何がしたいのか?何をすべきなのか?何をすれば社会から認められ、健康で文化的な最低限度の生活を営めるのか?
こんにちは、さやです。
カナダの冬はもう終わったのか、私の住むオンタリオ州ロンドン市は今日の最高気温17度の予報。この冬は期待していたほど雪は降らず、そのため特段雪で困るようなこともありませんでした。
次の冬はもっと雪が降るかな。あと何回、カナダで冬を迎えられるかな。そんなことを考えるこの頃です。
今日は、時間の使い方について、ふんわりと書いてみようと思います。
1日4時間労働
最近の私は、1日4時間程度しかお仕事をしていません。
敢えて減らしているわけではなくて。理由はざっくり2つ。
①は、ものすごく良いことですよね。
Notionでタイムブロッキングやタイムログを習慣化するようになってから、時間対効果がかなり上がりました。
同時に、GPTsを活用することで、仕事の作業効率も上がったと思います。
これらはとても良いこと。
一方で、②のそもそも仕事量が多くない点が、ここ最近の悩みです。
先月は売上目標にわずかに届いておらず、もっと仕事を増やしてもいいのでは?と思い始めているこの頃。
しかし、空いた時間に仕事を詰め込むことが、果たして自分の人生において良いことなのか…?
それなりに売上があって、効率的に仕事ができていて、時間の自由を生み出せたのだから、もっと自分の好きなこと、やりたいことに時間を使っても良いのでは?と思ったり。
でもそうすると、私の好きなこと、やりたいことって何だっけ?母国語が通じないここカナダでできることって、何があるんだっけ?
そんな問題に直面しています。
理想は現地就業
経験とお金を得るために、新しく日本の仕事を受注しても良いかなと思う反面。
私がそれをせずにいる最大の理由は、ここカナダで働いてみたいからです。
私の場合、現在は観光ビザしかもっていないので、カナダで就業することはできません。
ただ、夫がカレッジ卒業後に「ポストグラデュエートビザ」を取得するタイミングで、私も就業可能なビザに切り替わる見込み。
つまり、夫が就職可能になる2025年1月から、私もカナダで働く権利を得られるわけです。
せっかくカナダにいるのだから、やっぱり現地で働いてみたい。
ただし英語が得意ではないので、スキルアップは必須です。
だから、ビザの上で働くことが可能になる来年1月まで、英語スキルアップに時間を使いたいな、と思っているのです。
オフィスワークに就くのは現実的ではないので、飲食店などでアルバイトができたらいいな。
週に数日、日中はレストランなどで働いて、それ以外の時間で今やっている日本の仕事も続ける。ちょっと減らすかもしれないけど、もともとそんな長く働いているわけではないので、できそうだなぁ、と。
この計画が実現すれば、私はカナダドルと日本円の両方の収入を得ることができるし、何より英語で働く経験も得らえる。
改めて文章にすると、それってちょっと楽しそう、と思っている自分がいることに気がつきます。
そう思えるなら、この選択はきっと自分の正解にできそうな気がします。
正解か不正解か
一方で。
先日日本で一緒に人事をしていた元同僚と、オンラインでおしゃべり会を実施しました。なんと、6時間もしゃべり倒していたのだからびっくり。
お互い人事畑なこともあり、自然と話題はキャリアの話になります。
元同僚が、こんな話をしてくれました。
私も、そう思います。自分が採用をしていたとき、同じように思っていました。
そしてこの言葉は、そっくりそのまま私にも適応されます。
これは、やっぱり厳しいけど現実です。
そんななかで、今度はカナダの飲食店でサーバーをしました!という経験がプラスされたら…どうでしょう?
さらにキャリアが混沌としていくように思います。
もちろん、ストーリーは描けます。
日本で人事の経験を積んで、ビジネスのグローバル化を強く意識したから、生きた英語を使えるようにカナダの現地で働いたんだ、と。
だから帰国後は、人事経験×英語力を生かせる仕事に就きたいんだ、と。
ストーリーは、悪くないかもしれません。
でも、多くの場合、個別のストーリーを面接官にアピールする前に、書類の段階で落とされてしまうでしょう。
本人から聞かなきゃわからないストーリーは、応募書類から読み取りづらい。
加えて、採用は結局『相対評価』。もっと人事経験が長くて、もっと英語が流暢な人がいれば、そちらが採用されるものです。
そう考えると、カナダ現地で英語の仕事を経験することは、私にとって本当にプラスなのか。
そもそも私は、帰国後また企業で人事の仕事をしたいと思っているのか。
採用される見込みなんてあるのか。
そんなことを考えていると、カナダで働いてみたいという私の願望は『正解』じゃないのではないか。
もんもんと、そんなことを考えてしまいます。
逆に、日本でずっとITの仕事をしていて、海外のクライアント対応を少ししていた夫のストーリーは、面接官側から見て明確です。
ITエンジニアが、海外対応をもっとスムーズにできるようになりたいと思って留学し、現地での就業経験を経て日本での再就職に挑む。
かなりきれいなストーリーです。ITと英語のスキルが伴っているなら、文句ないストーリーといえます。
私は違います。
採用側だったからこそわかりますが、正直「カオス」です。ここにまた、カオス要素をつけ足すのか。
そう考えると、現地で働いてみたいなんて考えは単なる興味・関心レベルの浅い思考から生み出された、『不正解』だと感じてしまうのです。
思考の層
そしてまたヒドイことに。
私は『思考の層』がかなり何重にも深いタイプの人間だと思うことがあります。
そのため、「カナダで働きたいから英語の勉強に時間を割きたい、日本の仕事を増やさないなんて、実は"仕事をしたくないことに対する言い訳"に過ぎないのではないか」と考えてしまいます。
本当は、サボりたいだけでしょ?
やらない理由を、それらしく並べ立ててるだけでしょ?
そういわれると、そうかもしれないと思う。
本当にカナダ現地で働きたいのか?英語スキルを習得したいと思っているのか?
なんだか怪しく感じます。
じゃあ、何がしたいのか?何をすべきなのか?何をすれば社会から認められ、健康で文化的な最低限度の生活を営めるのか?
いや。社会から認められるなんて思考はそもそも必要か?おこがましいのではないか?
ぐるぐると思考が空回りして、結局手軽に楽しく時間をやり過ごせるNetflixに逃げてしまっているような。
そんな虚しさを感じることがあります。
会社員時代は、そうではなかったと思います。
やることが勝手に降ってくるから、「何をすべきか」と考える必要がほとんどない。自分であれこれ選択し、決断していたように思うけど、それは本当に限られた箱の中での話。
自分の生活をイチからデザインするような、そんな選択や決断は、実のところあまりしてきていなかったのかもしれません。
今、ここ
同様に。
そんな複雑に考えずに、「今、ここ」に集中すればいい、というマインドフルネスの言葉がよぎります。
将来のことなんてわからない。
私たちの脳が感知できる時間は「今」しかなく、それ以外は虚像である。
私たちが感じる不安の9割は、現実には起こらない。
そんな言葉をたくさん思い出します。
でもそうやって「今」だけに集中するのは、思考停止ではないか?
より良く生きる人生と、異なるのではないか?
努力の先にもっと素晴らしい人生があり、だからこそ自分が熱中できる何かを見つけることが大切なのではないか?
そしてそれは、きっと他者に貢献できるものであり、求められることなのではないか。
そんなことを考え始めると、もはや最初の自分の課題「空きができた仕事時間をどう活用していくか」から、かなり遠ざかってしまっています。
かなり、整理が必要ですね。
私はこんな思考を、毎日毎日繰り返しています。本当にめんどくさい人間です。
もっとシンプルで、明快で、わかりやすい人生を選ぶことはできなかったのでしょうか?
そう考えて、また思考の層の中にうずもれていく。
私には、自分の思考とうまく付き合う訓練が必要です。現実と思考を切り分け、現実を直視し、ムダな思考はそっと脇に置く訓練が。
世の中みんな、こんな面倒に生きているのでしょうか?
もっとシンプルなんじゃないか。
なんだか本題とかなりずれてきましたが、いったん落ち着いて。思考を整理してみようと思います。
生きるって大変だ!
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