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ロッキーの話 |赤丸天の「My Canada」

トロントのアートカレッジOCA(現OCAD)での留学1年目が終わった夏休みに、ロッキーの真っ只中にあるワプタロッジで働かせてもらうことができた。客室が20あまりの本棟にいくつかの個別キャビンがある個人経営のロッジで、本棟から50メートルほど離れたところにガソリンスタンドもあった。

言うまでもなく、カナディアンロッキーは観光地として知れ渡っているが、最近はカナダに来てロッキーを見ないで帰る人も多いのが残念だ。ロッキーの魅力は単なる絵葉書のように美しい景色ではなく、魂を❝ギュッ❞と掴まれて揺さぶられるようなような大迫力なのだ。

まず、そのスケールは、島国で生まれた人間が想像できる「大きさ」の限界を超えている。そしてロッキーと呼ばれれる所以である岩が剥き出た荒々しい山肌は、対峙した人を金縛りにして、賛美する言葉さえ一瞬にして奪ってしまう。ある日本人留学生の女性は、ロッキーを初めて見た時の感激を、「ただただ、ごめんなさいと繰り返して涙を流した」と書いていた。

さて、ワプタロッジは、バンフから2時間少々離れたトランスカナダハイウェイ沿いにあり、近くにはキッキングホース川やタカカウ滝がある。ハイウェイ沿いと書くと交通量の多い場所を想像するかもしれないが、ロッキー内を走るハイウェイは広大な土地の中に道が一本あるのみ。

ワプタロッジは、正面にワプタレイクを眺め、背面を森林に囲まれて、あたり一面に鼻の奥を❝ツーン❞とつく透き通った松林の香りが漂っている。

東京育ちで、昨日までカナダ最大の街トロントで暮らしていた自分にとって、ワプタロッジの環境は文字とおり別世界だった。ここにはTVもない、新聞もない、隣家もない、店もない、もちろん当時はインターネットもない……。

「一体どうしたらいいんだ!?」とパニックしても不思議はない環境だったのだが、実際は、着いて30分もすると不便など全く感じることはなく、何もないことに慣れるのはいとも簡単だった。

東京という大都会育ちの自分でもトロントの生活に慣れるには半年かかったが、大自然に慣れるのはやさしいことらしい。もともと人間は自然の一部だからだろう。

ワプタロッジでの生活が始まって数週間過ぎたころ、一緒にアルバイトしている学生たちと一緒に1時間ほど離れたバンフの街まで遊びに行った。しばらく見ていなかった人混みの中を歩き、交差点に来て赤信号で立ち止まったとき思った。

「ワプタロッジには信号はない。いつ、どこを歩こうと自由だ」。

信号に対して今まで感じたこともない規制を感じ、同時に、たった数週間で自然の中で暮らすことに慣れてしまった自分を発見した。

Ten Akamaru(赤丸天)

1970年代にカナダはトロントの現OCAD Universityに留学し、1980年代にカナダで起業。その後カナダ市民権を取得しバンクーバーに生活拠点を置く赤丸が、枠にとらわれずに現在と過去の出来事や日常を綴るコラム。カナダと日本の比較、カナダの特色および文化、社会や考え方など、長年暮らす❝My Canada❞を描写します。