちは毎日炎天下のグラウンドで試合なんかよりはるかに長い時間練習してるわけで、そこから考えたことある?

…ふう。落ち着こう。

高校野球には甲子園を通してだけでは見えない部分にもたくさんの不平等が存在するし、合理的では無いものもたくさん存在するのは事実だ。しかし、それを球児たちはそんなことは百も承知と理解した上で、それでもなお甲子園を目指し、人生と青春をかけた3年間を過ごし、そして負けたら即引退のデスレース・トーナメントである夏の大会に挑んでいるのだ。それはもちろん、甲子園だけではなく地方大会も含めたそれはそれは壮大で途方もなく、無情で困難な戦いなわけで、それを私たちはあくまでも消費している側の立場でしかないということを今一度理解すべきだ。
こちらは勝手に観させてもらっているだけなのだから、もっと謙虚にならなければいけない。自分の感情だけで安易に手を加えようとしたり、いじくって弄ぼうとすべきではない。もっと球児ファーストで考えて行動すべきなのだ。

私たちは、球児たちを縛り上げる理不尽なものに対してこそ声をあげるべきだ。例えば、わかりやすいのはユニフォームや道具の制限の話だ。あんな規制が球児にとってメリットになることなんて何一つないのは明白だ。好きなユニフォーム、好きなデザインの道具を使いたいに決まっているじゃないか。
(やっと最近解禁されたが)グラウンドに女子マネージャーが出られない問題だとか、こういう当事者である球児たちが悲しい思いをしている事象についてこそ、声を上げるべきなのだ。

今一度、高校野球ファンは謙虚さを取り戻すべきだ。あなたが深く考えずに発信した適当な感想は、人生をかけた3年間の集大成を迎えた球児たちを、理不尽にも傷つけているかもしれないことを理解すべきだ。
私たちはあくまでも、彼らの青春の1ページを勝手に覗き見させてもらい、勝手に感動させてもらっているだけの、無責任な大人なのだから。

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