絶品の一品~幻の味~
誰にでも、忘れられない味があるのではないかと思う。それも、普段の何気ない日常生活の中に。
ある晴れた日の夕方。
小学生だった私は、当時、隣に住んでいたおばさんの家に行った。その時おばさんは、コトコト煮物を作っていた。冷蔵庫の残り物を片付けていたのかも知れない。
私が「TV貸して。」と言うと「いいよ。」との返事。私はTVの前に座った。
TVを見ていた私に、おばさんは出来上がったばかりの煮物をそっと出してくれた。その煮物の美味しかったこと! 人参、こんにゃく、麩など、ごくありふれた材料だったが、なぜあんなに美味しく感じたのか分からない。「凄く美味しい!」と感動して私は言った。今でも忘れられない味だ。
その後も、おばさんの煮物を食べる機会はあった。けれど、何度食べても、あの時とは何か味が違った。
大人になって、ホテルや有名レストランで何度か食事をした事がある。値段的にはこちらの方が高かったはずなのに、あの時の煮物の味に敵わない。あれは、あの日あの時あのタイミングで出会った幻の味だったのかも知れない。
大正生まれだったおばさんの青春時代は、戦争時代と重なっていたそうだ。18才で紡績工場に働きに出た話や、朝鮮に疎開し、命からがら日本に戻って来た話などを聞いた事がある。もくもくと黒い煙を吐き出す蒸気機関車に、窓を開けたまま乗り、トンネルを抜けたら乗客全員が真っ黒になっていて大爆笑だったなんて話もあった。今思えば、歴史の生き証人だった。
当時、子供だった私は、これらの貴重な話をおとぎ話のような感覚で聞いていたと思う。そしておばさんは、朝の連続テレビ小説『おしん』を見て「自分の事だ。」と言っていた。
おばさんの世代の人たちは、時代のせいもあるが、高学歴の人は少数で、高等教育なんて受けていない人が多かったと思う。けれど、不思議と言葉に重みがあった。そして自然に耳を傾けさせられる雰囲気があった。決して強制や命令、服従ではなく。
なかなか言葉で表現するのが難しいが、例えるなら『磯野フネ』のような雰囲気だろうか。フネは声を荒げたりしない。けれど、フネに注意されると『フネに言われた事は、きちんとしなくては。』と自然に素直になれる雰囲気があると思う。
大人になった今、あのような雰囲気を自然に作り出せる人に出会わない。そして、自分が今の子供たちに、そうした雰囲気で接することが出来るかも疑問だ。(子供と触れ合う機会があまりないが)
あの雰囲気は、人として備えている礼節と、誰に対しても丁寧な言葉遣いから、自然と出てくるものかも知れない。
おばさんは、私が高校生の時に亡くなった。手術後、包帯でグルグル巻きにされた姿を見て、最初はおばさんだと分からなかった。私はおばさんに近づいて行き「おばさん。」と声をかけ、手を握った。温かい手だったが、握り返してきたような気もするし、そんな気がしただけだったのかも知れない。この時が、私がおばさんに会った最後だった。
激動の時代を生き、流転の生涯を送ったおばさん。晩年は「今は幸せだ。」とよく言い「これは末期の酒だ。」と、毎晩のように上機嫌でビールを呑んでいた。
今でもおばさんの存在と、あの日の煮物の味は、私の中にしっかりと焼き付いている。
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