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いつかあなたと花降る谷で 第3話(11)

 一方、朝にフィーナは目を覚まし、いつもより静かな家を見た。
 水場へ向かう前に、マァリの部屋をノックする。夜半に出ると語った通り彼は出発したようだ。返事がないのを寂しく思い、とぼとぼと水場へ向かう。
 家の様々な設備は大人の大きさで作られている。洗面所にもフィーナのための踏み台があって、これはフィーナだけじゃなく、この家に生まれる子供のための家具である。
 お母さんもお爺ちゃんも大爺ちゃんも使ったもので、壊れてはいないけど、それなりに年季が入ったものになる。
 妖精が大人になる時────、フィーナにはまだよく分からないけど、暮らしていれば「切っ掛け」があって、大人になる時が来るらしい。これまた奇妙なことに「大人になりたい」なんて、フィーナは今まで一度も考えたことがない。
 だけど、マァリに抱かれている時、漠然と考えた。
 この身長差が残念である。街で見かけた人間の女性のように、彼と違和感なく並べたら……と。
 彼に伝わりやすいように「キス」という言葉を使ったが、正直なところキスはどうでもよくて、それらしいことが伝わればよかっただけだ。
 もし自分が大人だったら、すぐに夫婦になろうと思ったか、も、ニュアンスが伝わって返事がもらえればそれでよかった。まさに子供の感性だから、言葉の重みなど気にしていない。上手くはぐらかしたマァリの方が、やはり大人なのである。
 でも、フィーナは少し変わった。
 キスをもらえたのも嬉しいし、気持ちを確かめ合うという男女の機微の端を掴んだ。異性と付き合うことは楽しいのかもしれない、と。
 そうなると大人になりたい気持ちも増していく訳で、冷たい水で顔を洗いながら、私はいつまで踏み台に乗るのかな、と。
 お父さんは何て言っていただろうか。
 その時が来たら。
 その時は、いつ来るのかな、と。キッチンへ入り夢想する。
 フィーナの母親も「その時」が遅かった人らしい。だから、父親と過ごした時間は短くて、フィーナと過ごした時間はもっと短い。どうやったら子供が生まれるの? も、その時が来たら、としか聞いていない。
 妖精石のように、突然飛び出してくるのかも。そうだったらしっかり抱き止めなきゃね、と、フィーナは謎の誓いを立てた。
 そうして頭の中は移ろっていく。家事をして、夏が来る前に済ませたかった仕事をし、昨日マァリが植えていた野菜に水をあげ、彼が作った釜を見て、薪がいるわね、と気がついた。
 こうなるとフィーナの頭はそれ一色になっていき、ふわっと花翅を広げると、ぱたぱたと飛んでいく。冬の間に雪の重みで折れてしまった枝などを、探しに山へ入るのだ。

 マァリの旅程も順調だった。
 竜体での移動は走るような感覚だ。
 長距離移動は持久走。疲れれば羽が動かなくなるが、角度くらいは維持できるので、緩やかに滑空しながら休憩をとる。疲れが取れたらまた上空へ高さをとって、動けなくなるまで「走る」のだ。
 途中、爆風を浴び、そちらを向くと、「マァリじゃないか!」と羽を四枚持った風の竜たちに出くわした。彼らはマァリなど足元にも及ばぬくらい、飛ぶのが早い系譜である。
 厳格な竜族だけど、彼らの系譜は気安い方だ。それに、氷竜の系譜のマァリも、彼らから見れば「気安い」個体らしい。冷たい、頑固、動かない、の三拍子の氷竜は、同じ竜族だったとしても嫌厭されがちらしいのだ。
 マァリは荷物袋が買えればよかっただけで、長命を得る秘術の手がかりが欲しかっただけだけど、興味津々と寄ってきた彼らとの会話において、自分が「混ざりもの」であるのを知った。ならきっと、自分が「気安く見える」のは、人間が混ざっているからでは、と。マァリは初めの方で説明をした。
 気位の高い彼ら種族が人間を相手にする筈がないのだけれど、それも氷竜の系譜と知ると、一躍有名になったらしい彼である。誰の子だろう? と親探しをされたが、氷竜たちは口を閉ざしたままだったとか。
 少し、気持ちが分かったマァリだ。
 興味があれば人間の国に捨て置かれる訳がない。それに、彼らの縄張りを通った時に、一際冷たい視線を自分に向けていた者がいる。
 さしずめ、汚点、ということなのだろう。
 なら、許されているうちに、竜の国を去るのが得策だ。
 二度と来ないから安心しろよ、と、マァリは心の中で吐き捨てた。それが最初で最後と言える、親子の邂逅だったのだろう。
 けれど、風の系譜の竜は別である。
 まるで親友のような気安さで、彼らは彼へと寄ってきた。口も軽い彼らであるので、何してた? には、住む場所を探してた。どこに住むか決まった? には、あっちの方。どこ行くの? は支障がないので、向かう国の名前を伝えておいた。
 そっちも元気? と聞いてやれば彼らも満足したようで、あーだこーだと竜族の話題を聞かせてくれた。一通り話し終えたら「じゃあまたな!」と去っていく。まるでマァリの役にはたたない情報だったけど、気晴らしになったという風だ。
 それに、風を纏って飛翔する彼らに囲まれて、体力を温存できたのは大きかった。去り際、ありがとう! と伝えてみたが、さて、どう受け取られていたのだろう。心配するマァリをよそに、彼らはマァリとの仲を深めた気になっていた。
 フィーナに陸路を行くと匂わせて、空路を取ったマァリは、試算した三日目に目的の国に到着できた。
 以前訪れた時に、独特のお国柄を感じていたので、捕捉機器に捕らえられる前、人間の姿に戻ることにする。
 新しく作った身分証は使いたくない為に、上着に入れている古いものを使って入る。遠くの国とはいえ、穏やかじゃない経歴だ。武具の携帯を確かめられて、提出まで求められる。
 高価(たか)いんだ、無くされては困る、と前回も交渉をした。代わりに拘束具と見張り人を付けてくれよと言うと、勝手知ったる人間だと思ってもらえたらしい。
 この国の拘束具は腕に装着するもので、動きに制限は出ないものだが、悪事を働くと気絶する。気絶するほど多量のマナが一瞬で注入されるそうだ。なぜ他国も追随しないのか不思議でしかないけれど、付き合うのが面倒くさいのか、ほぼ鎖国状態だ。多分、こうしてこの国は、密かに強国となるのだろう。
 初めは興味こそなかったが、竜の国と同様に、長命の秘術を求めて彷徨ううちに、色々な付き合い方が身に付いた。
 古い身分証を手にしたあたりから、フィーナが知っているマァリは居なかったけど、マァリを知る別の人間がまた側にきた。悪態はつかれないものの、目つきの厳しい男である。前回も同じ男だったような気がして、久しぶり、と思ったマァリだ。
 けれど、違うか、と彼は黙った。どうもあの山に居ると、心が優しくなるらしい。微笑したマァリのことを、逆に気持ち悪く思った男である。
 内心は早く帰りたかったし、見張り人がいるのなら、と。マァリは図々しさを出し、彼を案内人として使うことにする。仕事は早めに終わる方がいいだろう。だから協力してくれないか? と持ちかけた。
 随分と柔らかく、爽やかに変わったマァリのことを、怪訝な顔で見た見張り役だった。欲しいと言われたものも、見向きもされないゴミである。どれだけ国外に流出しても、この国を落とせるほどの兵器は作れない。
 何に使うんだ? とは聞いてみた。マァリの友達が使うらしい。友達……と聞いて半眼になる。この男と友人になれる人間がいるのかよ、と。
 聞こえてきた話によると、金でも女でも釣れないらしい。権力が好きかと問われれば、一番嫌いな部類らしい。なら殺すしかないけれど、それすらすり抜けて消えたという。
 正当な辞表を置いて。
 消えた奴がなんでうちの国に来るんだよ、と。恐れられつつ疑われたことを、マァリが知る日は来ないのだろう。当人は、捨て売りされているもので大丈夫かな? と、別の心配をしていたが。
 目的を達したらしいマァリは、折り返すように国を出た。流石に拘束具をつけたままで宿に泊まるのは危険を感じる。適当な山の中へ踏み入ると、安全そうな場所のあたりをつけた。
 野営にも慣れている。久しぶりの独りの時間だ。
 フィーナも一人だろうが、意味違いの「ひとり」に思えた。彼女は友人が多いが、自分には居ないような気がする。口では「友人」と言うけれど、今ある関係は全て彼女の繋がりだから。
 マァリには途中で出会った竜たちも、友人というには少し遠い。友が欲しいか? と問われたら「違う」けど、何ともいえない気持ちに囚われる。独りの夜を過ごす度、後悔でもなく絶望でもなくて……希望と言えないところが苦しいが。物悲しさに似た気持ちを持て余しながら、三日ぶりに眠りについたのだ。

 もう一つの姿なら、眠らなくてもいいのは分かる。
 急を要しないなら、人間のままでいたいだけ。

 前任者は言ったのだ、嫌でも孤独には慣れるから、と。最後には全てが愛しくなるよ、虹の向こうで待っている、と。
 美しい人だった。マァリ以上に美しく、マァリとは比べ物にならないくらい苦悩の生を歩んだ人だ。
 でも、いつかそこへ届く。だからこの気持ちは、ほんの少しの寂しさで、フィーナと暮らせなくなってからの暮らしを考える、良い機会だと思うことにする。
 彼は大木に背を預け、腕を組み、人間らしい眠りについた。
 深い眠りに落ちた頃、パッと現れた精霊達が、彼をお世話するように常闇の布団を掛ける。
 夜の暗さより尚暗い、闇に抱かれて眠った彼だ。
 目が覚めたら体を伸ばし、また竜体を取って飛翔する。
 同じだけ時間をかけて近くへと戻ったら、フィーナにばれないように小細工を。秘密を持つ亭主ではないが、なんとなくコソコソしてしまい、飛竜を呼ぶまで謎の罪悪感を覚えてしまう。
 すぐに戻るのが筋かもしれないが、今のマァリにはライオネットの方が心配になっている。真っ直ぐ彼の家へと向かい、首尾よく目的を達成した。こういうので良かったですか? と差し出してみたところ、目を輝かせたライオネットはマァリを入れてくれたのだ。
 ここでもまた親友のような気安さだった。マァリは同じ死地を駆け抜けた訳じゃなし、どうしてこんなに距離が近いのか、と、恐れる気持ちに晒された。幻獣族は皆、押し並べて親切だ。それはマァリが持つマナに敵意がないからなのだけど、荒んだ道しか来なかった彼には分からなくて怖かった。
 ライオネットはジャンク品を受け取ると、そればかりに気を注ぎ、マァリがあの部屋で自由にすることを許してくれた。素早く目的のものを選んだ彼は、手早く処置を施し、これをください、と願い出る。

「そんなんでいいのか? まぁ、飽きたらまた交換しに来いよ」

 感想も聞きたいな、とライオネットはからりと笑い、最後に「あ。さん、は要らねぇぞ」と。

「丁寧にされるとムズムズすんだよ。俺もマァリって呼ぶからさ。なんかあったら遊びにこい。なんもなくても大歓迎」

 見た目が子供だから、懐の大きいところを見ると、違和感に苛まれる部分がある。間抜けな顔をしたマァリを見ると、クックッと笑ったライオネットだ。こうしてマァリの警戒心が、幻獣達に剥がされていく。

 飛竜に跨って飛び上がり、手元の回転灯を見る。
 
 闇色の鎖で乱雑に巻かれたユニコーンの切り絵の回転灯は、やっと息をするように暴れ始めた。マーメーナの亡骸に宿った悪い種と同様に、不気味な煙を登らせて左右に揺れる。
 マァリはため息を吐きたい気分になった。

「一応、聞いてやる。どうしてこれに宿ったんだ?」
『大切にされたかった! 大切にされたかった! 大切にさ』
「…………もう眠れ」

 マァリは話し合いができない類は苦手である。物に宿る方はいつもこれだ。意識が大幅に欠落するから、物にしか宿れないのだろうけど。
 回転灯から勢いよく黒い炎が燃え上がり、悲鳴を霞ませながら不気味な煙が霧散する。短くなったマァリの髪と、瞳は例の黒色だ。自然と現れた六枚羽も揃いの墨色で、竜の羽、死鳥の羽、フィーナと同じ妖精の尾翅が、音もなく風にたなびいた。
 何にも染まらず、全てを飲み込み、浮かばれないものを冥界に返す力。それが前任者より引き継いだ、妖精としての力である。
 人間と竜と、妖精の三つの姿。
 どこにも属せない彼は、元の色に戻りながら、飛竜の背中で少しだけ物思いに耽るのだ。

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