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生きづらさという靄の中に10歳のわたしを見る【アダルトチルドレン】【アラサー】

 出社するやいなや、ふたつ隣の席の同僚が上司から強めの口調で注意を受けている。

これは、もしかして私が関係している……? 私のせいで同僚が叱られたとか? 直近で同僚と対応した案件はないと思うのだけれど、思い出せていないだけかも……。いや、仮に私が関係しているのならば、今すぐ呼び出しを食らうんじゃ? 声がかからないということは、やっぱり無関係なのか? それとも私が出社したことに二人とも気がついていないだけ?

もし無関係だったとしても、上司はしばらくご機嫌斜めだろうから、今日お願いしようと思っていた押印は午後の様子を見てからにしようか。いや、それだと午前中の空気が悪いままになってしまうから、やっぱりあと30分経ったら押印をもらいに行って、ついでに少し雑談でも振ってみれば多少は場が和むだろうか。その前に同僚をメールでランチに誘うことにしよう。

──5分も経たないうちに、頭いっぱいの考えを巡らせる。自分が怒られるのが怖いとか、お節介をしたいとかそういうのではない。

ただ、このルーティンは同じ空間にいる誰かがイライラしたり、叱られたりする度にもれなく脳内で自動再生される。
そして、心配の要素は大抵自分に無関係の出来事から起こっていて、自分が必要以上にフォローしなくても当人たちや他の誰かによって流れや展開が変わっていることがほとんどだ。

無駄に精神を擦り減らすだけだからやめた方が良いともうとっくに気づいているはずなのに、この癖をやめられない。“癖”だからだろうか。

 人間が発する怒りや責めなどの表現が造り出す空気感に極度な緊張を覚えるようになったのは、いつ頃からだろう。具体的な出来事が思い出せないくらい幼い頃から備わっていた感覚のように思う。

小学時代のスポーツクラブの監督が、中学時代の塾の講師が、大学時代のアルバイトのオーナーが誰かを叱っている……例えその怒りが正当なものだとしても、殺伐な空気感を感じ取った私は、自分自身の緊張から逃れるため「自分がなんとかしないと」と謎の強迫観念に襲われる。場の空気をガラリと変えられるような明るさも陽気さも持ち合わせていないくせに。

それは社会人になっても変わることはなく、自分の性格だからどうしようもないのだと、受け入れるというよりは諦めて毎日を過ごすことに徹していた。しかし、会社という場所は冒頭に述べたようなシチュエーションに出くわすことがあまりにも多い。過度な緊張に加えて、その緊張がいつ来たとしても平然を保てるようにと更に緊張を重ねていく。

そんな日々は心身のバランスを少しずつ崩していき、会社から自宅までの道のりで理由もなく涙が止まらなくなったり、身体は疲れているはずなのに夜眠れなくなったりするようになった。

当時は、その状態が日々の緊張疲れから起こっているとは思ってもみなかったので、私の他にも同じような人がいるのだろうかと不安になり、ネットで情報を漁る毎日を送っていた。そんな時「アダルト・チルドレン」という見慣れない言葉が目に止まった。

アダルト・チルドレンとは、子ども時代の家庭環境や親の行動・言動に起因する心の傷を持つ大人のことを指す名称で、特徴として、過剰な自己責任や自己否定、複雑な人間関係や依存性、感情のコントロール困難などがあるそうだ。

「私、きっとこれだ」
反射的にそう思ったと同時に、自分自身が欠陥なわけでなく、こうなったのにはちゃんと原因があったこと、私以外にも同じような人がいること、病名ではないものの名前がついていることに少し安堵した。

しかし、本当の試練はここからだった。
自覚をして原因が分かった今というのは、ようやくスタート地点に立っただけ。

最終ゴールである「ありのままの自分を認める」という場所を目指すためには、必ず「過去の現実を受け止める」という暗い靄がかかった長い道のりを走りきらなければならないからだ。

もちろん棄権という選択もありだ。だって最終的に生きづらさは軽くなるかもしれないけれど、それまでの過程は長年塞いでいた傷口をえぐる作業になるわけだから。傷を余計に深くしてしまう可能性だってある。

それでも私は、更に傷ついたとしても、今のまま過ごしたとしても、どちらにせよ生きづらいのであれば、過去の自分を探しにいくことにした。何年先になるか分からないけれど、未来の自分が今より少しでも生きやすくなることに賭けてみようと思う。

 過去の自分を探し始めてすぐ、私は「10歳のわたし」に出会った。
今にも泣き出しそうだけれど泣いちゃいけないと言わんばかりに歯を食いしばって、不安そうな表情をしている。

私は彼女を隣に座らせて、お互い体育座りをしながら、彼女の話を聞いてみることにした。彼女が話したいタイミングで、彼女が話せるだけのことを。

 どうやら彼女の家では、彼女が物心ついた頃から両親の喧嘩が絶えないらしい。喧嘩の発端は、父親の事業を母親が手伝っているということもあり、主に仕事のことだそう。

両親が帰宅するのは毎日21時頃だそうで、彼女は自宅で一人帰りを待っているらしい。やっと帰ってきたと安堵したのも束の間、二人の言い合いが始まる毎日。

父親は仕事のことでいつもピリピリしていて、何をきっかけに怒り出すか分からない。怒りの矛先は母親のみで、彼女に八つ当たりなどすることはないそうだが、母親は一言多いタイプだそうで火に油を注いでしまうのだとか。

更に父親は、頭に血が上ると、人に手を上げたくないからというもっともらしい理由をつけて、物に当たり始めるらしい。テーブルの上のものをひっくり返したり、壁を殴って穴を空けたりするのだとか。非人道的なひどい言葉を浴びせることもあるという。

彼女がリビングで寝ている時だって、両親の喧嘩と父親の破壊は容赦なく始まる。大きな怒号と破壊音が響く中で寝続けられるわけもなく、けれど怖さのあまり泣き声を押し殺しながら寝たふりをするのだと。

また、ある時は、父親が怒りに任せて握りつぶし血まみれに割れたグラスを彼女が泣きながら後片付けしたこともあるという。自分が仲裁に入ることができればこうはならなかったのにと、彼女は自分自身をずっと責め続けていた。

だから毎日、父親の機嫌を伺い、母親の余計な一言を阻止することで喧嘩が始まらないように誘導し、万が一不穏な空気が流れ始めたら、テレビや飼い猫の話題を振って流れを変えるという。

 彼女の話を一通り聞き終えて、何と声をかけようかとても迷った。

「つらかったね」「頑張ったね」「よく我慢したね」「えらいね」
どれもしっくり来ない。彼女の不安定な気持ちに一時的に寄り添うことは出来るだろうが、彼女が直面している現実から彼女を救うことは出来ないだろうから。

彼女が辛い現実にあっても愛しているであろう両親が取った行動や言動を客観的に判断するのは彼女を傷つけるかもしれないと思いながらも、悩んだ末に「親御さんはあなたにひどいことをしているね」と声をかけた。

彼女は一瞬戸惑った表情を見せながらも「私は間違っていなかったんだ」と小さな声で呟いた後、ぎりぎり繋いでいた糸が切れたようにわんわんと泣き始めた。私はそれ以上の言葉をかけるのはやめて、彼女が落ち着くまで側にいることにした。

泣き止んだ彼女はすっきりとした表情を見せて「ありがとう」と言い残し、自らの足でまた暗い靄の中を進んでいった。その靄には、いつしか細い光が差し込んでいた。



「心の休憩所」始めました

自分を周りと比べたり、偽ったり、認めてあげられなかったり……毎日が少し苦しい。そんな "心の痛み" を抱えながら働く大人たちにとっての、ほんのちょっと一息つけるような居場所となることを目指しています。

*現在工事中のため、2024年7月頃リニューアルオープン予定となります。



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