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いつかあなたと花降る谷で 第1話(9)

「フィーナ、さっそく使っても良い?」
「どうぞ」
「ありがとう。ジャムを入れるのが好きなんだ」

 ゆったりとした口調でポッサンが言う。
 出された紅茶のカップは女性が好きそうな花柄で、ここにもその人の伴侶の気配が滲み、苦しく感じたマァリである。
 他人のことだが、あるのは物証だけで、気配がしない静かな家が怖く感じたせいもある。止めようもなく次々と誰かが死んでいく戦場じゃなし、明るく穏やかな場所で誰かが亡くなる怖さの方だ。
 育った環境が環境なだけ、なんとも思わないマァリだったが、フィーナに出会ってからは少し変わったような気がする。そりゃあ命は大事だが、戦略や頭数、そういう意味での大事さが、一人という意味での大事さに変化した感覚だ。
 死ぬな、という覇気のある言葉より、死なないでくれ、という懇願の言葉に変わる。あの雑多な場所にいて、初めからそうだった人間も多いのだろうけど、少なくともマァリは違うほうの人間だった。
 多分、大切なひとが、いなかったからだと思うのだ。
 いなければいないで身軽だけれど、できてしまうものは仕方ない。仕方ない以上に幸せな気持ちになれるから、また一人になりたいとは思わないけれど、置いていかれる時がくるのを思うと、それなりに怖いような気もする。
 それをポッサンに重ねたようで、いや、俺はまずそこまで届くか分からない身だからな、と。マァリはここでも不思議と、遠慮する気持ちに傾いた。
 華やかな男が地味な服を着て、妖精の隣で、どうやら空気を読んでいる。
 ポッサンはそんな彼を見て、人間にしては珍しい、と思ったようだった。山奥に引きこもるサイクロプスの彼にしても、マァリは奇特な人間に見える。フィーナに惚れていながら、こうして静かにしている訳で、強欲と映る人間達とは一線を画すようだった。
 それに、彼からは何やら奇妙な気配が滲む。
 言い知れない「揺らぎ」である。本当に人か? と少し疑う。
 そんな二人の横に居て、フィーナはポッサンの落ち込みを、少しでも軽くしようと意気込んでいた。
 でも、そこは妖精なので人のようなワンクッションはなく、「美味しいね。ジャム、ありがとう」と微笑むポッサンへ、ストレートに「ねぇポッサン、最近、何か困ったことはない?」と。
 自然を装いながら、ぎょっとしたマァリである。
 ポッサンも隙を衝かれた顔だ。何故なら最近の悩みを忘れて、マァリを観察していたからだ。
 ぴた、と止まった男二人はふんわり彼女へ視線を向けて、なんでも力になるわよ、と言う、可愛らしい妖精の姿を見遣る。
 ポッサンは、ぽりぽりと、頬骨のあたりを掻いた様子だ。そこへマァリが視線を向けて「いつもなら土いじりをしているはず、と」。
 彼は「あぁ」と思ったようだ。そうして、話しやすくしてくれたマァリへと感謝の視線を向けた。

「まぁ、なんていうのかな。最近、昼間は眠くてね」

 寝不足ですか? という問いに、ポッサンは「そんな感じ」と苦笑する。

「眠れないの? 暖かくなってきたからかしら」

 多分、逆、と思ったマァリもポッサンに続いて苦笑する。
 でも、フィーナは真剣だから、笑うのも悪い話である。
 それに、生まれた種族によってはそういう場合もあるだろう。こうした感覚の違いを知るのも、貴重なものだと思うのだ。
 ポッサンは付き合いが長いおかげで、彼女のそんなところも扱い慣れた雰囲気だった。久しぶりに他の住人と、話している安心感もあったのだろう。
 季節の変わり目というよりは……と、彼は最初の頃の疲れた顔を少しだけ戻し、ぽつりぽつりと二人へ語る。

「怖い夢を見るんだよ」
「怖い夢……?」
「そう。マーメーナが……その、僕を……呼びに来る」

 毎晩、毎晩、窓を叩いて。
 手の中のカップに視線を落としたポッサンだ。

「マーメーナ……?」
「ポッサンの奥さんよ」

 マァリが聞き慣れない単語を聞くと、返してくれるフィーナである。
 あれ? でもその人は……と、視線を上げた時。

「先に逝ってしまったんだ。彼女はドワーフだったから」

 口ぶりで分かるよう、ポッサンは、もう妻はいないんだ、と。

「あ……そう、なんですか……」

 言葉に詰まったマァリである。

「え……でも、待って。マーメーナが呼びに来る……?」
「そう。毎晩、墓場から」
「え?」

 ちょっとよく分からない……。
 正直な顔をしたフィーナに対し、「だから怖い夢なんだ」とポッサンが。
 マァリは口を噤んでこの家の窓を見る。

「そう、丁度そこの窓。マーメーナを棺に入れたのは、もう三年も前のことなのに」
「…………」

 三年前……聞いたマァリは、それじゃあミオーネの話とズレないか? と。彼女はあたかも最近の話のように言っていた。少し前に奥さんを亡くしたポッサンは、ちょっと前に遊びに行ったら、まだ落ち込んでいる様子である、と。そういう話ではなかったか。

「そっか……もう三年も前になるんだね……」
「そうなんだ。それなのに、あの頃と同じ顔をして……」

 続いていく会話を聞くに、ズレてはいないようだと悟る。
 ちょっと待て……と思ったが、これが幻獣族の「感覚」なのかもしれない、と。少し前が三年前。ちょっと前が最近のこと。どれだけ「最近」なのかは、彼に聞けば良いのだろうか。
 マァリは冷静に二人の話を聞いて、途切れたところで「いつから?」と。

「うん?」
「その怖い夢は、いつから見るようになったんですか?」

 マァリの問いに、ポッサンは「うぅん……そうだなぁ」と上を向く。

「ひと月もしないくらいかな。彼女の墓参りに行ってからだから」

 霊魂を連れてきてしまったのかな。
 はは、と乾いた笑いを浮かべたポッサンだ。
 フィーナはそれを聞いて、そんなことってあるのかしら? と。目をまん丸に見開いて、何も言えない顔をした。
 マァリはミオーネの「ちょっと前」は「ひと月くらい前」だと知っていく。それで、どちらかというと心当たりのあった彼は、急なお願いかもしれないけれど、と、ポッサンに頭を下げた。

「今晩、この庭に俺を泊まらせてくれませんか?」
「うん?」
「野営は慣れているので、一人で大丈夫です。その原因、思い当たるものがあるので、探ってみたいと思いまして」
「マァリ……それ本当?」
「うん。なんとか出来るかもしれない」

 少し驚いた顔をして、ポッサンは彼を見た。
 この小さな人間には、何やら解決策があるらしい。

「フィーナは明るいうちに家に帰って」
「え。で、でも……マァリ、ご飯はどうするの?」
「干し肉とか持ってるし。半日くらい食べなくても平気だよ」

 ポッサンさんが許してくれるなら、この庭を見せてもらって、夜まで時間潰しするからさ、と。
 でも……と止めたそうなフィーナの様子を見るに、当人のポッサンが置いて行かれている雰囲気だ。多分マァリはフィーナに良いところを見せたいために、自分の問題を片付けようとしてくれているのだろう、と。
 ならば若人の望みの通り、動いてやるのが親切か。
 だいぶ昔のことを思い出すようにして、一つ目を細めたポッサンだ。

「さん、は、要らないよマァリ。サンさん、になると変だろう?」

 それは僕も困るよ、と彼が言う。

「それに、これを解決してくれるなら遠慮しないで、うちに泊まっていけばいい。フィーナも一緒にどうだい? 二人ともいてくれるなら、いつもの怖さも薄らぐ気がする」

 ご飯も出すよ、とポッサンが。
 ふ、と見つめあった二人である。

「ね? 遠慮しないで」

 久しぶりに賑やかな食事だと思うと、僕も楽しみに思うよ、と。
 ポッサンが、にこ、と笑ってくれたので、言葉に甘えることにした二人である。

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