昭和大学リカレントカレッジ リポート 「がんと言われても動揺しない社会」は実現可能か?
この記事は、2023年10月から2024年2月まで昭和大学リカレントカレッジで開講した講座「CancerX」の受講生の皆さんの、最終リポートをご紹介します。
「がんと言われても動揺しない社会」は実現可能か?
藤下 一
おもしろき こともなき世を おもしろく
「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」
この歌の上の句は、幕末・維新の長州藩の志士高杉晋作が詠み、下の句を勤王の女性歌人野村望東尼が加えたとされる。
今回、昭和大学リカレントカレッジの2023年度秋季講座として、CancerXが行う講座に参加することとした。参加のきっかけは、妻が悪性胸膜中皮腫というアスベスト起因の希少がんに罹患しており、医療や患者・市民参画に興味を持っていたということもあるが、直接的にはCancerXが掲げる「がんと言われても動揺しない社会へ(Cancer, So What?)」という言葉に、少なからず関心と違和感を覚えたからである。
もし「がんと言われても動揺しない社会」へのチャレンジができれば、「おもしろきこともなき世を おもしろく住みなす」ことができるかもしれない。
しかし果たして、がんと言われて動揺しない社会は実現可能なのであろうか?今回の講座を通して、私自身が学んだCancerXの考え方・取り組みを通して、「がんと言われても動揺しない社会の構築は可能か?」「この考え方・取り組みでがんと言われても動揺しない社会構築するには、どのような方法を取るべきか?」という考察を行い、ここに記すこととした。
当然、私が知り得たCancerXの考え方・取り組みは、当講座とCancerXのホームページからという限定的なものであるため、的外れな部分は多いと考える。このため、以下に前提条件を明確にしたうえで、その範囲での思考実験であることを了解いただきたい。
前提条件の確認
先ず、現時点で私が知りえた、CancerXが行っている、がんといわれても動揺しない社会構築のための、前提条件を以下に記す。
1、CancerXの大目的は「がんと言われても動揺しない社会を構築する」ことであり、この主体・主語は“日本国に在住している人”、この達成期限を“20年以内”とする。なお、この主体・主語や達成期限は講義中に確認したものを元に決定した。なお、主体・主語は“みんな”であるという説明を受けたが、問題解決には主体・主語を明確に規定しておく必要がある。ここでは、Cancer Agenda4にマイノリティへの公平さをうたっているため、“日本国民”とせず、“日本国に在住している人”とした。
改めて記載すると、CancerXの大目的を「“20年後に” “日本国に在住している人が”がんと言われても動揺しない社会を“作る”」規定して、以下に論を進める。
2、その具体的方策として、19のCancer Agendaを定め、この実現をもって、大目標の達成を目指す。更に、各Cancer Agenda では、それぞれのCancer Agenda達成のための個別課題をも明確にしている。
3、課題達成を目指すうえで、「collective impact」の発想のもと、目的・目標を同じとする団体との協業を検討する。現在、他の患者会等で同様の目標を持つ団体のマッピングを実施している最中である。
問題解決とは
ここで、問題解決には一般的な手法があり、これを上記の課題解決に当てはめてみる。まず、問題解決に向けた具体的手法を再確認したい。
A.問題を明確に定義する。
まずこの点が、問題解決の最重要ポイントである。ここで「問題」とは、“あるべき姿(あるいは、ありたい姿)と現実とのギャップ”である。このギャップを埋めることが目的となり、ギャップを数値化したものが目標となる。
すなわち、目標を数値化せずに問題解決に向かうと、その方法はいわゆるKKD(カンと経験と度胸)となり、合理的かつ科学的な問題解決は行えない。
B.目的達成のための、いくつかの二次目的(例:CancerXの場合はCancer Agenda/キャンサーアジェンダ)がある場合は、一次目的と二次目的の関係を明確にし(明確化にはロジックツリーや、ロジックモデルなどが有効)、二次目的の設定が、一次目的の達成のために必要十分であることを確認するとともに、各一次・二次目的間に齟齬や相反が起きていないことを考慮することが重要である。
また、目的達成活動が長期にわたる場合は、目的達成への道のりをロードマップとして明示したうえで、そのロードマップ上に一定期間ごとに中間目標を置き、その中間目標への達成を志向することが有効である。ただしこの場合、目標達成活動の間に、ロードマップや中間目標作製時の前提条件に変化が生じていないかどうか、常に留意する必要がある。これは後述する「目的・目標のオーナー(責任者)」の重要な責務となる。
C.それぞれの、目的・目標のオーナー(責任者)を明確にし、それぞれを、誰が、いつまでに、どのレベルで達成するかを事前に定めておく必要がある。さらに、中間期のどのタイミングで、誰が目標達成の進捗度を確認し、どのように修正アクションにつなげるかも重要である。言葉を変えると、PDCAサイクルを適切に回す体制の構築がポイントとなる。
また、目標とした数値に対して代替指標(例:目標達成と関連性が有り測定の容易な指標や、目標達成への活動を数値化したKPI等)を用いる場合は、最終目的・目標の達成が代替指標で置き換えられることを、明確にしておく事が必須となる。この重要性については、後程、Cancer Agenda18の「科学的根拠のある検診と予防を世の中に広める」を例にとって記述する。
D.目的・目標達成に向けて、複数の組織が関与して活動する場合は、関与する組織間で、目的・目標達成の時期・レベル・責任・役割等が、お互い合意されていることが必須であり、また進捗管理についても、事前にすり合わせておくことが必要となる。
いわゆる、きちんとした組織間での“にぎり”がなくてはならない。
問題解決方法をCancerXで学んだ前提にあてはめてみると
上記の「問題解決とは」A~Dに対応させて、今回の講座で学んだ前提にあてはめ、「がんと言われても動揺しない社会」の構築に向けてどのような活動・考え方が必要かを、a~dで考察する。
a.目的・目標の設定と数値化
まず、一次目的である「がんと言われても動揺しない社会へ」をブレイクダウンした。二次目的である「Cancer Agenda」は、ほとんどのがんに関する日本国内の社会課題を網羅していると考える。これは、国が定め先に決定した、第4期がん対策推進基本計画と比較すると検証することができると考える。一応の確認は行ったが、今回は、報告ボリュームの関係で、この点についての記述は割愛する。
次に、目標達成に最重要であるのは達成レベルを数値で示すことである。がんと言われて動揺しない社会とはどのようなものか、目的として定めるのであればその数値化が必須であると考える。また、それと同様に19項目の各Cancer Agendaや、それぞれのAgendaに付随している個別課題についても、達成すべき具体的内容とその数値化が必須である。この部分は最重要ポイントで、目標達成レベルの数値化無くして、目標達成は無いと言っても良いことは前述のとおりである。
その意味で、CancerXで行っている「CancerX がんに対する社会意識調査2020」および、「CancerX 社会意識調査2022」をどのように活用・強化し、目標の数値化に使っていくのかもヒントとなると考える。
b.一次目的と二次目的等の関係の明確化
「問題解決とは」のBで示したとおり、各一次・二次目的間の関係を明確化するとともに、二次目的(Cancer Agenda)が、一次目的「がんと言われても動揺しない社会の構築」に対して、必要十分条件を満たしているか、二次目的間にコンフリクトが無いか等の検証が重要である。その意味でも、上記aで示した目的を数値化した目標の提示は必須と言える。CancerXの大目的である「がんと言われても動揺しない社会へ」や、19項目それぞれのCancer Agendaの達成目標値が明示されていないことは、目的達成に向けての大きな支障となり得る。
この数値化目標がなければ活動の結果、目的・目標が達成されたかどうかを判定することができないのみならず、活動がどこまで進捗しており、どのような修正が必要かという判断もできない。
次に、CancerXの一次目的「がんと言われても動揺しない社会の構築」と、二次目的「Cancer Agenda」間の関係を考察してみる。
まず、Cancer Agendaについは、以下の19項目ある。
1 がんのイメージをアップデートする
2 がんになっても多様な働き方ができるようにする
3 がんに関するアンメットニーズ*を可視化する
4 がん領域におけるマイノリティ*への公平なサポートを拡充する
5 市民が主役のがんに向き合えるコミュニティ形成をする
6 がんになっても自分らしく人生を送ることをあたりまえにする
7 最期の話を話したい時にできる空気をつくる
8 患者だけではなくケアギバー*も支える環境を整える
9 持続可能な医療のしくみを構築する
10 がんに関する情報の信頼性を高める
11 誰もが必要な時に適切ながん情報を得られるようにする
12 患者力*が育つ環境をつくる
13 最適な医療を選択できるようにする
14 患者のQOL*を重視した医療を提供する
15 医療の公平性を担保する
16 研究開発・医療を行う人材やチームの質を高める
17 最良の治療と予防をより早く提供するための研究開発を進める
18 科学的根拠がある検診と予防を世の中に広める
19 がん領域以外の多様な立場の人とも学び合う
※内容はCancerXのホームページより引用
また、Cancer Agenda及びそのイメージ図は以下のとおりである。(Cancer Agendaは上記の19項目あるが、イメージ図は18項目まで決定されているようである。)
※図はCancerXのホームページより引用
次に、「“20年後に” “日本国に在住している人が”、がんと言われても動揺しない社会を“作る”」という大目的と、19項目のCancer Agendaとの関係性を考察する。なお、目的・目標には数値化と同様に、その主体・主語と、実現目標の期日を決定しておくことが必須である。これについては、次のc項で後述する。
まず、大きく3分類を行った。これはCancerXのホームページに記載のある以下の3分類に従った。一方、この分類では何をするためのAgendaであるかが明確になりづらいため、あえてCancerXの記載表現に、なにをするかという動詞を付記・変更した。
イ:社会のしくみや人々の認識を“変える”
ロ:正しいがんの情報を“伝える”
ハ:医療や研究を“推進する”
また、CancerXホームページ上では、上記の3項目とCancer Agendaとの関係を
イ:1~9
ロ:10,11
ハ:12~18
と整理しているが、Agendaによっては上記3項目の中間に位置するものもあるため、この点を加味して再分類したうえで、1~19の各Cancer Agendaの関係を図示した。
表記はロジックツリーを意識して、最上位に大目的を置き、その実現の必要条件の順をイメージに配列した。また、各Cancer Agendaはその数字で表記した。
今回それぞれの関係について詳細な考察は行っていないが、図を概観した印象では、大目的とCancer Agenda間及び、Cancer Agenda相互間に矛盾やコンフリクトは感じられなかった。
一方、Cancer Agenda2と6、10と11、3と4と15、17と18に関しては、解決すべき課題に質的な重なりがある印象であり、それ以外のCancer Agenda間にも弱い重なりが認められるものが多くあった。これらの質的な重なりがあるものに関しては、目標数値設定の際に精査が必要かもしれない。
また、Cancer Agenda1と19は二次目的ではなく、他の二次目的のAgenda と並列に置くことに違和感を感じる。Cancer Agenda1は大目的及び、すべてのAgendaと相互関係を持っており、Cancer Agenda19はそれぞれのAgendaを実行するための方法論である。このため、Cancer Agenda1と19に関しては、他のAgendaとの関係を明確にしておいたほうが良いと感じた。
c.実現に向けた責任とPDCA体制の構築
問題解決に当たっては、誰の責任でこれを解決し、そのためにどうPDCAサイクルを回す体制を構築することが重要である。ここに記すまでもなく、このPDCAサイクルを回すこと無しに目的・目標の達成は望めない。またいかなるケースも、問題解決に当たる、主語・主体や誰が執行者であるかを確認することと、達成期限はいつまでなの
かを確認することが、PDCAサイクルを回し、問題解決を行う上で最重要であることは論を待たない。
その意味で、CancerXの大目的および、各Cancer Agendaにこの数値化された目標が明示されていないことがとても気になった。更に、誰のための大目的・Cancer Agendaであり、いつまでにそれを達成するかを明示することも急務と考える。
加えて、問題解決のオーナー(責任者)を明確にすることも重要である。
一般的に、これらを明確にしておかないと、親方日の丸的な責任が不明確なプロジェクトとなり、なんとなくやっている感だけの活動となりかねない。
d.別組織との協力・協業について
別組織との協力・協業については、大きなポイントが二点ある。
一点目は、近い目的・目標をもっている組織との、協力・協業は非常に重要である。別組織と良い関係を構築し、複眼的視点で問題解決に向かうことは大きな力となる。一方で、この際に注意すべき点もある。目的が近いがゆえに、方向性のずれに気が付かない、あるいはあえて無視してしまう場合が起こりがちである。協力・協業においては、数値化した達成すべき目標・達成レベル、達成時期等をきちんとすり合わせておく必要がある。これを行って行わないと、同床異夢のまま活動を進めていくこととなる。
二点目は、最もパワーを持つ組織がどこであるかを見極めることである。
その意味で、がん治療においては、各患者団体、学会・アカデミア、製薬企業等の民間企業、マスコミ等に加え、最大のパワーを持つ組織たる国やその他行政組織との協力・協業を、どのように行っていくかという点がポイントである。ここで、国の取り組みについては第4期がん対策推進基本計画の例を取っても、国自体の目標達成にむけた、責任体制の明確化と、達成レベルの明示は薄弱と言わざるを得ない。
一方で、がん対策においては、国は最も組織的な活動を行う事の出来るということも自明である。この組織(国)との合理的な関係を、如何に構築していくかも大きなポイントである。他のステークホルダーの協力・協業のなかでも、特に国が立てた計画とどのように目的を共有するかは、各二次目的(Cancer Agenda)の数値目標策定の際にも留意すべき案件であると考える。
実例としてCancer Agenda18「科学的根拠のある検診と予防を世の中に広める」を持いての考察
今回は、個別のCancer Agendaについて問題解決のあり方に言及するスペースがないため、Cancer Agenda18が取り上げている課題を例にとり、
1.Evidence-based medicine(科学的根拠のある社会活動)
2.問題解決の在り方
について、問題事例の指摘を行う。これはあくまで、問題解決のあり方や、科学的根拠に基づいた意思決定の重要さの明示のために行うものであり、問題点の指摘に他意はないことを断っておく。
1、Evidence-based medicine(科学的根拠のある社会活動)
がん検診においては、2023年に閣議決定され発行され、現在執行のステージにある第4期がん対策推進基本計画がベースになることは衆目の一致するところであり、この第4期がん対策推進基本計画を無視して、がん検診の在り方を議論するのは適切ではないということについてはほとんどの方の賛同が得られるものと考える。このため、この第4期がん対策推基本計画におけるがん検診部分に関して、批判的検討を行うことで、各Cancer Agendaの科学的根拠のある社会活動による問題解決推進の参考とする。
まず、がん検診の目的は何か?これは、がんの死亡率を低下させるためのものであることは、論を待たない。一方で、これまでのがん対策基本計画での目標は、がん検診の受診率向上(第3期がん対策推進基本計画では50%が、第4期が対策推進基本計画では60%に変更)とされている。一方で、がん検診による死亡率低下については、リアルワールドデータは調査されておらず、がん検診の目標数値達成が、どの程度の死亡率低減につながるかは明示されていない。少なくとも私自身は、寡聞にしてしらない。
仮に、がん検診による死亡率低減効果が数値として明示できるのであれば、「あなたは、がん検診を受けることで、○年長生きできます!」という、がん検診の強力な推奨フレーズとなる。この点は、本文の「問題解決とは」の章の項目Bの一次目的と二次目的の間に必要十分条件が確保されていなければならないこと、また項目Cで記載した、解決目的の数値化と代替目的の数値の整合性が、いかに重要であるかということを示している。
2、問題解決の在り方
次に、Evidence-based medicine(科学的根拠のある社会活動)については、胃がんの検診を例に挙げて示しておきたい。「胃がん検診ガイドライン」は2014年に発行され、それ以降改訂されていない。胃がん検診ガイドライン本文中には、発行後5年後をめどに改訂を行うとの記載にもかかわらず、2024年初の現在をもってしても改訂がおこなわれていない。更に問題なのは、このガイドラインの根拠となっている、「胃がん検診エビデンスレポート」も同じく、2014年以降発行・改訂されていない。科学的根拠をうたうのであれば、基礎となるデータがないまま意思決定を行うことは著しく合理性にかけ、国民・市民に納得を得ることはできない。
以上、あくまで一例ではあるが、問題解決における合理的手順と、科学的根拠の重要性を示した。
まとめ
今回、昭和大学リカレントカレッジの2023年度秋季講座として、CancerXの講座を受講することができ、多くの刺激を受けた。特に、CancerXが掲げる、「がんと言われても動揺しない社会へ(Cancer, So What?)」という組織目的や、これを解決するための「collective impact」や「equal relationship」という考え方・アプローチは非常に新鮮であり、とても勉強となった。耳順の齢を大きく超えてなお、新たな学びと気づきを与えてくれたCancerXに心から感謝する。
本稿では、これまで自身が問題解決を行ってきた経験から、「がんと言われても動揺しない社会へ(Cancer So What?)」という組織目的や、それをブレイクダウンした「Cancer Agenda」の実現可能性をいかに上げていくかという視点から考察を行った。CancerXの活動のすべて把握しているわけでは無いため、あるいは、私自身ががん治療においては浅薄な知識しか持ち合わせていないこともあり、ピントが外れた部分が多々あると思う。ぜひ、指摘・修正をいただければ幸いである
最後に、CancerXが掲げる「がんと言われても動揺しない社会へ(Cancer, So What?)」が、近い将来に実現され、おもしろきこともなき世が、おもしろく住みなすものとなることを強く祈念して、昭和大学リカレントカレッジの2023年度秋季講座CancerXの講義の報告とする。
昭和大学リカレントカレッジ
CancerX(オンライン講座) ~がんと言われても動揺しない社会へ~
2022年秋より昭和大学にて開講している社会人のための講座です
講座内容
毎年新たに100万人が、がんになる時代。その数は、生まれてくる子どもより多い。「がん」経験者、がん患者の家族や友人、職場の同僚。立場は違えども、すべての人が、「がん」の当事者と言えるでしょう。
本講座では、Collaborate/Change/Cross Out(かけあわせる/かえられる/かこにする)を軸に、情報や経験を共有し、アイデアをぶつけ合い、イノベーションの糧にするとともに、がんと言われても動揺しない、より良い社会をめざすための基本的なスキルを提供し、新しい社会活動の糧にしていきます。
リポート監修
CancerX 糟谷明範、鈴木美慧、鎌田真寿
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