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いつかあなたと花降る谷で 第1話(13)

 バンシーとは一般的に「泣き妖精」のことを指す。
 縁のある者の前に、死の告知者として現れる。
 お前に死が迫っているぞと教えに来てくれる存在だけど、受け取りようによっては不吉な存在でもある訳で、好かれるようなものじゃない。
 この大陸の人間は昔話風にして、そうした寓話を幼い頃に母親に読み聞かせられたりする。けれど、その本質は異なるもので、彼女たちの存在は、それだけに留まるものではない訳だ。
 虫の声さえ静まりかえった深い夜。
 黒揚羽の羽を持つ眠ったはずのチャールカを、マァリは追いかけてマーメーナの眠る墓にきた。

「私には何もできないのです」

 というチャールカを見ずにして。

「だろうね。でも、貴重な存在だ」

 と、彼は言う。

「これを感じてここへ来たのか?」

 穏やかな質問へ。

「呼ばれたような気がしたですよ」

 と、チャールカが。
 引き寄せられたということか。マァリは「ふぅん」と少女を見遣り、墓に気配が灯るのを見て、左手で「下がれ」と指示をした。

「お前は大丈夫なのですか?」
「うん。何度か遭ったことがある」
「お前は何者なのですか?」

 下がりながら問う少女へと、マァリはそちらを見ずに小さく語る。

「主人様(あるじさま)かな。君たちを束ねる存在。これが俺の仕事だし、今回は助けてあげるけど、フィーナとポッサンにバラしたら、刈るからね」
「…………おっかない主人様なのですよ」
「そんなもんでしょ、王様なんて。横暴で、残虐で、信じられなくらい我儘だ」
「…………言わないです。チャールカはあのお家が欲しいのですから」

 それきり黙り込んだ少女である。
 マァリは「くす」と笑った。
 それは自嘲が混ざったもので、決して綺麗な笑いではなかったけれど、彼の横顔は相応に美しいものに見えたようだ。
 チャールカの視線の先にはマーメーナの墓がある。
 この山に来たときに、一番最初に目に入ったものだ。
 そうして「ぞっ」として、逃げるように離れたが、そこへ向かってやってきたサイクロプスの姿を見つけた。大柄なサイクロプスは両手に何か「土産」を持って、チャールカが逃げ帰った場所を目指して登って行ったのだ。
 暫く茂みに隠れてどうなるのかと見ていれば、サイクロプスはそのまま墓を離れて降りてきた。無事だったのか、と思ったら、何となくついて行くことにしたらしい。そうしてチャールカは可愛い家を見つけてしまうのだ。
 詳しい話を聞かずとも、その墓が、誰のものかくらいは彼女にだって理解ができた。自分の両親は喧嘩ばかりだったけど、近所の友達の親は仲がいい雰囲気だ。あの大きなサイクロプスも、仲がいい夫婦だったのだろう、と。だから「襲われずに済んだのだ」と、チャールカは理解した。
 墓に芽吹くのは悪い奴だが、宿主になった奥さんは、きっと元々が「良い」幻獣で、だからそれが出てくるのを押しとどめているのだ、と。
 彼女が見つめる先には、気配の怪しい人間がいる。
 粗暴だし、子供に優しくないし、容赦の感じられない男だけれど、チャールカの心の奥が「従うべき」と告げている。
 この男がいるのなら、自分は「もう大丈夫」。悪い種が死霊の中で芽吹く気配だけ察せられるが、彼女たちバンシーには退ける力がないのである。
 彼女たちの先祖は皆、近所の大切な人を守るため、それが「悪いもの」になる前に、逃げて、と家のドアを叩いた。それが人々の間で噂になって、バンシーといえば死期を伝える縁起の悪い幻獣である、と、俗説が作り上げられたのだ。
 彼女たちは非力であるので危ないことを伝えたら、一目散に逃げるか、距離を取らなければならない種族なのである。だから、泣きながら住人のため、ドアを叩いて回ったら、人知れずその地からいなくなるのも「いつものこと」だった。訝しむ住人たちは逃げたりなどしないため、死霊に取り憑いた悪いものに、次々と取り殺されてしまうのだ。
 それが泣き妖精の寓話であり俗説で、彼女たちが忌み嫌われてしまう原因だった。当たらずとも遠からずであるので彼女たちは何もいえないし、対抗手段らしい手段は何も持たないのだから仕方ない。けれど、そんな彼女たちの間にも、言い伝えはひっそりと伝わっている。

 自分達には「主人(あるじ)」がいるのだ。
 自分達よりなお昏い、死に近しい妖精が。
 悪い種が芽吹いたものを、刈り取ることができる存在が。

 もし出会うことができたなら、主人様(あるじさま)の翅になりなさい、と。生まれた時に母親に、福音として刻まれる。
 チャールカの母親はチャールカと同じバンシーで、母親の母親も同じバンシーなのである。どんなに他の種族と交わることになったとしても、必ず一人目にバンシーが生まれてくるのである。こうした「決まり」も福音として刻まれるので、伝えるものがいなくなっても、必ず伝わる契約だ。

 そう、契約だ。
 主人様との契約である。

 まさかそれが「人間」だとは思わなかったチャールカだけど、この人間は人間の形をとって、他の何かの気配もするので、正確には「何」なのか分からない状態だ。
 分からないけれど、主人様であるのは間違いない。従わない意向はないし、もっというなら、怖いものから自分達を守ってくれる存在でもある訳だ。悪いものは彼女らのことを、餌か何かだと思っているようだから。
 いつもなら真っ先に逃げていくチャールカなのだけど、怖いもの見たさというか、好奇心も過分にあった。マーメーナの綺麗な墓は段々暗い気配を灯し、不気味な紫色の煙を立てていく。
 チャールカはそれを見て、今、まさに芽吹こうとしているのだ、と。
 マァリはそれを見定めながら、紫の煙が段々と、ポッサンの家に飾られたマーメーナになるのを見守った。それに対する感情の波があるかと問われれば、これが案外「定量」なので怒りも憎しみも無いけれど、できたばかりの友人の妻を虚仮にするような悪霊を見て、珍しく厭わしい感情が湧いてきた。
 完全に姿を現したなら、すぐに刈り取ってしまおう、と。整った無表情で、右手を宙に浮かせて思う。
 チャールカの視線の先で、人間のマァリの右手へと、漆黒の大鎌が現れた。あっ……と思って魅入ったけれど、気配は「死」そのものだ。どうしてあんなものを掴んでいられるのか不気味だし、あれは「越権」、この世の法を覆すものである。
 段々とマーメーナの姿を模していく悪霊に対するように、マァリの青白い長髪が、根本から黒に染まっていく。風もないのに長い髪がふわふわと浮いていき、何やら衣装の方も自然と変わったようである。
 真夜中だし、後ろにいるし、チャールカにはよく見えないが。主人様の正装だろうか、そんな風に彼女は思う。
 もう完全にドワーフの姿を写したような悪霊は、白目のない目を瞬くと、鎌を構えたマァリのことを、じっと見定めるようにする。
 マァリはその相手に対し、少し会話を持つようだ。

「一つだけ聞いてやる」

 凪いだ声音は別人のようである。

「なぜ、その人にしたんだ?」

 と。
 人ではなくてドワーフだけど、人間のマァリからしたら、「対象物」への表現の一つなのだろうと思う。
 悪霊が話をするなんて……と、馬鹿げていると思ったけれど、チャールカの予想に反するように、それにも意志があるらしい。

『愛されていたからだ。それなら、もっと引き込める』

 ドワーフの形をしたものが、無感情に囁いた。
 背中がゾワゾワするような、ビブラートの効いた恐ろしげな声である。
 声音を聞いてチャールカは「ひっ」と肩を竦めたが、主人様は悪霊と同じだけ、何も思わなかったらしい。

「そうか」

 と呟いて、「冥界へ返れ」と囁いた。
 チャールカが息を呑んで「っ……!」と肩を震わせたとき、マァリは無慈悲にも大鎌を振り下ろす。
 自分達に対しては、あんなにしつこく追いかけるのに、主人様に対しては、逃げも隠れもしないとは、と。
 あるいは今回は、宿主になった彼女の「影響」で、刈り取るものが来てくれたから、芽吹いた印象も捨てきれない。
 墓から生えた悪霊は、マァリの鎌に刈り取られ、マーメーナの姿を崩すようにして、勿忘草(わすれなぐさ)になって消えていく。

「ポッサンは貴女のことを忘れたりはしないと思う」

 意外な姿とはこちらも意外な姿であって、真っ黒な妖精が、羽を震わせて呟いた。爪のある皮張りの羽が主翼であるらしく、副翼は鳥の羽に似て、尾羽の位置からは、フィーナのような美しいレース状のものが生えているのだ。
 華やかな妖精なのに、色合いが漆黒で、綺麗だけれど怖い、というのがチャールカの感想だ。
 しん……とした墓を見て「お、終わったですか……?」と聞いていく。
 恐る恐る質問すれば、ぴく、と動いたマァリの姿が、あっという間に溶けていく。溶けて元の人間に戻ったように見えた訳で、「うん、まぁ」という抑揚のない声に、そろりと出ていった少女である。

「主人様、すごいです。あのお家までは来ないけど、怖い場所が近いと思うと、うかうか昼寝もできないですから」
「いや、チャールカならできそうだけどね。まぁ、そこはどうでもいいけれど。じゃあ、後は黙っていてね」
「わかったです。今日のことは誰にも内緒です」

 うん、と頷くチャールカの目に、きらきらと光がさしてくる。

「あれ? どうしたですか?」
「うん? あぁ、マーメーナさんがお礼がしたい、って」

 元の静かで綺麗な墓に戻った場所に光が射して、今度は光の粒子が集まり、ドワーフの女性を形作った。
 その人はにっこり微笑み、マァリとチャールカへお辞儀をしてみせる。ありがとう、と言われたようでマァリは少し照れたけど、死霊とはいえあまり他人には見せたくない姿を見せてしまって、バツが悪いというか、そういう気持ちも全くない訳じゃない。
 とりあえず、と逃げた気持ちは一般的な方向だ。

「これから夫君と仲良くさせて頂きます」

 どうぞよろしく、とマァリが頭を下げて、チャールカも何か言わないと、と不意に思った結果らしい。

「これからあのお家で木偶の坊と一緒に暮らすです。ゆくゆくは可愛いお家をもらうです」

 どうぞよろしく、と、チャールカが頭を下げて、「何、その穏やかじゃない言い方……」とマァリが正直に引いていた。
 あの世に行ったマーメーナは「くすくす」と笑ったらしい。少なくともチャールカに、悪気がないのは分かったように見えたから。
 小柄なドワーフは、もう一度マァリにお辞儀をすると、そのまま月の光の中へ溶けるように消えていく。

「帰るか」
「そうするです」

 帰りの二人は無言であって、特にポッサンの家のドアを開けて入っていく時は、神経を使って静かにやった。
 早く寝ろ、とマァリがソファーに横になるのを見たチャールカは、一度、フィーナのベッドへ行くふりをして、こっそり戻ってきたようだ。


 翌朝、フィーナはポッサンの家のリビングで、いつの間に抜け出したのだろう、チャールカが、マァリの足に頭を乗せて寝ている姿を見て驚いた。

「え。チャールカ、どうしてここに?」
「おやおや。意外だったけど、マァリに懐いたみたいだね」

 後ろからきたポッサンがフィーナに呟いて、「えぇ……マァリ、良いなぁ」と素朴に語った彼女である。
 何かが羨ましいな、というのは、果たしてどちらへだったのか。

「んん……? あ、お早うフィーナ」
「お早う! マァリ」

 お早うございます、と言うマァリの視線を受けて、ポッサンは若い二人の情緒の行方に期待した。


第1話(了)

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