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クマに威嚇される|赤丸天の「My Canada」

ワプタロッジでの自分の仕事は、ガソリンスタンドで上司のジョンのもとで給油することだった。

ガソリンスタンドのスタッフは我々二人だけだったが、交通量は少なく、複数の客が並ぶようなことはないので二人で十分だった。

ジョンは、経験もない自分に親分風を吹かせるようなことは一切ない親切な30代の男性で、客が来ると給油の合間にせっせとウィンドーを拭い、オイルをチェックし、愛想よく対応して送り出す。自分も見様見真似で働き、一端の給油マンになったのような気持ちだった。

仕事には早番と遅番があり、朝晩のときは自分が店を開け、遅番のときは自分がレジを閉めて店を閉じた。

休日になるとロッジの後ろにある山を一人で歩いた。山といっても岩肌の険しい山ではなく松林が生い茂ったごく普通の山だが、ここら一帯は野生の動物のテリトリーなので黒クマもそこら中にいて用心が肝心だ。

そこで、教えてもらった通り、一人で山を歩くときは腰に小石を入れた空き缶をぶら下げて歩いた。

クマはふつう人間を避け自分から襲ってくることはない。ただ、向こうが気が付かないときに鉢合わせすると危険なので、音をたてて事前に自分がいることをクマに教えるためだ。この空き缶が効果的だったためか、山を歩いているときにクマに出会ったことはなかった。

さて、ロッジには夜になるとゴミ箱に捨てた食料を目当てに動物がたくさんやってくる。

大鹿、エルク、そして黒クマ……。動物がいても十分に距離を取っておけば問題はないが、ここは日が暮れると足元さえ見えない真っ暗闇になり、その暗闇の中に動物がいることを本能的に感じるときは気味が悪いものだ。

ある日、遅番の一日が終わり店を閉めようとしているとき、ガススタンドのガラス張りの壁の外に何か黒いものが動いたのを感じた。

神経を集中して目を凝らして見ると、それは背丈が80センチほどの黒クマで、ゴミ箱に向かってノロノロと歩いていた。ガラス張りの壁を挟んでクマと自分との距離は5メートルほど……。

いたずら心を起こして、「もっと近くで見てみよう」とガラスに近づいた途端、それまで自分には注意を向けていなかったクマが立ち止まり、素早く自分を睨んで無言で威嚇してきた。

「それ以上近づくなよ!」

クマにとってガラスの壁を破って自分を攻撃することなどその気があればいとも簡単だ。

威嚇されて咄嗟に息を殺してフリーズすると、クマは振り返ることもなく、またノロノロと歩いて暗闇に中に消えていった。

一息つきながら、無知が故にクマの領域を侵してしまったことを恥じると同時に、威嚇だけで許してくれたクマに感謝した。

Ten Akamaru(赤丸天)

1970年代にカナダはトロントの現OCAD Universityに留学し、1980年代にカナダで起業。その後カナダ市民権を取得しバンクーバーに生活拠点を置く赤丸が、枠にとらわれずに現在と過去の出来事や日常を綴るコラム。カナダと日本の比較、カナダの特色および文化、社会や考え方など、長年暮らす❝My Canada❞を描写します。