いつか許せる日のために(1分で読める連載小説・1/8)
日曜の朝、電話が鳴った。
「美鈴ですか?はい。おります。少々お待ちください」
保留ボタンを押して義母を呼ぶ。
「お義母さん、赤十字病院から電話ですよ」
ひょこひょこと歩いてきた義母はいぶかしそうに
「赤十字病院?何かしらねぇ」
と言いながら受話器を取る。
「お待たせしました。私が八代美鈴でございます。え?はい。確かに存じております。ずっと昔に分かれた夫です。え?突然そんなことを言われましても…。困ります。本当に困ります。少々お待ちください」
義母は保留ボタンも押さず、ソファーで足を伸ばしている夫を呼ぶ。
「栄一、あなたの父さんが駅の階段から落ちて運ばれたって。私にはよくわからないから替わってちょうだい」
夫は広げていた新聞をパラリと落とし、数秒ためらってからゆっくりと立ち上がって受話器を取る。そして
「息子の栄一です。あ、はい、はい…」
と、抑揚のない返事を何度か繰り返し
「どうしても行かなければいけませんか?」
と吐き捨てるように言う。普段の夫とは別人のような冷たい口調だ。
「わかりました。ではとりあえず行きます」
夫はそう言って静かに受話器を置く。
「なんだって?」
義母が詰め寄る。
「親父、脳挫傷で意識がほとんどないって。うわ言で母さんの名前を呼んだから、ケースワーカーが電話帳で母さんを探していたようだ」
一気に部屋の空気が重たくなる。
「今夜が峠だから来てほしいって」
「なんで?私は嫌よ」
「でも誰かが行かないと困るらしいよ」
「そんなの知ったことじゃないでしょう」
夫が私に向かって「着替えを用意するように」と目配せをしたので、奥の部屋に移ってクローゼットを開く。親子水入らずになった居間からは、全く遠慮がなくなったやりとりが聞こえてくる。
「私は行きませんよ。あの人はねぇ、40年も前に私達を捨てて出て行ったのよ。私の貯金を使い果たして、借金だけを残してね。あなたにもよく話して聞かせたでしょう」
「ああ」
「三つになるかならないかの可愛いあなたを置いて、自分一人で楽になった卑怯者よ。どうして最後の最後に面倒を見なくちゃいけないの」
「どうしてって俺の方こそ聞きたいさ。でもケースワーカーに行くって言っちゃったし。俺、一人でも行ってくるよ」
(つづく)
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昨年さいたま市のコンクールで入選した作品です。「さいたま市民文芸・第15号」というローカルな本にひっそりと掲載されています。さいたま市の職員の承諾をいただいて、こちらでも発表することにしました。8回で完結します。毎週土曜日にアップする予定です。固い内容です。マガジン(無料)では、これまでアップした全ての回をまとめてご覧になることができます。