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『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』(ディズニープラス)

社会派すぎてどうしよう

せっかくディズニープラスに加入したので、何かおもしろいドラマはないかと周囲に訊いたところ、オススメとして教えてもらったのが、いまのところ全9話の配信ドラマ『DOPESICK アメリカを蝕むオピオイド危機』(2021)だった。勧められるままに、何の予備知識もなく見始めたのだが、あまりに重い展開に何度も再生を停止しては「ハァ~~~」とため息をついてしまった。実話ベースの社会派ドラマという触れ込みだが、ここまでリアル&残酷にする必要性あるか? 描写が真に迫りすぎて、見ているだけで体調を崩しそうになる。ちょっとは観客の精神的ダメージも考えてくれとツッコミたくなるような怖ろしいドラマであった。またこれが「見るのはつらいが、途中で止めるわけにもいかない」という厄介な作品で、エピソードごと律儀に精神的なダメージを食らってしまった。シーズン2以降の続編制作は未定、ひとまずシーズン1の最終話(9話)までを見終えたところである。

本作のテーマはアメリカの医療業界。製薬会社パーデュー社が、さまざまな痛みに効くオピオイド系鎮痛剤「オキシコンチン」を開発したところから、この物語は始まる。この新薬によって、慢性的な痛みに苦しみ、仕事や生活のままならなかった人びとが回復し、快適な日常を取り戻していったのだ。魔法の新薬だ! と喜んだのもつかの間、オキシコンチンには麻薬なみの刺激と依存性があった。服用していた人びとは効果が切れたとたんに苦しみ出し、やがて重度に依存していくことが明らかになる。使用者を待ち受けているのは刑務所か死。オキシコンチン中毒でアメリカ全土の地域社会が破壊され、犯罪や窃盗が横行し始めた。多くの人びとの健康を害することで利益を上げていく、恐怖のビジネスがオキシコンチンであった。この事態を重く見たDEA、司法省は、パーデュー社に警告して薬の販売を止めようと試みるが、大企業であるパーデュー社は資金力を使ったロビー活動や利益供与、天下りなどの技を駆使して、FDAや各種省庁を丸め込んでしまう。薬の販売は停止されるどころか、売上高を爆発的に伸ばしていき、パーデュー社は大きな利益を得ていった。

依存症を直そうとがんばっているところ

薬物依存は「だらしない」から?

薬物依存に陥る人について、われわれは無意識のうちに「だらしない」「自制心がない」といったイメージを持ってしまいがちだ。「依存してしまった人を責めはしないが、きっと誘惑に弱い性格なんだろう」と、どこかで見下すような部分があると思うし、自分はそうならないという根拠のない優越感を抱くものである。しかし、このドラマを見た後では、そのような発想は完全になくなる。誰もが依存症になってしまうし、一度なってしまえば、そこから抜け出すのは本当に難しいのだと思い知らされる描写が連続するのだ。その象徴的な存在となるのが、サミュエル医師(マイケル・キートン)である。私はもう、彼を見るのがつらくてつらくて、サミュエルが出てくると反射的に停止ボタンを押してしまっていた。もうマイケル・キートン見たくない。サミュエルは地域の人びとの健康を支える、頼れる医師である。まじめで面倒見のいい彼は、コミュニティのために献身し、人びとから厚く信頼される理想的な人物だったが、製薬会社の「安全な薬だ」という説明を信じて多くの患者にオキシコンチンを処方し、地域に中毒者が蔓延するきっかけを作ってしまった。さらには自分自身も、事故でけがをした際にオキシコンチンを使用してしまい、重度の依存症になるのだ。

あれほど立派な人物だった医師サミュエルが、依存症によって豹変する展開は本当に見ていられない。薬のために嘘をつき、周囲を騙してでもオキシコンチンを手に入れようとする。かつての医療仲間や製薬会社の営業マンに「薬を分けてくれ」と無心の電話をかけては、相手から「もう二度と電話してくるな」と絶縁されるサミュエル。医師の免許も剥奪され、職を失い、考えられるのはオキシコンチンを手に入れることだけ。かつては誇り高き医師、町いちばんの人格者であった彼がどん底まで墜ちていく描写は、「誰しもが依存症に陥る可能性がある」「意思の力だけではどうにもならない」という現実を再認識するために必要な展開なのだろう。とはいえ、そんな卑しい姿を見るのはキツすぎるし、毎回背中がゾクッと寒くなる。まるで自分が失敗をしたかのような恥ずかしさが襲ってきて、とても画面を直視できない! 密売人から薬を買おうと出かけたら、かつての知り合いと鉢合わせしそうになり、あわてて隠れるシーンの気まずさもリアルだ。依存症は人間の誇りを奪い、恥の感覚を植えつける。そのことが痛いほどよくわかるキャラクターだった。

超富裕層が家族経営するパーデュー社

現実を言葉で捻じ曲げる

しかしパーデュー社は販売を止めない。「過去最高の利益」「販売成績のよかった社員にはボーナス支給」と狂乱状態で、麻薬同然の薬を売り続けるのだ。パーデュー社の営業部員ビリー(ウィル・ポールター)は、会社から「オキシコンチンに依存する確率は1%以下」と説明され販売に邁進するが、やがて薬の悪評が耳に入り、自分が売っている商品は悪質なのではないかと疑い始める。しかし、会社から多額の給与や海外旅行、昇進といったニンジンをぶらさげられて目がくらみ、営業の仕事を止められない。違和感を覚えつつも、状況に流されてしまう登場人物もまた非常によくわかるというか、こういう状況に異を唱えるって難しいんだよなと納得してしまった。環境や日々の慌ただしさに麻痺してしまって、アクションが起こせないといった経験のある社会人は、意外に多いと思う。問題に気づいたからといって、じゃあ明日会社を辞められるかというと、それも難しいものだ。パーデュー社特有の成功至上主義と拝金の思考、どのような手段を使おうとも勝つことがすべてだという発想は、どこか『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)の卑猥さを思い出させる。

目の前にある都合の悪い現実を、言葉でねじ曲げる強引さもアメリカ映画ならではだと思う。問題が発生したら、対策するのではなく「自分たちは間違っていない、なぜなら……」と念仏のように言い訳を唱えて危機を回避する。「俺たちが強く信じていれば、現実の側が俺たちが信じた方向へ変化するはずだ」という現実歪曲の発想が、いかにもアメリカ的なのだ。数年前、大統領選挙に落選した現実を「不正投票」という荒唐無稽な解釈で乗り越えようとした元大統領の態度を思い出させる。オキシコンチンの依存性を疑われたパーデュー社は、「偽依存」という新しい概念をこしらえて反論するのだ。「オキシコンチンに依存するのは、身体の痛みがまだ完全に消え去っていない『偽依存』の状態だからである。だからこそ、依存を疑われる患者にはもっと大量にオキシコンチンを投与して、徹底して痛みを取り除いてしまえばいい。そうすれば依存はなくなる」。パーデュー社は依存性のある薬を売っていると自覚しているが、「偽依存」という言葉を考案し、新しい概念にすがりつくことでその危機を乗り越えようとした。そして「偽依存」をひたすら言い続けた結果、実際に大きな危機をまんまと乗り越えてしまうのである。「ほら言ったろ、もっと薬は売れるし、販売は禁止されないんだよ。だって『偽依存』なんだから」。このように、まずは「こうあってほしい」「こう言えば説明がつく」という理想のシナリオを用意し、そこに合わせて現実を歪曲してしまうという順番のあべこべさが『DOPESICK』であり、ひいてはアメリカらしさなのである。

このドラマはひとつも爽快ではないし、カタルシスもない。DEAや司法省はたんねんに証拠を集め、パーデュー社がオキシコンチンの有毒さを自覚しながら販売していた事実を立証しようとするが、その努力はなかなか実を結ばない。パーデュー社は何しろ手強く、要塞のように堅いディフェンスで攻撃を跳ね返すばかりだ。劇中で描かれる偉大さへの執着、成功至上主義、父と子の衝突、宗教。こうしたモチーフのどれもがアメリカの姿そのもので、見ながら何度も「ここにアメリカがある!」と感じたものだった。利己的で欲深い人物がたくさん出てくるのと同時に、公共のために尽くす人物も数多くいる。その両極端さが実にアメリカらしいのだ。本作がシーズン2を制作せずに終わってしまうとすれば実に惜しい。パーデュー社が倒れる姿を見なければ、とてもじゃないが納得できないのだ。

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