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「シン仮面ライダー」思いの外面白かった。

シン仮面ライダー

予告編見てたらTV版仮面ライダーの庵野版現代風リメイクかと思いきや、石森章太郎氏の原作マンガの要素も盛り込まれていた。
しかしそのせいで、作品としてはどっちつかずになってしまった感は否めない。
多分子供時代にみたテレビの仮面ライダーへの思い入れと、原作者の石森イズムともいうべき彼の作品の根底に流れる作品哲学の間で振り回された結果の終着点が上映版になったのだろう。
リアルタイムでこの作品に触れた世代としてはビジュアルとしてのテレビと、思想としての漫画の両方に強く影響を受けてしまったのは理解できるが、いっそTV版を忘れて、原作を現代風にアレンジして振り切って作った方が良かったのではなかったのかと思う。

そもそもの仮面ライダーと作者の石ノ森章太郎氏について整理してみる。

原作者の石森(石ノ森)章太郎氏は仮面ライダーを始め、ゴレンジャーやキカイダーなど多くの変身ヒーローを生み出している。その殆どが子供向けのヒーローテレビ番組の為に企画、キャラクターデザインで参加しているもので、当然テレビの子供向け番組という制約の中で妥協しながら生み出されていったと想像できる。

たぶんこの仮面ライダーが石森がテレビに参加した初めての作品だっと思う。(間違っていたらすみません)そういう中で、バッタの怪人が主人公のヒーロードラマの企画が通った事自体が奇跡に近いことだと思う。
悪(?)の組織に誘拐され、悪の怪人や兵器として改造されてスーパーパワーを与えられるけれど、組織を逃げ出してその組織と戦うというパターンだ。
アメコミのヒーローのように正義のために存在するヒーローではなく、悪の組織によって作られた怪人がヒーローになって、しかもバッタの怪人である。そのバッタの怪人が改造した悪の組織からの追手と戦い組織に復讐する為に戦うというとても子供向きとは思えない設定だ。

TV版の仮面ライダーも1号ライダーが怪我で降板するまでは、ある程度制作も石ノ森の設定にそってなおかつ子供向けとして折り合いをつけようと試行錯誤して努力した形跡があり、画面も暗くヒーローものというよりもホラー色が強く出ている。
そのため視聴率も思ったように上がらず苦戦をする。
ライダーへの変身も有名な「へんーーーしん」の掛け声は、1号ライダーではなく、2号から使われて、主役の一文字隼人も初代の本郷猛に比べると明るいキャラクターに変更された。そのおかげで仮面ライダーは子どもたちに受け入れられ現在まで続くヒーローとなっていく。

もともと原作マンガでは仮面ライダーへの変身は、仮面をかぶることで「変身」する。改造手術によって、怒りと共に浮かび上がる顔の傷痕を隠すために仮面をつけて変身をする。心ならずも人間でないものに改造されてしまった哀しみを隠すための「変身」なのである。
もちろん、それは戦うために身体強化をするための変身やヘルメットの意味もある。

メディアと石ノ森


石ノ森章太郎という作家はたぶんメディアというものを本当によく理解していたのであろうと想像できる。スイッチを入れれば望むと望まざるとに関わらず作品が視聴者の目にはいるテレビと、自ら対価を払って購入しない限り作品が視聴者に届かない雑誌や本というメディアの違いをよく理解していて、テレビでしかも子供向けに放映される作品と本はアポローチが異なって当たり前。テレビで興味をもった子どもたちが自分の作品に込めた思いを理解できる年齢になったら、漫画を読んでくれれば良いと思っていたのではないだろうか?

そういう意味ではTV版の1号ライダーの作品作りは、石ノ森の望んでいない作品作りを制作が押し切って行ったか、確信犯的に制作と石ノ森がどこまで通用するかテストを行った作品なのかもしれない。

石ノ森の生み出したヒーローたち


そもそも石ノ森の作品に登場するヒーローたちは、ほとんど仮面ライダーにしろキカイダーにしろサイボーグ009にしろ、なんの疑問もなく単純に正義の味方をするヒーローは存在していない。ほとんどが悪(?)の組織に誘拐され、悪の怪人や兵器として改造されてスーパーパワーを与えられるけれど組織を逃げ出してその組織と戦うというパターンだ。
常に普通の人間でなくなってしまった悲哀をかかえ、自分と同じように誘拐され怪人に改造され洗脳された自分と同じ被害者と戦い続けることに悩んでいる。
死闘の果てに訪れる勝利は、決して快哉を叫ぶ喜びではない。そこにあるのは哀しみと虚しさだけであるという暗く重い主命を背負ったヒーロー達だ。

また、石ノ森は正義とは何かを作品で問い続けていく。
正しさの定義なんて人それぞれの解釈で簡単に変わってしまう。そんな正義って本当はなんだろうか?と読者に問い続けている。
そういう意味では悪の組織にしても純粋悪と言えるのか?現在も戦争を続ける国家と犯罪組織は何が違うのか?
気づいていないだけで普通の人間が知らないうちに、自然破壊や動植物の絶滅や公害問題。科学の進歩による暴走、戦争や貧困、過疎化など社会的な問題の加害者になっているのではないかと問いかけている。

ヒーローの敵の怪人たちが昆虫や動物なのは自然破壊への警鐘であり、改造人間やサイボーグなどのオーバーテクノロジーのは進みすぎる科学への警鐘なのかもしれない。

石ノ森氏の作品は他の漫画家にくらべて非常にメッセージ性が強い作品が多い。
彼がすごいのはそのメッセージをエンターテイメントの中にうまく埋め込み、うっかりするとその毒に気づかない作品に仕上げてしまうのは才能だろう。
いつか誰かが気づいてくれれば良い。サブリミナルのように自分の作品に触れた子どもたちの何人かが環境破壊や社会的問題に大人になった時に興味を持ってくれれば良い。と思って作品を生み出して行ったに違いない。

庵野監督と石ノ森章太郎の共通点


こんなふうに考えていくと、庵野監督自身が意識しているかどうかはわからないが実は庵野監督の代表作のエヴァンゲリオンにも石ノ森氏の作品との共通点が多いことに気がつく。
・主人公のシンジは望んでいないのにエヴァに登場させられる。
・セカンドインパクトという環境破壊
・エヴァンゲリオンと敵の使徒は同じ
・正義の組織か悪の組織かわからないネルフという組織
・哀しみと虚しさをかかえる主人公
などなど。
たぶん、現在の庵野監督という人間にたいして、石ノ森作品が与えた影響はとても大きかったのだろう。

シン・仮面ライダー


仮面ライダーとそれを生み出した石ノ森章太郎氏について考察してきたが、たぶん庵野監督はシン・仮面ライダーで石ノ森が漫画の仮面ライダーで読者に本当に伝えたかったことを映像化したかったんだろう。
あの原作を現在の技術を使って庵野監督なりに新たな石ノ森版仮面ライダーとして作品にすればもっと違った評価になったのかもしれない。
でも、子供の頃に見て刷り込まれた初代仮面ライダーのカッコよさは忘れられず、現在の技術で形にしたくなったのではないだろうか。

この作品に対して評価が賛否両論になるのはまあ仕方がないかなという気はする。いまのいかにもヒーロー然とした仮面ライダーしか知らない人には重くて暗いヒーロー映画だし、TV版仮面ライダーの世代でテレビしか知らない世代にとってもなんか違う感があるだろう。TV版と原作を知っている人間にとっては中途半端に見えてしまう。
どれが良いとか悪いとかじゃなくて、原作漫画の仮面ライダーとテレビの仮面ライダー(初代)は基本的に別物だと思うし、ましてや平成仮面ライダーはもうマルチバースだろう。

それでも、庵野監督は自分の趣味性やオタク気質と戦いながらよくまとめたと思う。まあ、相変わらずの詰めの甘さやケツ砕け感やオタク感はあるけど、それも含めて庵野作品の魅力と捉えてよいかなと思う。

ヒロインについて


ヒロインを演じるのは「君の膵臓を食べたい」で話題になった浜辺美波という若手の女優さん。この女優さんの評価がレビューや評価を読むとやたら高い。
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なんか、ネットとかで断片的にしか見たことなかった浜辺美波さんですが、今作ではえげつないくらいかわいかったので、ぶっちゃけシン・仮面ライダーの見どころの85%は浜辺美波がかわいいところといっていいくらいえげつないくらいかわいかったです。
とか
この作品の最大の見どころは浜辺美波がかっこよくてかわいいところを愛でる部分かと思います。そして、今作の最大の失敗はそんなかっこかわいい浜辺美波がストーリーの3/4あたりで死んでいなくなるところです。そこからは一気に苦行になりますが、美波かわいかったなあと反芻しながら残りの物語を見終えたらいいと思います。
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苦行とまで言われるってなんだかなあ(笑
確かに美人で演技力もあり魅力的な女優さんで、庵野監督もお気に入りなのか、やたらアップは多いし美人に撮影してるけど、ここまで話題もって行かれるのはミスキャストかも(笑

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