「自分の人生じゃない瞬間」なんて一瞬たりとも無い

「ビジネス『と』プライベート」って、
明確に線引きすることを悪いとは思わないけど、
そのふたつをちゃんと、

「どちら『も』自分の人生」

って、ひとつに統合してまるごと表現している人の方が、僕は好きだな。

そんなことを、ふと思いました。



「メリハリ」っていう意味で、
気持ちを切り替えるために分けること自体を、
悪いとは思わないけれども・・・・

なんていうか、例えば、
・ビジネスの話ばっかりで人となりが全然見えてこない人
・キラキラしたことばかり書いている人
・ビジネス時とプライベート時であんまりにも印象が変わる人
とか・・・・

正直、不自然に感じられちゃって仕方ないのです。



Facebook、Tiwtter、Instagram、ブログ・・・・

そういう様々な媒体を見ていても、その発信が、
「その人自身」の心の中からまっすぐ出てきたものなのか、
「外付けの役割」を通して出てきたものなのかっていうのは、
見る側はある程度は誰だって感じ取れてしまいます。

「あーこの人めっちゃ見栄張っているな」とか、
「すごく背伸びしちゃってしんどそうだな」とか、

発信している側は無自覚かもしれませんけれども、
見ている側にとっては、なんとなく伝わってしまうのです。


勿論、SNSとかメディアは他人に見られる場ではあるから、
いくら自分の本音、素の姿だからって、
ネガティブなことやヤミヤミしたことばっかり書くのも、
それはどうかとは、思いますよ?

「愚痴を吐け」って言いたいわけじゃないのです。
ちゃんと、「見せる」ためのマナーっていうものはあります。

「本音で自己開示をする」っていうことは、
「見ている人に闇をなすりつける」っていう意味じゃないんだけど、
そこのところを勘違いしてしまっている人も多いなぁと感じます。

「本音」「素の自分」って、別に、
ネガティブなものばかりではないでしょうに。





ポジティブとネガティブの線引きもそうだけど・・・・

ビジネスその他のブランディングに関わる、
いわゆる「キャラクター」の使い分けとかね。

切り替えることで、自分が心から気持ちよくなれるなら、
それはそれですごくいいんです。


けれども、もしも、

「ビジネスの発信をする時はキラキラしているけど、
そうじゃない素の自分にはあまり価値が無い」

みたいな思い込みを助長することに繋がるなら、
なるべく早く止めた方が良いと思うのです。


プライベートと違う自分を演じて、それが気持ちよくなって、
そこで称賛してもらえることに依存的になってしまって、
自分の中に、「これは人には見せられない!」っていう、
闇の領域を増やしてしまうことになるなら・・・・

それ、人生全体から見たら、マイナスでしかないじゃないですか。




「ビジネスやってる時だけキラキラ生きる」じゃなくて、
1分1秒、24時間365日をキラキラ生きたらいいじゃないですか。

「幸せな時間」と「つまんない時間」に、
人生を分ける意味なんて無いと、僕は思うのですが。






そういえば余談ですけど、昨今の若い人たちは、
Twitterのアカウントを3つ4つ持っているのが普通らしいですね。

普通の人付き合いをするアカウント、
趣味について発信するアカウント、
愚痴を呟くアカウント・・・・
みたいに、色々分けてるとのこと。

そうやって、ひとつひとつ分けることで、
それぞれがより表現しやすくなるなら、それはそれでアリですよね。

(SNSで表現できている代わりにリアルが暗いものになる、
なんてことになってなければ、ですが)





具体的な方法はどうあれ、
まるごと「自分自身」を表現することって、
ものすごく大切なことだと思うのです。

ビジネスをしている時も、
プライベートの時も、
うまくいっている時も、
うまくいっていない時も、

楽しい思い出を作っている時も、
哀しみに暮れている時も、
誰かと一緒にいる時も、
一人ぼっちで過ごす時も、

ラブラブしている時も、
ひっぱたかれてフラれた時も、
お風呂に入っている時も、
トイレにこもっている時も、

「自分の人生じゃない瞬間」なんて、
一瞬たりとも無いんですから。



「ビジネスをやっている時の方が言いたいことを言いやすい」
ならともかく、

「ビジネスをやっている時でないと言いたいことも言えない」
にはならないように。

自分で、沢山ある自分のどこかの面を、
「日陰」にしてしまわないように。



勿論、ビジネスはビジネスとして、行動は普段と変えたっていい。

けれども、心の持ち方だけは、
ビジネスだろうとそうじゃなかろうと、
いつだって「自分自身」で在るように。







ちなみに・・・・

ちょっとずつキャラやスタイルは変化するものの、
「良いも悪いもひっくるめてまるごと自分を表現しよう」
ってしていると、すごく楽ですよ笑

これは、僕自身が体験していること。


僕が1日にいくつも投稿をスルスルできちゃうのは、
自分の中での「タブー」が特に無いからです。

「ビジネスやってるんだから、プライベートなことは、
ブランディングのために書かないようにしよう」
だとか、
またはその逆の、
「プライベートでビジネス的なことを書いたら、
友達が離れていってしまいそうで怖い」
だとか、

そういう縛りが、僕にはあんまりありません。



なんてことない日常の描写だって書きますし、
妻とのラブラブノロケだって書きますし、
我が子のかわいさ自慢だって書きます。

けれども、そういうプライベートなことに終始せず、

エレメンツコードの宣伝だって書きますし、
お店の立地の小難しい理論の話だって書きますし、
将来の夢や志について語ることだってあります。

最近はヘコむことがあんまり無いもんですから、
ネガティブな話がネタとして少なくなってきているだけで、
そういうことも、ある時には躊躇わず書きます。

勿論、そういう時、「表現の仕方」には、
読んだ人をなるべく嫌な気持ちにさせないような配慮はしますけどね。


でも、「これをしちゃいけない」っていうタブーを、
あんまり自分に作っていないから、
それはそれはもう、心は自由!!

「あんまり」っていう表現をしたのは、もしかしたら、
まだ無意識に何かあるかもしれない可能性を、捨てきれないから。


マジメな話からバカな話まで、そのすべて、
まるごと「これが林原琢磨です」って、表現できてしまう。


そうやってタブーがなくなるほどに、どんどん、
自己開示に、自己表現に、恐れが無くなり、自由になっていく。

そして、自由になればなるほど、
どんどんいくらでもいっぱいできるようになるから、
やればやるほど、「自己表現スキル」は上がっていく。

それが上がれば上がるほど、
自分の心と自分の行動の一致感を作れるようになっていく。

「自分のことが分からない」
「やりたいことが見つからない」
なんて苦しみとは、一切無縁になるわけです。




だから、オススメですよ。

どんな自分も、勝手に、無理に線引きすることなく、
「全部が自分自身」っていうふうに捉えられる生き方は。



線引きの主な例として、
「ビジネスとプライベート」
っていうのを出しましたけど、
他にもいくらだってあると思います。

「恋人の前の自分と友達の前の自分」とか、
「母親としての自分と女性としての自分」とか、
「普段の自分と趣味に没頭している時の自分」とか。


別に、「同じ態度を貫け」って意味じゃありません。

「恋人の前でしか見せない顔」が、当然あっていい。

けれども、大切なのは、
「恋人の前でだけ自分らしくいられて、
他の時は自分を押し殺して生きている」
というふうにならないこと。

見せる顔が違っても、恋人の前でも友達の前でも、
ちゃんと自分の人生を楽しんでいられること。



そういう生き方を、
僕はしたいと思うし、
している人のことが好きです。



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